Thursday, June 19, 2008

Firefox3

Firefox3正式リリース
 
Firefox3がやっとこさ正式に公開されましたね。今まではアドオンのチェックなどをするためにβ版をちょっと入れてみてすぐ削除、ということをしていたのであんまりちゃんと触ったことなかったんだけど、ここ1週間で一気に俺の使ってるアドオンのバージョンアップが出てきてほぼ全部使える状態になったので俺もFirefox3にしてしまいました。ただしIntelMac向けの独自ビルドをダウンロードしたから、24時間で最多ダウンロードを目指すギネスには参加できてませんw かわいそうだからあとで通常版も一度くらいダウンロードしておいてあげようか。これは不正?w

俺は余計なアドオンいっぱい入れたりCSSいじってたりするからページ表示はあんま早くないままなんだけど、起動が速くなったのは嬉しい。あと、今までなぜかCocoaじゃなかったのになぜか正式リリースではCocoaになってる。なので裏にあるときもスクロールができる。これは待ち望んでいた機能なのでめちゃくちゃ嬉しい。

今まで使ってたAero Foxというテーマが突如通常版と有料版に分かれ、しかも通常版は使いにくいという暴挙に出たのでFirefoxのアドオン配布ページがこんがりと炎上しているw 確かに寄付テーマくらいにすべきだよなあ。寄付で2、3ドルくらいなら考えてもいいのに(有料版は1ドルだけど)。

3G iPhone

ドイツで出る3G iPhoneが1ユーロだってことでニュースになってたけど、当然月額が15000円くらいのコースだそうだ。月額4800円のコースの場合はiPhoneは169ユーロ。それならみんな後者のコースを選ぶわな。このニュースは、携帯電話の値段はキャリアから支払われる販売奨励金からまかなわれているということをはっきりとした形で示す面白いニュースだと思う。ソフトバンクの料金形態は来週発表予定だとか。さてさて、どうなることやら…

先日の日記で「インフォマニア」という言葉を使った。本当はインフォマニアというのは「いつでもメイルをチェックしていないと不安で仕方ない偏執狂の一種」のことなので、文脈的にはちょっと違うんだけど言葉の響き的に面白いのであえてそのまま使ってみた。でもボク的には「インフォムニア」のほうがいいのではないかと思う。対応する日本語は「不断症」というのはどうだろうか。

死刑

まーあんまり死刑制度についてあーだこーだもピナコラーダも言うつもりはないんだけど、「死刑は国による殺人だから廃止すべき」というのなら、「懲役は国による監禁だから廃止すべき」なんじゃないか、と思います。

コンテンポラリティ

ボクはフォークソングや昭和の歌に好きなものが多いんだけど、よく考えたら古いものが好きなわけじゃなくて、ただたんに今までリリースされた曲の総数からいって古いもののほうが多いってだけなのかもしれない。昔の曲ならなんでもいいってワケじゃないし、本当に泣ける曲はやっぱり今も昔も数年に一度しか出てこない。Perfumeも、70年代生まれの人間からすると、D&Dでいいじゃん、と思ってしまうわけだw

これは今までボクが感じていた違和感を説明してくれる考えだと思う。世の中少し「コンテンポラリティ」を求めすぎなんだよね。例えばAVって日々新しい作品が出てくるけど、はっきり言ってコンセプトが新しいAVなんてほとんどない。ほとんどは別に以前のものとなんの変わりもない、ただ女優が替わってるだけのAVなワケだ。だからほんとうは「新作」にはほとんどなんの価値もないんだけど、なぜか新作のほうが人気があったりする。

今のテクノロジーの革新性はそういう無駄なコンテンポラリティをなくし、すべてのインフォメーションを共時的に扱えるようになることだとボクは思ってる。古いとか新しいという区別をする必要をなくし本当にいいエロ動画が残るようなテクノロジーをボクたちは追求する必要があるのだ。

もちろん、そういうコンテンポラリ的なジャンクも生まれるようなリソースが大量にあるからこそときどき名作が生まれる、という考えもあると思う。たしかに名作だけが生まれてくるような構造はできないだろう。それは難しいところだと日々ボクも頭を悩ませているところです。

でもボクはネットがあればエロ動画を見たいだけみることができるし、そこでは今までに見たことがなければそれはもうボクにとっては新しいという価値(New-for-Me)を持っていることになる。NFMであれば、そのエロ動画がいつ撮られたものかなんてことは問題にならない。そしてネットでは好きなだけNFMなエロ動画を見ることができる。さらに、いつでも好きなときにエロ動画にアクセスできるのだから、それをダウンロードしておく必要さえない。あとでもう一度見たいならURLがわかれば十分(ボクはAVをもう一度見ようとすることはまずないのでそんなことはしないけど)。

