Wednesday, May 6, 2009

Vaporized Society

GWなのでオナ禁でもしようかと思ったけど当然ながら朝晩欠かさずにオナニーしています。

こういうことを書いてるから女友達に、陰毛を剃ることをどう思うか、と聞かれたりするんでしょうか。個人的にはマン毛は剃るよりも伸ばしてもさもさにして、中出ししたあとにマン毛に精液がべっとりついている、なんてのが大好きですね。わき毛ももっさりしてるのが好き。でもスネ毛はないほうがいいんだよなー。このへんの感覚は何に基づくものなのか自分でもわかりません。

大学でここのブログを読んだ人に声をかけられるくらいボクのロケーションは明らかになっているけど、ボクは匿名性とか顕名性ということにさして興味はない。HNだろうとニックネームだろうと戸籍の名前だろうと単なる識別信号だし、ボクがどこの大学のどこの研究室に所属してるかとかどこで働いてるかなんてのは単なるタグにすぎない。ボクはフォルダ管理よりタグ管理のほうが好きだから、自分に対してもタグ付けをしているだけなのだ。むしろ人間というのは中身があってそこにタグを付けるのではなく、タグの集合体が個を成り立たせている(究極的にはあらゆる存在、情報がそういうものだけど)。

ボクはそのような価値観で生きているので、「肉親」という感覚がない。ボクはボクを育ててくれた親に感謝してるし、尊敬もしている。しかしそれは彼らがボクと遺伝的な近似性があるということとなんら関係ないことだし、ボクは彼らの行動に感謝しているのだ。だから同様に、自分の子どもがほしいという感覚もない。意識的な生殖行為こそが純粋な意味でのセックスだというのが持論なので、その定義に従えばボク自身は童貞であるということになるわけだけど、そういう生殖行為を行いたいという欲求と、自分の子どもが欲しいという欲求のあいだには多少のかい離がある。

例えば、そのような生殖行為の結果子どもができ、産まれたとする。で、ある社会においては同時に生まれた子どもがいた場合交換する決まりになっていたとする。そのような想像に対してあなたはどう思うだろうか。そういう社会になったとしても、ボクはたぶんなんとも思わない。ボクと好きな人が性行為を行い、その結果として子どもができたというのが重要なのであって、その子どもが自分の遺伝子と類似しているかどうかなど問題ではない。

こういった考えは極端に聞こえるかもしれないけど、ある意味で現代社会はこの方向へ進んでいる。

ある人は、子どもはいらないという。今が不況だとはいえ明日食べるものがなく飢え死にするような環境にいる人間は日本では少ない。それは、少し前の時代からみれば十分に豊かな社会であり、さらに社会の発展により生活環境は多様化し、家庭に子どもがいるということは必ずしも家庭の構成要件ではなくなっている。

ある人は、出生率を向上させなくてはいけないという。子どもを育てるには当然お金がかかるし、生活環境が多様化し、価値観も多様化した現代で子どもを育てるモチベーションが低下しているというなら養育費が安くなるような環境を作らなくてはいけない。当然近いうちに「独身税」「子無し税」ということが語られるようになるだろう。

ある人は、子どもができ、産んだはいいが育てることができず赤ちゃんポストに入れに行くだろう。だがしかし、誰が彼女、彼を責められるというのか。私たちこそが構成員である社会がそのようなシステムになっているのだ。

これをミックスすれば、一つの回答が出る。たぶん気がついている人はいるだろうけど。つまり、子どもを産み、子どもを国が買い取り、施設で育てる、または、家庭で引き取った場合高額の養育費を国から受け取るようになるというシステムだ。

このいわば「ベビーファクトリー」的な考えにある種のおぞましさを感じる人もいるだろう。実際にはボクもおぞましさを感じる。しかしそのおぞましさは多分本能的なものではなく文化的なものだ。もちろん、もしかしたら遺伝的に継承された子どもが欲しいと言うのは本能的な感覚で、ボクの感覚は多少のアノマリーである可能性もある。その場合このシステムからは愛情が欠落してしまう恐れがあり、うまくいかないだろう。

今の社会情勢を考えればまったく非難するつもりはないことだけはわかってほしいんだけど、現在幼稚園や保育園では幼児を運ぶときに4人乗り(入れ?)や6人乗りのカーゴを使う。ボクはどうしてもあれをみると工場を想像してしまう。効率良く大量生産される子どもたち。

結局のところ、社会の効率化、リストラが進み、「余裕」さえも計算され尽くされた社会とはそのように経営される。そしてそのマージンを最適化するために情報と管理の一元化がさらに進む。そのような社会こそがアマゾン化、グーグル化した社会だと言えるだろう。

しかしその方向に進む前に一つのターニングポイント、論点がある。なぜ我々は社会を持続(サステイン)させようとするのか。動物であれば答えは単純で、本能だからだ。サステインすることそれ自体が生まれてきた目的だと言える。しかしボクたちは意識というものを持ち、社会を発展させたおかげで子どもを作ること以外に目的を持ちうるようになった。だとすれば、なぜ持続可能な社会を作ることに固執する必要があるのだろう。子どもを作りたい人が作り、今は世界的にみれば人口は増えているけど、いつか作らないほうが優勢になり、ゆっくりと人口は減少していき、人類は「終演」するかもしれない。

人類の文明史はたった数千年だけど、ボクらはすでに読み切れないほどの資料を持ち、例えば芸術で新たな価値を創造することは可能だろうか。2千年前の物語でもボクらは笑い、涙を流す。でもその涙は人類のフィナーレを歌っているのだろう。もう人類はじゅうぶん生きたのではないだろうか。

ファクトリーか、フィナーレか。Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?