Tuesday, July 24, 2007

見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ

(added 18:00) Sorry, i didn't notice comments from a chat on the side (about pics on my blog). If you read this, plz contact me again. Thank u.

ついにルイス・ハミルトンの連続表彰台記録が途絶えてしまいました。ざんねん。今回のヨーロッパGPは出走直後に土砂降りになって、同じコーナーにハミルトンも含めて4台か5台くらい連続して突っ込んでくるというちょっと見かけない光景があった。マシンが次から次へとスケートリンクを滑るように突っ込んでくるのをみて爆笑してしまった。ボクはレインコンディションのレースってあんまり好きじゃないんだけど(たいていはそうか)、ここまでくると笑えてくるわ。ハミルトンはなんとクレーンにコースに戻してもらってから続行。しかしハミルトンは予選でクラッシュしてスペアカーで走ってる上にスピンと最悪なGPでしたね。あれでよく最後まで走ったもんだ。

ライコネンは途中でマシントラブルでリアイア。インタビューで「油圧系統か電気系統に問題があったんだ」と言ってたけど、そりゃあマシントラブルっていやーたいていどっちかですなw マッサもせっかく湧いて降ったトップだったのに、あっさりアロンソにパスされてやんの。もうちっと踏ん張らないと来期契約更新できんくなるぞな。マッサはフェラーリ似合うからもちっと乗り続けて欲しい。むしろやっぱ未だにライコネンが似合わないよなあw

ボクはF1が好きで、テレビ付けるのはF1見るときだけなくらいだ。だからスイッチ入れるとチャンネルがフジテレビのままになってます。だけどいつも気に入らないのが、佐藤琢磨への過度の応援なんです。本人はすんげーがんばってるんだろうし、メカニックも必死なんだろうけどそれでもいつも下位かリタイアなわけじゃない。そんなもん今回は何位ですね、くらいのコメントで上等だ。しかしそれでも今年はましになったほうかな。去年は最下位走ってるのに「見よ、これが大和魂だ!」とか言ってたからね。本気で脳みそ腐ってるのかと思った。

ボクはそういう無意味な愛国主義を最も嫌悪していて、まずもって日本人という言葉も使わない。ボクが日本人であるのは国籍が日本であるからであって、それ以上の根拠は何一つない。ボクは自分が日本文化を持っているとも思わないし、日本語を話しているとも思っていない。お互いだいたいの状況において通じてるというだけで、同じ言葉を話す人間なんてどこにもいない。日本語なんて実態のない概念です。

すべて日本の名を付くものを否定したいのではなく、ボクの経験できるものしかボクの中にはない、と思うんです。京都に行ったことのない人が京都を日本の誇りと言ってるのが馬鹿なんじゃないかと思えるんです。経験してるものなら名古屋の赤味噌とか誇りに思ってますけどね。行ったこともない場所、話したこともない人間を同じ国土というだけで仲間と思うのはどーかと思います。

もちろん人間は帰属意識を(多分)本能的に持つ動物だからある種の愛国精神は当然なんだけど、自分が日本人だと思って疑わない精神は本当に幼稚だと思う。日本人だから米を食うんじゃない、米を食うから日本人の家族的類似性の一つを持っていると言えるんだ。こんなのあまりにもあたり前のことなのに、未だにナショナリズムが信じられているのは驚くべきことだ。

ボクの先生の一人は西欧国籍だけど無宗教かつ反愛国主義で、そこらへんがボクと相性がいいのかもしれない。日本には宗教と聞いても鼻くそほじりながらふーんという人が多い。否定したいわけでもないし、ただどーでもいいとしか思っていない。これはボクは素晴らしい感性だと思う。だからナショナリティに関しても同じように思うようになるといいんだけどな。国籍という情報が、現在の国内の出身地や居住地と同じくらいの意味しかもたないようになる時代が早く来ないかなあ。

でもユビキタス化はあと10年から20年で一気に進むと思うけど、ナショナリティフリー化は100年経ってもなくならないだろうな。


ボクは選挙権を持って以来8年間で一度も自分の選挙標を見たことがないくらい政治に疎い人間なんですが、多分一番政党で近いのは共産党だと思う(見りゃわかるか)。ただ共産主義はダメだと思うから、もしあえて言うなら世界政府主義者に近いのかもね(日本の共産党は共産主義じゃない、という話もありますが)。それとも人間はある程度どっかで戦争が起きてるくらいの摩擦がないと動かないのかな。日本国内ではうまくいってるように思えるけど、歪みを外に逃がしてるだけの可能性は十分ある。