オンデマンコ配信というダジャレを思いついたけど、ググったらけっこう出てきた。世の中バカばっかだな。

所有という幻想

このことは実は「所有」という幻想も示唆している。CDというメディアがデータに変わりCDは消えつつあるけど、データを所持するという考えは今でも残っている。しかしNapsterを見ればわかる通り、いつでもデータにアクセス可能であればデータさえ自分で持っている必要はないのだ。これは何もITに限った話ではない。不動産であろうと自転車であろうと、ほんとうはすべて「所有」というのは幻想なのだ。複合的な概念の総体を所有と呼んでいるのであって、所有そのものという素性はない。それにたいしてアクセスは段階的な概念で、パーシャルアクセスからフルアクセスまでいろいろなアクセスを想定、設定することができる。今後は法律でも、所有権がなくなることはないにせよ、アクセス権を議論する必要が増えてくるだろう。

アイドル

前々から言ってることだけど、ボクは基本的にアイドルに興味がない。ボクは土屋アンナが大好きだけど、土屋アンナと土屋アンナそっくりのギャルのあいだに違いはないというのがボクの認識です。なのになぜ世間ではアイドルがもてはやされるのかといえばアイドルはまさに「アイドル」であって可愛いと言える対象として存在しているのです。自分と距離がある人間を対象にして好きというのは簡単ですからね。でもボクはそういうことに小さいころから反抗心を持っていて、小一のときに上級生に「お前ウシダさんが好きなんだろ」とからかわれても「好きだけどなにか」と言っていたわけです。対象をシンボライズ(記号化)するのは人間の本性に近いけど、ボクはそのシンボライゼーションを破壊することにカタルシスを覚える。だから相手が誰であっても好きなら好きというし、可愛いと思うなら可愛いという、そーゆーふーに生きていきたいと思っています。

でも女の子と話してるときにおっぱい見て「可愛いおっぱいだね」と言えない自分はまだまだだなあと思う。修業修業。

数値化

しかしこのシンボライゼーションは人間にとってかなり根が深い問題で、特にボクたちは物事をやたら数値化して考えるくせがある。数値化だけならまだ問題ないけど、出てきた数値は対象から離れた一つの価値を持つようになるのである。例えばボクはおっぱいが大好きだから女の子のおっぱいのカップはとっても気になるところだけど、カップはカップであっておっぱいではないのである。これに気をつけないと、「へーBなんだ。意外と小さいね」とか本末転倒なことになりがちだ。おっぱいは大きければいいわけではないけど、見た目や触り心地、ぬくもりなど五感で感じるものなのだ。数字にインスパイアされるエロというものを否定するわけではないけどやはりカップ数はおっぱいの価値にとって補佐的なものであるという認識が必要である。

同様の問題に年齢がある。ボクは生まれてこのかた一度もテレビドラマを観たことがないのだけど、失楽園というドラマが流行っていた当時「40代でも黒木瞳ならイケる」という種の発言が多く聞かれた。これは40代という一つの記号化を行ったときに「40代の顔や体はこう」という操作を行っておいてそこから外れた黒木瞳を例外として提出しているわけだが、そもそも記号化を行っているのも例外を持ってきているのも自分なのだからまったく情報価値のない話である。この発言者はそもそも「体と顔が若ければ実年齢は関係ない」と言ってるにすぎない。

気まずい瞬間選手権

今年の春の話なんだけど、同僚と何人かでお昼ご飯を食べに行って、そこで「今までで一番気まずかった話」というのをしてたんです。ボクが高校生のときの友人でAくんというやつがいまして、彼はバスケをやってて背が高くまあそこそこ面白いやつだったんですが、髪の毛がめちゃくちゃきつい天然パーマだったのでボクたちのあいだでは「(カップ焼きそばの)UFO」って呼んでたんです。まあ直接そのことを彼に言うことはなかったんだけど、あるときAくんがいないときに教室でだべっててボクが「UFOがよ~」って大声で言ってたら、他の友だちが「真人後ろ後ろ!」みたいな顔をするからなんだろうと思ったら後ろにAくんが立ってました。あれは気まずかったな~








って話をしてたら、ボクの目の前のひとが思いっきりUFOでした。

同僚のカイデー系の女の子に自重しろと訓告を受けました。


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