Sunday, October 21, 2007

MacOS X v10.5 Leopard

評価:
アップルコンピュータ
¥ 14,800
ボクの使ってるFirefoxくんはメモリを解放してくれないんですが、どこがおかしいんですかね。調べてみてもメモリリークが起こるのは1.5系で、今の2.0系のことは書いてないんだけど。設定から全部削除してクリーンインストールしても状況変化なし。同僚二人のMacBookもCore Duoでこんなこと起きてないからボクだけなんだよなー。Firefoxがウィンドウいくつか開いただけでCPUを使い切るって問題は、Intelに最適化されたビルドを使うことで解決しました。ここ最近悩んでいたFirefoxの遅さから初期のSafari並の快適さを取り戻した感じ。

26日に発売されるLeopardですが、ボクはソフトをかなりいっぱい使ってるからどのタイミングでインストールするか悩んでます(予約はした←バカ)。Firefoxなどメジャーどころはすぐに対応版が出るとして、メッセンジャ関係とかが困るところです。

iPod touchもハック成功して2chなどでは該当スレがかなり盛り上がってるけど、ボクがやるには下調べに時間がかかりそうだし、脆弱性を利用している以上次のアップデートで使えなくなってしまうので今回は見送り。来年の2月にSDKが配布されるので、サードパーティから魅力的なソフトが出てくることを期待しよう。


ISM氏によくいいひと系だと言われますが、何も理由なくいい人でいるわけではないのです。ボクは「強い決定論」にかなり近い立場です。強い決定論とは、あらゆる事象は物理的に決定しており、宇宙はその運命に従って粛々と進むという考え方なわけ。もちろん量子論の誕生によって物理も確率的な事象であることが判明し、この意味での強い決定論を言ってる人は、今ではほとんど存在しない。人間の意志と物理現象は違うものだとして、世界は物理的であるが意志の自由を認める立場が弱い決定論です。ボクは昔はこの弱い決定論だったんだけど、最近は「意志の存在」にかなり懐疑的です。どれくらい懐疑的かというと、デカルトの「我思う故に我在り」というのが間違ってると思うくらいです。思っている自分の存在だってじゅうぶん疑える。むしろいないんじゃないか。そのような考えなので、世界に認められた非決定性は量子論の認める範囲に限定される。これは古典的な強い決定論ではないにしろかなり近い。しかし矛盾してるのだけど、自分の哲学的な立場はそうでありつつも、ボク自身は決定的な世界に従いたくない。それがどんなに決定的な思考だとしても。

ゲーム理論で最も有名な話に「囚人のジレンマ」というものがある。詳しいことはWikipediaを見てもらうとして、一言で言ってしまえば「話し合いのない状況で、協力しあえばお互いの利益になるのに、自分だけの利益(または自分だけ不利益になることの回避)を求めると、お互いの最適な利益にはならない」状況を言います。ボクはこの世界において、例え自分が不利益になっても、さらにいえば全体的な効率に貢献しなくとも、ナッシュ均衡だけは避けたいのだ。神の見えざる手に動かされたくないのです。個別の利益を追求することをボクは否定しません。すべての善は利益に基づくものです。ただし、全員が自分の利益だけを追求するとシステムはしだいに単一的になり、宇宙の熱的死に似たような社会的熱的死を迎えることになるでしょう。たとえ宇宙がいずれ熱的死を迎えるのだとしても、ボクは少しでもそれに反抗したい。だからボクは牛乳パックを洗い、落とし物を交番に届け、電車の席を譲り、道で傘を貸してあげ、エアコンを使わないのです。つまりボクは元からいい人なのではなく、社会に反抗するつもりで行ってる行動がいい人と捉えられているわけです。

昨日は3回オナニーしたので今日はお休みの予定。