Tuesday, December 25, 2007

サンドウィッチマン優勝おめでとう

M-1グランプリ2007は見事サンドウィッチマンが敗者復活から優勝を勝ち取って終わりました。知名度が低いってことはそれだけでマイナスポイントになるので、その逆境の中で優勝したってのはすごいことだと思います。芸風にバラエティが増え、今回も色んなタイプの漫才コンビが出てた中での王道漫才が逆にフレッシュ感を出せたのかもしれません。それにしても、本当におめでとう。これからが正念場とも言えるけど、今後も頑張ってもらいたいものです。

で、予選の段階で今年はサンドウィッチマンが優勝すると予想してた人間が果たして何人いるでしょうか。ほとんどの人は笑い飯、麒麟、せめてトータルテンボスくらいだったと思います。そんな中でサンドウィッチマンの優勝を予想してる人がいたらすごくないですか?惚れませんか?抱かれたいと思いませんか?

キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─ !!
わたくし見事サンドウィッチマンの優勝予想を的中させました!11月30日の日記参照)いやー外したらボクの超苦手な納豆で納豆ご飯を食べるというセルフ罰ゲームを課してのM-1観戦は手に汗握る思いでしたが、敗者復活→決勝→ファイナル→優勝というメイクミラクルを見せてもらいました。今後はサンドウィッチマンファンを名乗らせて頂きます。感動をありがとう!サンドウィッチマン!


ネットのニュースでファイナルで敗退したキングコングのインタビューを読んだんだけど、あれってどうなのかねー。
「悪いのは僕が書いたネタがウンコだったということです。キングコングが負けた原因は僕です」
「今日はクソ面白くない漫才をしてしまってすみませんでした」
って謝罪したみたいだけど、お笑いなんて水物なんだから同じネタやったってウケるときもあればウケないときもある、常に最高の笑いをとり続けられるコンビなんているわけないわけじゃない。俺はチュートリアルを崇拝するほど好きだけど、それでもすべってるときはすべってるし、全然面白さのわからないネタもいっぱいありますよ。それをね、ちょっとの差で負けたからってそういう言い方するのはちょっといただけない。だいたいボクは、ファイナル3組のネタでは僅差でサンドウィッチマンよりキングコングのほうが面白かったですよ。それともそれで笑ってた人間はクソみたいな漫才で笑うウンコなんですかね。去年のライセンスの敗退時のブログもだけど、どうも負けたときについロクでもないことを口走ってしまう人がいるようだね。漫才なんて本当の意味で勝ち負けで見てるわけじゃないんだから、負けても笑ってくれたファンに対しての、謝罪よりも感謝の気持ちの言葉がほしいものです。そうすれば次からも気持ちよく笑うことができるからさ。

昨日は夜6時にISM氏の部屋に集合だったんだけど、6時に家を出て渋谷に行って、コンタクトレンズを作ってから馬場でケーキを買って行ったのでずいぶん遅くなってしまった。夏に自転車で走ってるときに木の枝で左目をしたたかに打って、それ以来コンタクトレンズの調子が悪かったのですがついに半年経って作り直しに行ったわけです。やっぱ買い替えたら調子よくなった。今まで左目だけいつも充血してたのでよく心配されましたが、これでやっとモテるようになります。

M-1見た後は録画してあったこの前の爆笑レッドカーペットを見ました。今回はけっこうレベル高かったな。特に世界のナベアツの「3の倍数と3が付く数字のときだけアホになる」で腹筋がねじ切れるくらい笑いました。いやー知ってるネタなのになー。やっぱり番組の構成ってのは大事です。その後は数時間ほどエースコンバット6をやってから、AKT氏とST氏の3人でタクシーでうちに移動。

で、うちではまた朝までお笑いの動画を見続けてましたw ST氏は見た目がけっこうクールなのに、ボク以上に笑い上戸だったのが意外です。しかもボクのお笑いコレクションの中で、髭男爵鳥居みゆきを気に入るという、かなりコアなお笑い趣味だった(笑 確かに髭男爵は見れば見るほど面白くなってくるね。まあ間違ってもM-1優勝なんてありえないわけだけど、今後はもう少し売れるといいな。


