Sunday, September 14, 2008

数列と遺伝子の土曜日

数列

ランダムな数字が無限に続く数列と1が無限に続く数列を比べたときどういう関係があるだろうか。ランダムな数列もすべて1の数列も順序は意味を持たないので「(10進法で)1から9の要素がそれぞれ無限にある集合」と「1が無限にある集合」と同じことである。無限の濃度(アレフ)を比較するとき「取り尽し」が使われるが、同様にして取り尽しを行うと無限個ある1を取っても2~9が残るから、ランダムな無限の数列は無限に1の数列を含むと言える。逆にランダムな数列が一度無限1数列から2を取ろうとした時点で無限1数列は2の要素を持っていないことがわかる。つまり無限数列には包含関係があるのだ。これは直感に反した結論ではないだろうか。

ただし「ランダムな数列の順序が意味を持たない」というのは仮説だ。順序の情報がどこに保存されるのか俺は知らない。123456789という数列の、1が先頭であるという情報はどこに書かれているのだろう。数列そのものが順序を表していると考えるのはmathematic expressionismであり、数学の本質ではないように思われる。しかし先頭を持たないタイプの無限数列では自分が何番目であるという情報を持つことは不可能であるようにも思える。俺の脳みそではこの辺が限界。

チン毛

チン毛をほとんどハサミで切ってみたらチクチクして痛いです。

遺伝子

「本名」というのはただの戸籍上の登録記号であって、あだ名だろうとなんだろうと違いはない、というのがボクの主張です。結婚も単なる戸籍上の問題にすぎないんだけど、現代社会では本質的なものと見なされている。ところがいつでも戸籍がそのような力を持つかというと例外もあって、例えばドラマで幼いころに両親が離婚していて父親は母親の再婚相手だったとして戸籍を見て初めてそのことを知った子どもは「本当のお父さんに会いたいよ」と言うわけです。この場合「本当の」というのは遺伝子的な繋がりを指しているようだ。当然ボクはこの手の考えかたには否定的で、「本当の父親なんてどこにもいない」と思っています。人類学が結婚という概念の定義不可能性を明らかにしたように、父親、母親という概念もまた定義不可能な複合的素性の集合にすぎない。

ボクにとっては友人、恋人、肉親、性別、人種という概念は本質的なものではない。それらは濃度の違いでしかない。すべての人間はボクの友人であり、ボクには友人が一人もいないのです。関係性はすべて濃度的なのです。戸籍や遺伝子はそれらを記号化した神話だ。ボクの前に婚姻届を持ってきてみてください。ボクは相手が誰であろうと、その場で即印鑑を捺すことになんのためらいもない。

西新宿

自転車のブレーキの音を聞くと
なぜだか君を思い出す


小さな嘘と
コンクリートの瞬き


夏の終わりに見えた
かげろうのような君の後ろ姿
何もかもが



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