Thursday, September 6, 2007

バーテンダー 9 (9) (ジャンプコミックスデラックス)

マンガってのはたいてい読んで楽しむエンターテイメントとして存在してるけど、バーテンダーはエンターテイメントとしてかなり完成しているマンガだと思う。ボクはどうもこれ系の「いい話」に弱く、かなり感動してしまう。主人公の佐々倉がホテルのバーに移ってホテル編が始まったわけだけど、ボクはバーマンガも好きだけど昔からホテルマンガも好きなのでこれは嬉しい展開だ。

しかしこういうマンガの登場人物ってさ、異様に記憶力がいいよね。お酒とか自分の専門に関することだけでもすごい記憶力なのに色んな本の引用をすらすら言えたりどこで誰にどういう状況で会ったのか覚えてたり。まあマンガだからできることなんだろうけど。ボクも真似したくてたまに文学作品を読んで、気に入ったフレーズがあったら何回か音読して覚えようとするンだけど次の日にはすっかり忘れてます。試しに一つ漢文を思い出してみよう。
春望 杜甫
国破れて山河あり 城春にして草木深し
~~ 花にも涙を注ぎ ~~ 鳥にも心を驚かす
ほうか三月に連なり 家書万金にあたる
白頭かけばさらに短く 全て真にたえざらんと欲す

正解

春望 杜甫
国破れて山河在り 城春にして草木深し
時に感じて花にも涙を濺ぎ 別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり 家書万金に低る
白頭掻けば更に短く 渾て簪に勝えざらんと欲す
うーん、意外といいとこ行ってんだけど、最も覚えてるのでこれだからな。特に2行目の「時に感じて」と「別れを恨んで」がなぜだか全然覚えられない。百人一首も未だにがんばってるんだけど、ちゃんと覚えてるのは20首くらいかなあ。上の句言ってくれれば自然と下の句が出てくる、というのはもうちょっとあるんだけど。

記憶力というのには中学生の頃から興味を持っています。ボクは手持ちぶさたになると指回しをよくしてるんだけど、これは中学生のとき読んだ本に、指をよく動かすと脳が活性化して記憶力がよくなるということが書かれていたからです。たしかニュートンだったと思うけど…。ボクが中学生のときからペンを左から右に持ち替えたのも同じ雑誌の影響だったと思う。ただ自分の記憶力を鑑みるに、あまり効果がないような気もするけど…(笑 まあやってなかったらもっと悪かったのかもしれないしね!

しかし利き手というのは本当に不思議ですね。ボクはもう15年も右手をなるべく使うようにしてるし、右手の運指やストレッチは毎日欠かすことがないのに結局右手はものすごく不器用なままです。ここまで右手がうまく動かないのは脳の問題じゃなくて右手の神経が足りてないんじゃないかと思うくらいだ。

そういやなぜかオナニーだけは右手でがんばったことがほとんどないんだよな。ボクにとってオナニーというのは人生の楽しみのうちかなり大きな部分を占めるものだから、それを右手でするという実験に費やしてそんなに気持ちよくないオナニーをしてしまうってのはどうももったいない。でもせっかくだから、今日から前半は右手でちんぼしごくことにします。


ボクの感情の大半はルサンチマンで構成されていると書いたけど、思うに社会というものの成立もルサンチマンによっているところが多いのではないかな。宗教はもちろん「神は死んだ」とニーチェが言うように善悪の根源から結局ルサンチマンによるものであって、神は集合的ルサンチマンの塊でしかない。しかし宗教に限らず法律や経済システムもすべてルサンチマンが関与していると思って間違いないだろう。

ボク自身はルサンチマンの権化のような人間なのであるけれど、ルサンチマンを乗り越えているような人間、女性にボクはものすごく魅力を感じる。正確にいうとルサンチマンは乗り越えることができない。あるものに対してルサンチマンを持つように育った人間は多分生涯その呪縛から逃げることはできない。ボクは風俗などの仕事をする女性にルサンチマンを持っているが、この先どのような経験をしようとこのルサンチマンがなくなることはないだろう。強くなったり弱くなったりすることはあるだろうけど。だからルサンチマンを意に介さない女性は最初からそのような環境で生きていないのである。

例えば風俗で働いたりAVに出る女性に対して、蔑視的な反応とともに「きっと将来後悔するよ」というものがある。ボクはこういうタイプの考えはほとんど持たないんだけど、これはかなり典型的な社会的ルサンチマンだ。風俗で働くと後悔する、というのは忠告なのではない。これは、 「風俗で働く人間は将来後悔してほしい」という願望なのである。そして後悔する人もいるのだけど、後悔する人はもともと同じ価値観を持っているルサンチマン側の人間なのだ。AVに出たことがある時点で社会はルサンチマンを抱く。そしてその女性が後悔することで、社会は自分の忠告によってその女性の価値観を変えられたと錯覚し、「溜飲を下げる」のである。ああなんという自己満足と自己憐憫のダンス!

だから自分をいい気持ちにさせてくれる「後悔する風俗嬢」に社会は優しい。そして当然後悔しない風俗嬢は社会の異端であって、最も排除すべき存在なのである。だけどそのような女性は社会のルサンチマンとは別の価値によって生きており、誰もその価値を本質的に否定することはできない。つまり人とセックスをして金を稼ぎ、それに後悔しない人間とはまさにニーチェのいう「超人」なのである。もしいるのなら、ボクはそのような女性と付き合いたいと思う。しかしやっぱり最終的にどこかで後悔してほしいと願うルサンチマンも持っている。

ここで「神は死んだ」と同じように「まんこは死んだ」と言うことはできる。しかしニーチェ以降神が信じられなくなったわけではないように、まんこの起源が明らかになったところでまんこはまんこであり続けるだろう。だからボクはまんこを憎しみとともに愛し続けるのだ。すべてのまんこに幸あれ。