日本人は無宗教だと言われます。まあ宗教を狭義での意味で考えればそうなのかもしれないけど、「宗教」でなくても私たちが生きていくってことは「信仰」と無関係ではいられない。ボクたちはいつも何かを信じて生きている(日本人が存在してると思ってるのも信仰の一つだ)。もっと言うと、人間が生きているってことは信仰するってことと同値だとさえ思っている。例えばボクたちは、それぞれの倫理観を持っている。人を殺してはいけない、嘘をついてはいけない、お年寄りを敬え…しかし、こういったものに「物理学的」根拠はない。こういったものはすべて社会上の制約、通念だ。それを守らなかった場合になんらかの報復を行うのも社会である。でもボクたちは多かれ少なかれそういった無根拠な倫理観や道徳観念を持って生きている。神を信じられないという人は、自分の好きなひとが殺されたときのことを想像してみればいい。人が死ぬということは細胞群が連携活動を停止し循環がなくなることだけど、そういった物理現象だからといって怒りや悲しみがなくなることはないだろう。その感情の根源は信仰にある。他者を愛するという信仰心が感情を生んでいる。だから倫理感や道徳観念という社会的感情は信仰心と同じだし、だからこそ倫理的な議論は扱いが難しい。

例えば最近オーストラリア政府が捕鯨に反対しているというニュースがあったけど、こういう問題にそもそも「お前らも牛食ってるじゃないか」という論理など無意味なのである。クジラは可哀想、という感情、信仰心が全てなのだ。その意味ではオーストラリア政府のやり方は正しいといえるだろう(ボクは鯨食文化なんてないから、取れなくても微塵も困らないしね)。ただし、それを人に押し付けることが正しいかどうかはまた難しい問題だと思う。現代にカニバリズムや人の生け贄の残ってる文化があったとして、それを固有文化の問題だとしてほっておくべきだろうか。多分ほっておくことはできないだろう。他人は他人だけど、その他人の文化が存在していること自体が自分の文化を侵害するような状況では必ず衝突が起きる。私たちは否応なく関わらざるを得ない、社会的生物なのだから。


ついにiPod touchをハックしました。やってみると簡単で、何度か手順を間違えてしまったものの3時間ほどで設定終了(多分やった人は、そんなにかからないだろ、と思うだろう。よかれと思ってファームウェアをあらかじめDLしといたり、スクリプトを手書きで動かしたりしたら失敗した。大人しくインストラクションに従えばもっとさっと終わるだろう)。さっそくいろんなソフトを入れてみたけど、これは感動的だね。iPod touchを買ったときもたいがい感動したんだけど、今回もそれに匹敵するくらい衝撃的でした。ゲームでは単なるパズルゲームだけじゃなく、Gセンサを使ってボールを転がすゲームとか絵を描いて動かすゲームとかtouchならではのゲームもいっぱいある。こうしてみるとむしろiPhoneという存在が厄介者なのではないかという気さえします。iPhoneが電話であるからこそセキュリティのためにAppleは独自のアプリをインストールすることを禁止したわけだけど、その結果デフォルトで販売されているiPhoneとiPod touchはとても面白みのない製品になってしまっていると言わざるを得ない。

いや、iPodからiPod touchへ移住したばかりのときは面白みがないなんてまったく思わなかったけど、ハックした後のiPod touchはそんな世界にとどまるものではないのだ。動画、音楽の再生、ゲーム、スケジュール管理、ネット、アドレス帳、計算機、メモ帳、辞書、アルバム、チャット…これはもうどっからみてもPDAである。しかもマルチタッチで扱う、触ってて気持ちのいい。そしてiPhoneという電話さえなければAppleは躊躇なくこうした機能を搭載してリリースしたであろう。「iPodが電話になりました」というのは確かに素晴らしく魅惑的な響きを持つ。だけど、そのためにデフォルトでインストールされたソフトだけを使い続けて満足できるのか、と言われたらボクの答えは明らかに「NO」である。そしてそれほどまでの能力を持ったiPod touchの性能の真価を発揮することを邪魔するようなiPhoneというのは、本当にAppleにとって正解だったのだろうか、と思うのである。(もちろん来年2月にSDKが配布されるのは知ってるけど、今出回ってるソフト以上にクールなものが出てくるのだろうか? まあ、そうなったらそれはそれで素晴らしいことである。ワオ!)


