Wednesday, August 15, 2007

No title

えー、メッセージはありがたいのですが、(気づいてる人は気づいてると思うけど)彼女とは数カ月前に別れてるので、生傷をえぐらないようご注意願います(笑

ヒマだし明日から突如名古屋の実家にでも帰ろうかと思ったら、ケータイに親から留守電が入ってて「明日明後日と出かけてるから、頼まれてた書類はその後送るねー」と入ってた。あぶねー。ボクは実家に帰るときたいてい連絡を入れず直接帰るんだけど、危うく実家の前で立ち尽くすハメになるところだったw

料理動詞について書いたけど、よく考えてみれば「作る」系の動詞はたいてい結果が目的語になってるんだよな。「壺を作る」も「作った結果が壺」だと言える。「家を建てる」も「建てたものが家」なのであって、家や壺があってそれを対象にする「壊す」「叩く」などの行為動詞とはちょっと違う。料理動詞、作る動詞に共通しているのは変化を伴い、その変化の後を目的語にしていることだろう。「家を建てる」とは「木材を組み立てることで家に変える」ことだ。反対に、「壊す」は変化を伴ってもその変化の前を目的語にしている。だから「家を壊す」のは「家を解体することで廃材に変える」ことになる。この変化の前に注目する動詞と後に注目する動詞の分類は面白いと思う。これに注目した論文てあるだろうか。

前に「本名は戸籍上の記号であって本当の名ではない」と書いたけど、本当の名ではないからどうでもいいのか、というとそれは違うとも思う。そもそも名前の役割とはなんなのか。個体識別のためだけにあるわけではないことは明白だ。個体識別だけに使うなら番号割り振ればいいし、そうじゃないにしろ同姓同名を許すシステムは不完全だ。もちろん住所や本籍などの情報も個人を構成する要素だと考えればそれらも名前の一部だといえるが、逆に個体識別のためにはそれらの情報だけで行うほうがシステマティックであり、むしろ「名前」などという情報は不要だ。そう、最初から名前や記号は論理的には必要とされないものなのだ。そこに名前の秘密が隠されている。

遺書を書こう書こうと思いつつ今だに書いていない。もちろん当分死ぬつもりなどないのではあるけれど、遺書を書いて自分が死ぬことを身じかに考えることで人は生きることにもう少し真摯になれるのではないだろうか。明日死ぬ自分に恥じないように今日を生きたい、と思います。ボクが死んだら、そうだな、エロ動画が見つかるのはいいけど…自分で撮ったオナニーの動画だけは見ないで削除してほしいかなw


目に染みる光が
街を少しずつ思い出に変えてゆく
今はまだ 原色のまま

2 comments:

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    Dowty、Levinってけっこう大物も注目している現象なん
    ですね。
    自分の不勉強さを暴露しているようで赤面の至りです。
    しかしとても参考になります。
    bake、日本語でも「焼く」は確かに両方の意味がありますね。
    結果構文と結果述語の勉強をもうちょっとちゃんとして
    みたいと思います。ありがとうございましたm(_ _)m

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    こんにちは。はじめまして。
    いつも楽しく拝見させていただいているものです。
    突然の書き込みで失礼かと存じますが、料理動詞についてお書きになっていたので、ご参考になればと思い、私の知っている文献を挙げたいと思います。目的語が動詞の行為の結果となる現象というのは、ご推察のとおり意味論、特に語彙意味論に多いかと思います。例えば古くはCurmの「結果目的語」に関する記述ですとか、Dowty(1991)とかLevinの小論(HP上)、中右(1994)、Pustejovsky (1995)なんか主だったものかと記憶しています。Pustejovskyなんかはbake a cakeとbake a potatoの例で、前者は目的語が結果物となり、後者は行為の対象となっているため、前者のbakeは作成動詞、後者は状態変化動詞と異なっている…云々かんぬんと述べています。うろ覚えで申し訳ありませんが、ご参考になれば幸いです。

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