Saturday, January 9, 2016

デジタルと階段

岳にもデジタルカメラじゃだめだっていうカメラマンが出てくる話があるけど、まあデジカメユーザーとして思うところもあり一理あるなと思うところもあるわけです。

漫画の中ではデジカメを使ってる若手が時代に素直なのとか言ってるけど問題はそこではない。便利かどうかも実は関係ない。フィルムカメラを使っているカメラマンだって絵描きにカメラは便利すぎるって言われたら困るでしょう。

結局のところその道具でどれだけ自分の魂が表現できるのか、逆にいえば魂を表現するのに気持ちを込められる道具かどうかが大事なのだ。その基準は非常に個別的で他人が決められるものではない

俺はデジカメが好きだけど、実はそもそもカメラにはたいして思いいれはない。俺は兎にも角にも階段が好きであり一日中階段を歩いて写真を撮っていくのが好きだ。しかし結果撮る写真は1日500枚とかになり、それをフィルムで行うことはおよそ不可能である(金銭的に)。デジカメならそれが可能だし思う存分階段に気持ちを向けることができる。

しかし階段を撮るとき、人によっては写真だけ撮って実際には登らないというひともいる。でもこれはその人の魂の問題なのだ。俺は階段は登らなきゃその階段に対して思い入れを持つことができない。だから登る。登らないでも撮れる人のことを羨ましいとも思うけどそれが自分の魂の形だから仕方ない。大事なのは、自分の魂に嘘をつかないことだ。

魂に正直にいることがどれだけ作品に現れるかはわからない。もしかしたらそんなものはただのオナニーでまったく現れないのかもしれない。だけど魂とまっすぐ向かい合うことができないなら写真を撮る意味も階段を巡る意味もないだろう?