著作権法を改正して、違法コンテンツをダウンロードすることも違法になるという方向になりそうですね。ボクは、個人的には(すべての意見は個人的なものだと思いつつ)当然の方向だと思ってます。委員の中には「潜在的な犯罪者を作ることになる」「権利者が既得権にこだわっている」と言って反対してる人もいるみたいだけど、ボクから言わせたら、ダウンロードするまで違法コンテンツかどうかわからないとかむちゃくちゃな言い分だし、むしろ既得権にこだわってるのは、今違法じゃないから今後も違法にしたくないというほうじゃないでしょうか。潜在的な犯罪者というけれど、違法コンテンツが含まれてそうなのかどうかなんて少し考えればわかるし、むしろそういうことを考えさせるのもメディアリテラシに含まれることでしょう。知らずにダウンロードしてしまうかもしれないから違法にすべきではない、なんて虫のいい話はない。もちろん注意しててもたまたま違法コンテンツをダウンロードしてしまうことはありえるだろうけど、もしそれで犯罪として訴えられ、その結果犯罪歴が付いてしまうようならそれは日本という国がよほどの強権国家になったときであり、そんな強権国家にならないようにするには別の議論で行うべきで、違法コンテンツを使い論じる問題ではないと思います。あ、ちなみにボクはアナーキストです。


「通り」など地名や名前のローマ字表記の問題でたまにtohriを使うのかtoriを使うのかで議論になりますね。ボクが小学生の頃は長母音は上に^が付いてたけど、これはパソコンで入力するときかなり面倒なので今はあまり使われてません。で、最近はtoriを採用するほうが多くなってきてるようなんだけど、これがわからない。toriを採用したら鳥も通りも一緒になってしまうじゃないですか。ローマ字は外国語のアルファベット(=文字セット)なんだから、日本語を表記するのに完璧なわけないんです。というか、音声を表記するのに完璧な文字セットなんてありえない。例え音声学で使うIPA(国際音声字母)を使ったって、言葉のイントネーションなどまですべて表せるわけじゃないんだから。だからアルファベット表記というのはその言葉の最低限必要な弁別を持たせることが必要条件かつ十分条件なんです。でも「通り=tori」じゃその必要な弁別を備えてないと思う。日本語話者、そして日本語学習者ならtohriという文字列を見てトホリみたいに発音する人はいないでしょう。特にあえて日本語をローマ字表記してる環境ってのは日本語話者以外に向けてることが多いわけで、そのときに日本語話者の持っている弁別特性が現れていることは非常に大事なことだと思います。似たような理由で、健一みたいな名前もほんとはKenichiじゃなくてKen-ichiとするべきだよね。

今書いてて気がついたんだけど、ボクは「表す」の可能を「あらわせられる」と言うことにあまり違和感を感じないようだ。というか自然だと感じる。規範文法から言えば当然「表せる」のところだ。ちなみに、日本語の動詞の活用には子音で終わってる子音動詞(五段動詞だ)と母音で終わる母音動詞(五段動詞以外)があるけど、国語辞典というのは子音で終わる子音動詞であっても日本語の文字で子音のみを表すことができないおかげで、「読める」のような明らかに「読む」の活用形まで一つの動詞として載せている。ローマ字表記なら、yom-er-uなので、すぐに動詞+可能助動詞+活用語尾だとわかるんだけど。しかもその理屈に従えば当然「走れる」(hasir-er-u)なども載っていないといけないわけだけど載っていないという矛盾した状況になっています。ま、この矛盾を解決するためには国語辞典がローマ字表記を採用して利用者が日本語の音韻表記の原理を理解している必要があるので、かなり難しい話ですが。
<<<リーダーズ・プラス>>>
sloppy seconds <<俗>>
-n.
ぬれぬれの2回戦((1回目の性交が終わったばかりでまだぬれているうちに再び行うこと));一人の男とセックスを行いすぐに別の男と寝ようとする女[娘].
ぬれぬれの2回戦て。リーダーズ・プラスって語句の説明だけじゃなく、そんなん聞いたことねえって訳語を無理やり作ったりするから好きです。


今日はクリスマスイブですね。クリスマスをお祝いするかのように風船クラブの絶叫熟が出ましたので、恒例ですがお気に入りの部分のセリフを引用してみましょう。
ひぃいい! 駄目っ精液っ 出てる!
子宮!奥っ! あついっ!
んぉおおおお 中出しされてぇ イクぅううううっ
んぁああ! また!デカチンが来たぁ!
ひ… 子宮圧される! つぶれる!
んぉおおお クリしごき すごぉおお!
ふぅおおおおっ ち○ぽ!みんなの生チ○ポぉおお!
気持ち良いぃ! もっとハメて! 突いて! ズボズボしてぇ
あーーーー クリトリスもぉぉ いじめてへぇええーーーー
おおおおおおおおおっ
あああああああーーーー
イグッ うぁああああ!
絶叫熟 (真激COMICS)
風船クラブ
というところを読みながらオナニーして射精した、というのが私の今年のクリスマスイブです。

May your days be merry and bright.