Monday, August 11, 2008

全可能性空間

 二度出し

射精した精液を保存しておいてそれをローションに使うのはどうかと思ったので、一度目のオナニーのときに軽く射精して、そのまま二回目を行うという方法で精液ローションオナニーを実行しました。別に何がよかったわけでもないけど、楽しいといえば楽しいかもしれない。月に1度くらいやろうかと思います。

ペルセウス座流星群

もうすぐペルセウス座流星群の時期だね。去年は近所の空き地でごろ寝して少しは見えたけど、今年は少し郊外まで足を伸ばそうかと思っている。流星と蝕は素人が肉眼で観察できる天体ショーだからね。

胡蝶の夢

荘子の胡蝶の夢や水槽の中の脳など、今見てるこの世界は夢なのではないか、というのはずっと昔から哲学で語られてきたことであり、子どももよく考える非常にポピュラーな哲学的話題だと言える。ボクも小さいころからずっと考え続けてきたし、未だにボクの疑問の中核にある議題だといえる。

この議論はたいてい、反証不可能性から否定されることになる。誰も証明も反証もすることができないのだから、意味のない議論だというわけだ。それは正しいと思う。ただし、それは理論というものが「正しい」と「間違っている」に分けられるという前提での話だ。

昨日書いたように、世界の「存在」は独立した存在ではない。存在たる存在者に認証されて存在は存在することができるようになる。その意味ですべての存在は自家撞着であり、存在が存在していると証明することはできない。

宇宙がもう一つあって、その宇宙とこの宇宙が時間と空間で結ばれていないとき、その宇宙は「存在している」と言えるだろうか。ボクたちの宇宙は生まれてから137億年ほどなので、ボクたちからは137億光年の距離の宇宙しか見えない。これは「宇宙の地平線」と呼ばれる。しかし実際には宇宙はインフレーションを経験しているので現在の理論では430億光年以上の拡がりがあるのではないかと予測されている。今宇宙は真空の圧力によって膨脹速度が再加速しているのではないかと言われているけど、その場合地平線の向こう側にある空間は未来永劫ボクたちと因果関係を持つことはない。

でもボクたちのいる場所とは連続的な繋がりを持つ宇宙であり、その空間を存在していると言うことは問題ないように思える。でも時空の離れた宇宙は、過去に交わったこともなく、未来永劫交わることはなく、完全に断絶した世界だ。これは「本当に存在しているのか」という問い方は不適当だということがわかるだろうか。「存在していると言えるのか」「存在とは何なのか」ということを問われているのだ。

量子力学的宇宙論によれば宇宙は「真空の揺らぎ」から生まれたと説明される。しかし宇宙が生まれる前は時間と空間のない状態であるわけで、さらには物理学のアキレスの踵である「特異点」の問題もあり実際には理論的な話ではなく、まさに宇宙論的神学である。例えばボクが中学生の頃から疑問に思っているのは、「別の宇宙で有効な定数はなんだろうか」「定数が定数であることを保持する機構はなんだろうか」「定数はたまたまこの宇宙にだけ有効なのではないか」「数学は宇宙依存だろうか」ということだ。これらの疑問に現代の宇宙論は答えることができない。特に数学が宇宙依存であるならば、宇宙が生まれる揺らぎの場が全可能性空間であるかもしれない。そこでは A=B U A≠B という数学が成立している。あらゆる発散を許す、数学的に最も無意味な数学だと言える。

さらに、この数学は宇宙依存なのではなく、人間依存である可能性はないだろうか。人間の脳の解釈の制約によって宇宙は今の姿に見えているだけで、そもそも宇宙はそんな姿をしていないのかもしれない。分子以上の大きさでは物質は量子的であることをやめて波動は収縮するけど、その収縮に意識が関与していると考えるグループもいた。しかしそもそも波動は収縮などしておらず、人間がそう解釈しているだけなんじゃないだろうか。ボクたちの目には二つある可能性のうち一つしか見えない、と考えるわけ。これは現在力を持ってきている多世界解釈とも親和性があるように思う。そのような全可能性宇宙ではボクは夢を見ているのでもあり起きているのでもあり、あらゆる妄想と現実は同等の価値を持つことになる。A=B U A≠B が許されるのだから、矛盾も存在していない。すべての意味で「あらゆる」可能性が実在している。

以上のことを本気で言うと、スピリチュアル系になれます。