Sunday, August 10, 2008

Mac講習会

 Mac講習会

昨日は職場の講習会で、俺がMac担当ということで講師を少しやりました。前回は時間に余裕があったのでスライドもがんばって作ったんだけど今回はあまり時間なかったせいでスライドは前回の使い回し、話も半分はiPhoneの話題w

俺のMacBookも買ってから2年ちょっと、もうそろそろ寿命かなーとも思うんですが、APP保証に入ってるから今回はがんばって3年使ってみようか。

今までFlickrってアカウントはあったけど、人の写真を見るばっかりでほとんどアップロードってしてこなかった。でもiPhone買ったら写真撮るのが楽しくてどんどんアップロードしてます。ブログパーツにFlickrのバッジを追加しておきました。またこのブログが重くなったw 我ながら開くのに時間のかかるブログだと思います。

エイリアス

2003年くらいからボクにとって「エイリアス」という言葉がキーワードになっている。このブログのトップに書いてあるように、画像処理でエイリアスといえば処理の過程で現れる虚像のことで、テレビなどで縞模様の服に現れる干渉縞(モアレ)もエイリアスの一種だ。他にもMacではショートカットのことをエイリアスと呼ぶし、Gmailなどのメイルアカウントで本アドレスとは見た目違うけど実際には一つのアカウントで管理してるアドレスなどもエイリアスと呼ばれる。これらに共通なのは、「代わり」という概念だ。つまり本体とは別にエイリアスがあるという考え方だと言える。

これは情報処理の観点から言うと、人間の直感的には近いけど、とても無駄のある考え方だとも言える。ショートカットで言えば、本体のファイルが複数できているのは一番無駄だけど本体のファイルとショートカットがいくつもあるのもやっぱり無駄だ。一番いいのは、どこからでも本体が見えるようにすること。これはいわゆる「ハードリンク」という考え方に近い。

完全ではないけどAppleのソフトウェアやGmailのメイル管理はこのような考えに基づいていて、Gmailのラベル、iTunesのタグなんかはその役目を果たしている。実際にどこに格納されているかに関わらずラベルやタグで検索すればいい。これらが完璧になれば、そもそもどこに格納されているのかと問うこと自体意味のないことになる。この概念のネットワーク版が、「クラウド・コンピューティング」だと言ってもいいだろう(iTunesやiPhotoを使い始めたばかりの人間はファイルがどこにあるのかがわからないことに対して不安を抱く。この「クラウド」というネーミングはその不安を言い表しているようでとても意味深だと思う)。

ボクはこのエイリアスという考え方に基本的には同意してるんだけど、一つ思うのは、「エイリアスがあるからといってそれに対する本体があるとは限らない」ということだ。エイリアスはエイリアスとして独立した存在、いや、すべてのものはエイリアスであって、本体というものはこの世界に存在しないのだ。例えば普通のサイコロには6面あるが、これはサイコロは6面のエイリアスを持つと言える。ではこれらのエイリアスの本体とはなんだろうか? サイコロ自体が本体だと言いたくなるが、そうではないんだ。ボクたちはどんなにがんばっても一つのサイコロの全面を同時に見ることはできない(分解、鏡を使うなどを除いて)。そうであるならば、ボクたちへの「見え」こそが現実であってそれ以外の「本体としてのサイコロ」を想定するほうが幻想なのだ。

存在という幻想

このブログでも何回か「誰もいない森で木が倒れたら音はするか」という問題を書いてきたけど、今ボクの考えとしては、「不定」だということになる。音は空気の分子の振動であり、それは人間の耳という聴覚器官で感じられることによって初めて「音」になる。だからその意味では音はしない。しかしそもそも「音がする」というのはボクの聴覚器官が捕らえたものだけに適用される表現だとも言える。だとすると、ボクが眠っている間世界は静寂に包まれている。これは単純な独我論と同型の議論だけど、独我論は相変わらず正しいのだ。

もちろん独我論は音に対してだけでなくすべての感覚、さらには存在にも適用される。ボクは存在を独立したものと見なさない「実証主義」な人間である。そして実証は実証される必要はない、と思っている。てかそんなのできないし。実証主義のそういう独我的なところを改良する意味で反証主義もあるけど、反証主義は現実的ではあるけど完全ではない。完全な理論とは完全と不完全の上位にくるものであり、そこには「すべて」が含まれていなくてはいけない。

例えばボクたちは「ある」と「ない」は違うものだと思っているけど、これは人間の脳の制約にすぎない。「ある」と「ない」の中間的なものや、「ある」と「ない」を一つのパラメータにしたような数学があるはずだ。そしてその数学は人間には理解できない。人間に理解できない数学に何の意味があるのだろうか。何の意味もない。つまりボクらは、ボクらの世界に閉じこめられている。ボクらが存在しているのは、ボクらが存在していると思っているからだ。この世界は存在しつつ存在していない。

プランク長(1.6*10^-35m)の空間に他のすべてのプランク長空間をベクトル化した情報を入れたヒルベルト空間さえ矮小化される可能性の海が宇宙であり、ボクたちが現実と呼ぶのはその海の砂浜の砂一粒でしかない。ボクたちという存在そのものがエイリアスなんだ。ハイデガーに、死につつある存在と言われるまでもなく人間は生でもあり死でもある。ボクは全体的に部分的に死んでいる。死は世界との隔絶ではなく今そこにあるボクの生の一形態である。

リステリン

ボクは歯を磨いた後リステリンで口をゆすぐのが好きなのでリステリンの大ボトルを買ってるんだけど、この前使い終わったのでボトルを捨てる前にちんちんにあてがってみたらちょうどぴったりのサイズだった。せっけんをローション代わりにして入れるとまるで俺のために作られたオナホールのようだ。中学生のときはフィルムケースを切っていたことを思うと、中学生のときよりは大きくなってるんだな。リステリンを大きいほうのボトルでお使いの皆様(小さいボトルじゃないよ!)、あれがちょうどボクのちんぼの直径だと思ってもらえるといいかと思います。ただし、けっこう気持ち良かったけど抜くまでには至らなかった。

今、自分の精液を取っておいてそれをローションにしてオナニーするというのを思いついた。夏休み中に試してみよう。

告白

ところでここ1ヶ月で5人くらいにマジ告白して全部フラれてるんだけど、何がダメなんかね?

以前の彼女に「最近セックスしてないの?」と聞かれたので「全然してないよ」と答えたら、「ごめんね」と言われました。あえて解釈すると、「(私は以前あなたの彼女であったことがあって、今でもあなたのことを嫌いなわけじゃないけど、今私には別の彼氏がいて、あなたとセックスすることはできないの)ごめんね」というわけじゃないですか。これはさすがに凹むわー。みんな、昔の彼氏にももうちょっと思いやりを持とうね!