Sunday, March 9, 2008

No title

正確には目撃ではないんだけど、学校の帰り道でいきなりドカーンて音がしたから横見たらタクシーとバイクが思いっきり衝突事故起こしてました。一瞬死んだと思ったけどバイクの人もなんとか体を起こしてたのでひとまずは安心しつつ即座に救急車を要請しました。最近携帯の電波が感度悪くて繋がりにくかったけど(;・∀・) 電話して1分で救急車が向かってきて、近くに消防署があるにしても早すぎると思ったらやっぱたまたま通りかかっただけだった。向こうは向こうで搬送中だったので、もう救急車呼んであることだけ話して待つことに。救急車到着まで8分弱。多分さっきの救急車が一番近くの消防署で、それが出ちゃって都内にしては時間がかかったのかな。8分でも一生懸命なんだろうし、俺は通りかかっただけなのでなんとも思わないけど事故に遭った人間にとって8分て長いだろうなあ。とりあえずそれで搬送してもらって俺は退散。ものすごく痛がってることはなかったから、たぶん打撲か、大きくても骨にひびが入ってるくらいで済むんじゃないかなあ。もちろん頭打ってるかもしれないし、精密検査をして無事であってほしいと思います。

ほんと携帯の電波の受信感度がすげー悪くなってて、家がほとんど圏外になってきた(笑 職場ももともと電波かなり悪かったんだけど、今じゃ完全に圏外です。この頃バッテリの持ちが悪いんだけどもしかしてこれって電波が悪いせいかな。電波弱いと探すためにバッテリ使っちゃうから。iPhoneにはあまり期待してないんだけど、それでも出たのをみてから決めたいし、そうじゃないならGoogleのAndroid搭載携帯がほしいから、今は変えたくないんだよねえ。

晩ご飯食べた後軽く1時間ちょっと眠っちゃう習慣がついて、ついそれから明け方まで起きていちゃう。食べた後寝ちゃいけないと思うんだけど、満腹になった後ホットカーペットで猫とごろごろしてるとつい寝ちゃうんだよね(*゚ー゚)

この頃オナニーするとき最初にみた動画か次くらいで抜いちゃって、あまりにあっさりしすぎてるなと思ってたんだけど、原因と対策がわかりました。最近のボクはオナニーするとき最初からオナニーすること前提でズボンをおろしてちんちんを握ってることが多かった。これだともう抜ける状況だし心も抜く準備ができているので、すぐに出してしまう。そうではなく、オナ禁してる気分でオナニーはしないよ?しないんだけどおっぱいくらいみたいよね、という気分でググる(あたり前だけどGoogleのイメージサーチのセーフフィルタは無効にしてある)。するとまあ勃起してくるしうずうずしてくるから、おまんこもみたいよね、そういえばあのサイトでexposureで検索してないんだった、とかしてるともう我慢できなくなって本格的オナニーモードに入る。それからオナニー始めると、助走距離があるぶんより気持ちよくなし、精液も勢いよく射精されます。これをオナニーの飛距離が伸びる、と表現しよう。自分でオナ禁を課しておいてそれを破るというオナニーコントロールすることでクオリティ・オブ・オナニー(QOO)の向上を計るわけです。

まあでもオナニーに限らずセックスでも一緒だよね。早く入れたい気持ちを抑えて前戯の時間は長くしたほうが最終的にセックスも気持ちよくなるし。ボクは単なるスローセックスってのにはあまり肯定的ではないけれど、それでも前戯が大切なのには変わりはない。というかセックスってのは前戯も含めてセックスだし、もっと言えばセックスを意識しない普段の生活からセックスへの複線を用意しておくべきで、付き合っていること自体が広義でセックスに含まれるようなセックスが最もいいのではないかと思います。

仮に宇宙が決定論的であったとして、宇宙全体をシミュレートすることは宇宙内ではできない。とすると、その「決定論的である」とは何を指しているのでしょうか。宇宙内で計算できない事象ならば、「理論的には計算可能である」とも言えない。だってこれは宇宙の大きさにかかわらず、「自己を含むシステム全体の挙動を予測するアルゴリズムは可能か」という問題に等しいですよね。当然(だとボクは思ってる)できないわけです。ペンローズは量子論を「決定論的ではあるが非計算可能なプロセス」と主張している(だからペンローズは実在主義者でありアインシュタインの流れなわけです)けど、宇宙全体が非計算可能的であるならば決定論を主張することに何の意味もないようにボクには思われます。というのは極端に実証主義に偏った考え方でしょうか。

てか、ボクは前まで決定論者だったはずなんだけど。以前は決定論かつ実在主義だったのから、非決定論かつ実証主義に考えが変わってきたようだ。では決定論かつ実証主義、または非決定論かつ実在主義、というのは可能だろうか。これから少しこのことについて考えてみよう。