Saturday, October 20, 2007

No title

ユーザーイリュージョンを読んでいたら次のような記述がありました(挿話はベン・シューマッハーのもの。長いのでかなり省略して引用)。
一人の貧しい学生が、故郷を遠く離れて大学に行くことになった。
両親は毎週日曜日の四時に無事を知らせる電話をかけるように息子に言う。
息子は、そんなに家に電話をかけていたら高くつくと反発する。
そこで三人は一つの解決策で折り合うことにした。
息子は困ったことがある場合だけ、日曜の四時に電話をかける。
電話がなければ、それはすべて順調ということだ。
こうして学生はまったくお金をかけずに、日曜ごとに親にメッセージを送る。
~~
<外情報>を伝えるのに、情報はまったく必要ない。
例の学生は「今週は何もなかった。とくに話すこともない。電話はかけないでおこう」と思う。
彼の両親は「息子は宿題をすませてフットボールでもやりに行っているのだろう」と考える。
情報はいっさい使わずに<外情報>が伝わったのだ。
ヴィクトル・ユゴーと出版者もこれにはかなわない。
世界で一番短い電話の会話は、常時交わされている。

うーん、これって俺が「世界一短い手紙」で書いたこととまったく同じだ。やっぱ世の中同じことを考える人はごまんといるもんですね。それはともかくとしてこの本めちゃくちゃ面白い。意識の哲学と情報理論が非常にハイセンスに融合し、久しぶりに読んでいて興奮する人文書だ。こういうの読んでると、1950年以前のことを対象にした哲学がいかに死んでいる分野かがわかります。


ボクはテレビを持っていないんだけど、なぜかというと本質的にボクは「マスメディアが大嫌い」なんだよね。大学入ってからマスメディアをかなり意識的に遠ざけていたせいで、自分がなぜテレビを観ないのか忘れかけていました(笑 マスメディアの全てが嫌いなわけじゃないんだけど、マスメディアが本質的に持つ「情報の偶像化」にボクは強い嫌悪感を抱いている。ボクはできる限りすべての情報をフラットに受け入れるようにしている。例えばボクは浜崎あゆみをものすごく美人だと思っているけど、日本一だとも東京一だとも思っていない。たぶん同レベルの美人は日本に数千人以上、もしかしたら1万人くらいいるかもしれない。だけどマスメディアというのは、そういうことを捨象して特定の個人に美人性を集中させる装置なのだ。

ボクには偉いと思う人間はいない。すべての人間が自分と同等の立場だと思っている。ただその場限りの役目があって、その中では上下関係が作られるのである。だから大学内では先生は偉いと思う。ボクが学生である限りは先生を敬うだろう。その意味でボクはたとえ総理大臣と話すことがあっても、偉いともなんとも思わないで話をするだろう。だって、ボクにとっては大臣だろうと何だろうとうちの親父と同じような年齢のおっさんでしかないしね。だけどマスメディアという装置にかかると、なんでもない人間がまるで「偉い」かのように映し出されるのだ。和田アキ子という人が「芸能界のご意見番」と言われているけど、どんなに考えても彼女はただの歌手でしかない(ちなみにボクは彼女の歌はけっこう好きだ)。だけどなぜか「ご意見番」と祭り上げられてしまう。そして世間はおばさんが普通のことを言ってることをさもご神託のようにうやうやしく頂くのである。自分の本分と関係ないところでもてはやされるようになったらそれはたんなるマスメディアが作った虚像でしかない。神話作用全開。

ボクの座右の銘は「芸のない人間がタレントと呼ばれ、最も芸のない人間がマルチタレントと呼ばれる」です。

昨日扇風機をくれるというのでISM氏の家に行ったときにテレビで初めて今の総理大臣を見ました。確か名前に福が付くひとだったと思います。


沖縄でソープランドで火事が起きてソープ嬢が二人も亡くなりましたね。2chを見てみると案の定あれこれ騒がれております。こういう反応はボクが社会的ルサンチマンと呼ぶものであり、はっきり正直に言ってボクも、亡くなった人にはとても申し訳ない話だけど、「ざまあみろ」的な感情を持っています。死者を貶めるような行為は謹むべきですが、ボクらがそういった感情を持ってしまうこと自体はどうしようもないのです。人間の社会はまったくもって矛盾だらけで構成されている。そしてみんなそういった矛盾のほとんどを無視しているのですが、いくつかの矛盾だけがどうしてもひっかかってしまうことがある。例えばボクは少年法が持つ矛盾(なぜ18歳の誕生日の前後で刑罰が大きく変わってしまうのか)にはそこまで大きな意識を持たないでいるのだけど、性産業、性犯罪関係の矛盾だけはものすごくボクの深部と結びついていて無視することができない。ボクはソープ嬢を憎んでいるし、亡くなったソープ嬢にプギャーと思っている。だけど同時に彼女らを貶める発言をする人間に対しても怒りを感じる。なぜならボクは性産業に直接的に従事する人間を愛していているからであり、憎んでいるからであり、つまりは彼女らはボク自身なのである。