Tuesday, February 9, 2016

無加工という神話

※当記事はさほど正確ではなく単に愚痴ってるだけなので誤解を招く表現が含まれます。

インスタグラムをやっていると #無加工 とか #加工なし というタグをよく見かける。これはどういう意味なのだろうか。

ま、すでにここから俺の妄想といえば妄想なのだけど、どうもこの裏に「加工した写真は自然じゃない」という感覚、さらには「カメラは目の前のものそのものを写す」という幻想が隠されているような気がするのだ。

確かに極端に色調を変えた写真とかはナチュラルとは言えないわな。そしてそれに対する好き嫌いは人それぞれだから好きって人がいれば嫌いなひともいるだろう。

だけどカメラはカメラであって人間の目ではない。極端な話、人間の目は赤外線が見えないけどデジカメのCCDには写るからリモコンを撮ると光って見える。さてこの赤外線が写った写真は「自然」だろうか?

カメラの原理は単純にいえばレンズから光を取り入れ、感光部で像を結ぶというものだ。フィルムであれば感光しそれを現像することになるし、デジカメであればCCDで受光してデータに変換される。デジカメである限りこの「受光した光をデータに変換する」という部分は不可避だし、通常デジカメの中にある画像エンジンがこの作業を担うことになる。

画像エンジンは単なるデータを見やすいように処理して一枚の画像を作り出してくれる。そうでなければただの数字の羅列だ。もしも本当にデジカメで無加工というものを追求するならそういう画像エンジンが現像処理する前のデータであるRAWを(プレビューさえせず)楽しむというかなり人間離れした能力が必要になるだろう。

つまり #無加工 と言われている写真はとどのつまり #デジカメ自動加工 ということにすぎない。そしてどんな優れた画像エンジンも現代では人間の目で見たそのままのように現像する能力は持っていない。それに細かく言えば、どこにピントを合わせるのか、ピントの位置で明るさを調整するのだって加工といえば加工ではないか。

RAWで撮影する人間は「自然な見え方」を再現するために高い専用ソフトを使って現像してるわけで、無加工無加工とはしゃぐことを苦々しく思っているに違いない。

というわけで、写真において無加工というものは存在し得ない。さらに言えば、人間が対象を対象として意識し観察を始めた時から世界は分節化(=加工)が始まっているのだ。

無加工です

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