祖父が坊主で、父親が元キリスト教で、母親が共産党だとこういうひねくれた考えの人間ができるんでしょうか。ワイドショーが何より嫌い、テレビドラマは見ない、というのは確実に親から受け継いだ性格です。


浜崎あゆみが恋人と別れたことで俺の番が来た、と思っているんですがどうすればいいんでしょうか。ラブレターでも出してみるべき? しかし昔から思ってることなんですが、週刊誌でも「恋人との離縁」と「離婚」では扱いがまったく違いますよね。しかし一体その二つの間に何の違いがあるというんだろうか。

結婚前だってセックスするし、当然子供だってできるし、セックスレスでも結婚できるし、結婚なんてものは現代日本(または近代国家)では単なる書類上の手続きでしかない。書類は単に社会を構成するために必要なものであって、実質ではない。そもそも現代人類学では既に結婚を定義しようということが無意味だとされる。そんなもんは個人個人が違う言葉を話しているのに「日本語はこうだ」と定義するようなもので、どこかで反例が見つかるに決まってるからだ。

だからボクは付き合うことと結婚することの区別をほとんど持っていない。もし付き合ってる人が「これハンコ押しといて」と婚姻届持ってきても何も考えずに押すだろう。税金の問題があるから多分親に話すけど。ボクにとって結婚と恋愛の違いは税金の関与の有無だと言える。

戸籍に書いてある名前が本名じゃないと前に言ったけど、あまりにもみんな戸籍というものを重視してるんじゃないだろうか。戸籍はただの情報管理システムであって、それ以上のものじゃない。

性同一障害の話でも同様のことをよく思います。ボクは肉体的な制約からの解放は人それぞれだと思うから、性転換手術は全然いいと思うけど、なぜ戸籍の性別を変えなくちゃいけないのかがわからない。もしボクが戸籍上女になってて困るのは税金のために結婚したほうが得になるときだけだけど、性同一障害の人の談話によくあるのが「自分は国に~性として認めてもらえないのか」というものです。国になんて認めてもらう必要ねーじゃん、と思う。自分と自分の周りが認めればいいのではないでしょうか。ボクは戸籍を取り寄せてみたら実は名前が鼻穴太子、性別が女性、年齢が思ってたより2歳上、両親とは遺伝上の繋がりはない、となっていてもなんとも思いません。そんなのは単なる管理記号であってなんの意味も持ちません。

記号はときに意味を持つものだけど、管理記号はただのナンバリングと変わりない。hydeという身体があるのに身長がいくつか議論するのなように、数字自体が意味を持つわけではないのです。
真実を知るには 此処にいても見えない
真実を知るなら 此処にいてはいけない
真実を 真実を 真実を 嘘を 嘘を 嘘を
BUCK-TICK "見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ"

モスバーガーでシルバーアクセサリを磨き始めたら終わらなくなって、2時間くらいひたすら磨いてたら指先の感覚がなくなった。


それでは実体とは何か、という問いは有意義なものだと思うけど、それは単に実体もデータだけど扱う量があまりに多すぎるので普段見てる情報とは質が違うように見えるだけ、という可能性がある。でももしかしたら本当に質が違うのかもしれない。実体はデータそのものとなっているのか、それとも実体/データ/情報は離散的なのか。これはこれからの研究が期待されるところだと思う。


ボクはちんぼがあることをけっこう気に入ってるので性転換するつもりは今のところないけど、女だったらぜひ二本挿しを体験したいですね。まんこにちんぼがはいってるという感覚は男には想像できないものではあるけれど、さらにその状態でアナルにもちんぼ入ってるってのはどんなんなんだろうなあ。あと中出しされるときの感覚も感じてみたい。それとか興奮すると子宮が降りてくる感じがわかるってのもぜひ感じたい。見た目だけじゃなく、感覚としても女のほうがエロくできてる気がします。あー女だったら二本挿しされてる状態で精液ぶっかけまくられたーい。

ボクが女だったら、ですよ。

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