Friday, August 10, 2007

人間の認識能力の特徴

早くも小島義雄に飽きてきてしまった。ナムナム(-人-)

最近ブログパーツのチャットでメッセージを送ってくれるひとがちょこちょこいてくれます。なんて無駄な時間をお過ごしで、と思わないでもないですが、とてもありがたいです。ログインしてるのをみかけたらぜひメッセージ送ってくださいね。(今んとこ日本語の書き込みに問題がありますが…もし同様のサービスで日本語可能なものを知ってるひとがいたら教えてください)

あんまり暑くて部屋で猫がとろけてます。

やっとのことでiWork '08が出ましたね。まだ買うかどうか迷ってますけど。正直Pagesって普通の文章を書くにはいいけど、フォーマット的な文章作るにはやっぱWordのほうが作りやすいんだよね。しかし前から噂のあった表計算ソフトNumbersが加わったので試用版DLして試してみようとは思ってます(表計算超苦手なんだけど)。

Procrastination: Ten Things To Knowという記事を読んでみたんですが、これの9番目はボクがこの前書いた「優先順位は付けないほうがいい」という考え方と一緒ですね。コストって考え方も。実際ボクは常識外れにとんでもないProcrastinator(先送り屋)なので、耳が痛い記事です。しかも直すためには認知行動療法が有効とか書かれてるんだけど、逆に言えばボクも認知行動療法を受ける必要があるってことですかね…? いや、ボク自身自分のprocrastinationぷりが病的だとは思ってるんですが…

数学とは人間が作ったものなのか、自然にある数学を人間が見つけ出しているのか、というのは難しいけど興味深い問題だと思います。個人的には両方だと思ってるんですけど。ただその「両方」というのが説明しにくい。自然数の権化みたいなクロネッカが天国で聞いたら激怒しそうですが(いや、ボクのような妄想家の言葉は聞かないか)、自然数が最も人間の作為的数だと思う。

例えば好きな(任意の)数を言え、と言われたときボクらの回答可能な答えは「あらゆる数」から選ばれたものではない。数の空間の中の無限小と言えるほど小さな部分からしか選ばれない。任意の一つの数は、数が無限であるがゆえに選び出せないはずなんです。なのに選べてしまう。これは人間の数の認識がかなり特殊であることを示している。

ボクのイメージでは、全ての数を表す世界は全方向に無限に広がる何もない空間です。自然数というのは、その空間の中である任意の点を出発点として引かれた一本の直線に過ぎない。そしてこの空間は、「1+1は0である」ということを公理にした数学も含んでいる。つまりこの空間内ではすべての操作が許されている。その中で人間が理解可能なものだけが人間に与えられた数学なんだと思います。数の種類や公理、定理はこの空間に描かれた模様のようなものだ。

だからこの空間は人間に理解できない数学や論理というものを暗示している。人間の論理の向こう側のものだから、「ある」とか「存在する」ということはできない。ただ、これは本当の妄想で、こんなこと言うのはトンデモと同レベルだけど、意識の問題はそこに関わっているのではないだろうか。意識があるとは誰にも証明できない。それでもボクらは、少なくともボクは意識があると思っている。意識は幻覚かもしれないけど、意識が幻覚ならばすべては幻覚であり、世界に事実は存在しなく、ゆえに事実という言葉も意味をもたなくなる。だから意識の存在を疑うことはトートロジーか矛盾を引き起こす。この唯我性を数学的に表すことはできないけど、それは人間の思考能力の限界の向こう側にある事象だからかもしれない。

例えば不完全性定理は(大ざっぱに言って)数学の限界が示されているけど、これも「人間の数学」の限界なのではないでしょうか。紫外線を見ることのできる動物の世界の見え方を人間が体験することはできない。時間の流れを感じる感覚器を生物は持っていない。私たちは私たちの「見え」でしか世界を見ることはできない。この宇宙では光速は約毎秒30万kmだけど、別の宇宙では違うかもしれない。いや、光速度不変が保たれているかどうかもわからない。同様に数学が成立するということの基準が違う世界があるかもしれない。

「ある」ってなんでしょうか。「ある」ものはあるのか。「ない」は多分人間の作った概念、幻覚だと思います。「ない」ものなんてないんです。消しゴムがない、なんて状況は世界にはない。「ない」は「ある」の裏側としてしか成立しない、非自立的な概念です。

量子力学は(たぶん物理学者はあんまり哲学的な議論に意味を見いださないけど)存在を確率的なものだとしますが、これはかなり(ボクの妄想に)近い。例えば光は直進するものだと考えると、一つの矛盾が起きます。光速で動くものは時間が流れないので、Aを出発した光子が意識を持っていたとすると(でも時間が流れないから何も意識できないんだけど)光の観点では宇宙を無限の時間をかけて移動していることになる。そしてBに到着するまでに無限の時間をかけているんだから宇宙のあらゆる場所を通ったといえる。光がAからBに移動するために宇宙のあらゆる場所を通ってこないといけない。これは「光は直進する」ということと矛盾します(←書いてるうちに自分の勘違いに気がつきつつあるけどそのままにしとこう)。

ところが量子力学は「光は直進する」ではなく「光はあらゆる経路を通る」のほうが正しいとする。ただ、直進の経路は存在する確率が高く、それ以外の経路は圧倒的に低くなるので実際に観測されることはないだけです。いきなり哲学的妄想な言い方をすれば、あらゆる存在は宇宙に薄く広がっているのです。

そのような観点で存在を考えると、「ある」というのは実際には時間的にも空間的にも固定されていない。つまりボクらが普段考えている「ある」さえ幻想かもしれないわけだ。宇宙に広がっている存在の膜を一点の「ある」にあらしめる機能、全数空間の中で特定の「数」を抜き出す機能が人間の持つ認知能力の最大の特徴なのかもしれません。

というのが質問へのお答えになります。