Monday, July 23, 2007

戸山公園のヘビ

戸山公園でヘビ捕まえました。

150cmくらいあったのでシマヘビとしてはそこそこ立派な成体だと思います。久々のヘビ捕獲だったので油断して咬まれてしまいました。花壇の奥に隠れていたのでそこから出そうとしたらガブリ(当然手を入れる前に毒のないシマヘビであることは確認してる)。しかしボクはヘビに咬まれたり蜂に刺されることをあまり意に介さないです。昔から何回もヘビに咬まれてるし、素手で蜂を捕まえてよく刺されます。マムシも普通に捕まえられますが、さすがにマムシのときは事前に準備をしてから捕まえに行きます。

このヘビ君は民家の近くをうろちょろしてたので捕まえた後は山のほうに逃がしてあげたんだけど、その前にそこにいた小学生3人に触らせてあげました。恐る恐るながらも触りたがるところがやはり小学生ですね。ボクが捕まえるときに横で見てたお姉さんは触りませんでした。

(12:45追記) 違和感があったので起きてから調べてみると、この子、アオダイショウですねw ヘビ見るの自体が10年ぶりくらいだから忘れてしまっていた。この子も成体だと思うけど、胴回りが細かったのでこれからもっと大きくなると思う。

ボクが小学生の頃は愛知県に香嵐渓ヘビセンターというところがあって、そこにヘビを見に行くのがすごく楽しかったです。ニシキヘビも肩に乗っけられたし。でも今はないだよねー。調べてみると群馬県にもスネークセンターというのがあるみたいだ。誰かヘビ好きな人一緒に行きませんか。


相変わらず三上寛をよく聴いてんですが、この人の歌は凄いなあ。こんなに生きることの哀しみを込めた歌は初めて聴いた。生きる哀しみというとちょっと違うかもしれないけど、ボクがいつも感じてる、時代の中にある焦燥感と虚無感と同じ気がするんだ。
オマンコに指突っ込んで
そのダラダラした指で
Vサインつくって何になる
三上寛 "昭和の大飢餓予告編"より
別にオマンコって言葉に反応したわけではないw

ボクは芸術的な感性に乏しいのでボクの感じたことが他の人も同様に感じるとはとても思えないんだけど、それでも一日中音楽を聴き続けているとそれなりにわかってくる部分もあると思う。同じ歌手でも気持ちの込め方が全然違ったりする。例えばボクは中一のとき森高千里の「私の夏」が大好きだったんだけど、今聴いてみるとびっくりするくらい適当な歌い方してる。野球で言うと、速いんだけど打たれやすい棒球、みたいな感じ。それに対して「渡良瀬橋」はじっくりとした名曲だ(あくまでも個人的主観だけど)。芸術に理屈をつけたくはないけれど、芸術も勉強すればより良さがわかるようになるってのは大人になってから学んだことの一つかもしれない。

つーかもしかしてと思って今調べてみたら、スネークセンターと渡良瀬橋は県境は挟んでるけど20キロくらいしか離れてないのね。渡良瀬橋も一度行って見たいと思ってたから、夏休みに遠足してみようかな。朝出発して、昼間はヘビ見て、夕方渡良瀬橋で夕焼けを見てくる。なんて素晴らしい。

しかし渡良瀬橋には前に立つと森高千里の曲が流れるモニュメントがあるそうですが、こういうくだらないことを考えるのは誰なんでしょうね。ただの橋だからこそ見たいのであって、誰がそんなモニュメントを期待してるのか。まったく理解しがたい。熱海にある金色夜叉の貫一お宮の像もだけど、そういうものがあることで逆に興が削がれると思うのはボクだけではないと思います。そんなものは目印程度に小さく書いてあればいいのに。


どうもやることが多くて自分のマネジメントがうまくできないボクですが、自分のことはできなくてもマネジメントとは何かということはよく考えます。仕事が山盛りあるときに、つい優先順位をつけて優先順位の高いものからやっていきそうになるけれど、実際にはこれってあまり効率的な方法ではないんですよね。「優先」というのは曖昧な概念なので、優先さを決めるための手続き(procedure)が必要になって手続きが増えたぶん生産性は低下します。それよりも「入ってきた順にやる」か「締め切り順にやる」など一つの基準に従ってこなすほうが全体的な効率は上昇します。

つい「入ってきた順」と「締め切り順」の両方を使いたくなるけど、これらは一つの項(argument)になっていて、 項を一つ増やすと組み合わせの項を増やすことになるので、当然項が増えれば組み合わせは一気に大きくなり、計算にかかるコストは高くなる。完璧な仕事をしようと思えば思うほどつい項を増やしてしまい、結論を出すためのコストが高くなってしまうのは現実によくあることです。というか、そっちのほうが多い気さえする。なぜかというと、人は「最終的にかかったコスト」よりも「最終的な正確さ」に注目しやすい傾向があるんですね。しかも項を増やしすぎると、計算に費やされるコストが正確さを上回り、正確さまでマイナスになることさえあります。

コストという考え方は学問の分野では一般的に使われる言葉で、「その理論はコストが高いよ」と普通に使われます。同じ理論ならコストの低いほうが優れた理論である、というわけで、まあオッカムの剃刀と同じことなんですが。でもこの考え方はいろんなところで応用できる。

よく出される例が仕事の分配と人数の関係で、ある仕事に対して人数を増やせばより早く正確にできるだろうと思って無制限に人を増やすと、ある人数を超えたところで生産性は低下を始める。人が増えることで仕事が過度に分散化し手続きが増え、さらには人と人の間の情報伝達にまでコストがかかり始めるのが原因です。物事にはちょうどいい正確さ、手間ひまがあり、それを認識することでコストを抑えることができるようになる。

つまり、「優先順位」や「重要性」という曖昧な概念を目標に入れると途中の計算がややこしくなりコストが高くなりすぎるので、はっきりとした明白な目標を持つことでコストをかけずに生産性をあげようとすることが大切であるということです。さらに明白な目標を中間ステップとして何回かだけ重ねれば、それほどコストも上昇させないで正確さをあげることも可能だ。

例えばボクは受験生のとき勃起するとすぐオナニーしてたんだけど、これもオナニーする時間よりもむらむらしたまま勉強してるほうが生産性が低いと判断していたからです。オナニーしたいなーでもそんなことしてる場合じゃないよな、など考えてるより、さっと抜いてまた勉強してるほうが効率的。そこでオナニーを我慢する受験生は、手段と目的を間違えてしまっています。目的は勉強することであって、オナニーを我慢することではないのです。そしてオナニーを我慢すべきかどうか考えることにコストをかけるくらいならすぐオナニーしたほうがいいのです。受験生よ、オナニーせよ、とボクは言いたい。

オナニーのためのオナニーはもちろん別ですよ。オナニー自体が目的ならば、3時間でも4時間でもかけてネタを探して抜きます。3時間かけて探した末にここだっていうところで射精したときの快感は筆舌に尽くしがたいものがあると思います。そういやまだ思いっきり溜め込んでから時間をかけてオナニーしたときの精液の飛距離を測ったことがない。今度測ってみようかな。予想としては250cmくらいだと思うのですがどうでしょうか。