Monday, May 19, 2008

パーセプション

 日本語でおもしろいなあと思うところは、否定疑問文に対しての返事が限定されてしまうところだ。例えば美容院でシャンプーしてもらってるときって必ず「かゆいところありませんか?」と聞かれるけど、これに対して「はい」と答えても「いいえ」と答えても「かゆいところはありません」ということになってしまい、はい/いいえでかゆいところがあると言うことができないのだ。つまり「はい」の場合は「ありません」という文脈に対して肯定を示し、「いいえ」は「いいえ、ありません」という文法上の否定を表している。英語ではこの文脈での肯定否定が存在しないので日本語話者が返答するときについYes/Noを間違えてしまう。

でも今日ちょっと面白い例を発見した。英語で「手紙を書いてね」というとき"Don't forget to write."と言い、それに対しての返事は"I won't."である。これは"I won't forget to write."という文の省略だと考えて問題ないだろう。でも日本語で「手紙書いてね」と言われたら普通「きっと書くよ」と返すだろう。これを英語にすると、"I will (write)."ということになる。ネイティブではないけどアメリカの大学を卒業してるケイタに聞いてみたところ「両方言えるが、"I will"のほうは口語的ではないか」と言われた。しかしもちろん言語学者にとっては文法的かどうかということよりも、言うか言わないかのほうが大事である。ということはやはり英語にも否定で答えても肯定で答えても同じになってしまうことがあるということだ。これは面白い発見だと思う。


ボクらはつい色など視覚的な情報は対象の属性であり、痛覚、味覚などの感覚は対象の属性ではなく人間側が感じているだけだと思っている。しかしよくよく考えてみれば、画鋲が指に刺さったとき神経が刺激されその情報が神経を通って脳に伝わるのであり、花を見るときは可視光が眼球の視神経を刺激して脳に伝わるのである。だからすべての感覚、認識は対象の属性ではなく、対象と神経の電磁力的な相互作用に産まれたものなのだ。

そういう観点からすると、好きな子のオナラの匂いはまだ彼女の体内から発せられた分子が鼻の嗅覚を刺激することだからまだ直接的だ。しかしイスに残るぬくもりとなるとこれは分子の振動であり、まったくもって意味がないw


中野のカフェで道を歩く女の子を見ながらブログを書いています。いい日曜日だ。イリュージョンのバーテンダーに声をかけられた。一度家に帰ってから軽く一杯飲みに行くか。