昔の女友達から「明日オナニの日だね おめでと」とメイルが来ました。祝福するつもりならオッパイの写真の一つや二つ添付して、これはほんのつまらないものですが…と差し出し、ボクがいえいえとんでもない、今夜、いやさ今から早速使わせてもらいます、と返すというのが日本の良き伝統ではないでしょうか。
伝統といえば、一週間くらい前にやたら道端で割りばし?を燃やしてる家があったけど、あれって何の風習なんでしょ。少なくとも名古屋では見た記憶がないのですが。
と思って調べたら、あれが盆の送り火なんだ。へー。ほんとまったく見たことがなかったんだけど、中部地方ではあんまりない習慣なのかな。さらに調べてみると、お盆を7月15日にしてるのは東京など小数で、たいていは8月15日だとか。へー。ボクの祖父はお坊さんだったわりに、両親はまったくもってそういう行事をしないのでボクはどうもそういうことを知らないで育ってきてしまった気がするな。墓参りとか行ったことないし、兄弟の結婚式にも出てない。
昨日は腹痛でバイトを休んだんだけど、家に帰って数時間休んだらよくなったのでラーメン食べてコーラ飲んで酒飲んで寝ました。さらに今日は原因になったうどんやで同じうどん食べてきました。こういう学習能力の欠如がボクの最大の特徴だと思います。人生何度でも同じ失敗を繰り返します。うわーい。ボクはメモリをどこに落としたのかなー。
ところでふと思ったんですが、ボクはオナニー好きかつデジカメで写真をよく撮りますが、撮った女性をおかずにすることはないので安心していただきたい(誰にだ)。オナペット(懐かしい響き)はやっぱりエロじゃないといけないのです。エロだったら動画でもエロ本でもエロマンガでも抜けるんだけど。エロ小説でも抜きます。ただ、想像では抜きませんね。
想像で抜けないわけじゃあありません。別に抜こうと思えば全然抜ける。ギャルのおっぱいぺろぺろするのを想像すればすぐ勃起しますからね。ただ、思うにボクが人間にとって最も大切だと思うのは「制約 (constraint)」なんです。人間は制約があるから行動できるし、思考することができるのです。コンピュータがここまで発達した現代で、なぜ未だにチェスの世界王者が計算機に勝つことができるのか。計算能力では比べるべくもない人間が計算機に対抗できるのは、人間の脳が制約されていて、それゆえ独自の経路(パス)を構築されているからです(って俺の仮説だけど)。
ほら、ハンター×ハンターのクラピカだって制約を付けることで能力を強化してるじゃないですか。だからボクがオナニーするときエロい素材に拘るのは、制約を課すことでオナニーのレベルを維持しようとする意志の現れなのです。
ボクの専門は統語論なので社会言語学的なことは専門ではないんですが、口にするのが恥ずかしい言葉ってのは不思議ですよね。ボクの大好きな言葉のおっぱいとかおまんこだって単なる音の組み合わせなわけです(つーかボクはおまんこと言うことにそんなに恥ずかしさを感じませんが)。意味が問題なんだろ、と思うと同じ指示対象を持つ「乳房」や「女性器」はそんなに恥ずかしい言葉ではありませんね(おまんこより女性器というほうが興奮する、という人は頭のネジが緩んでます)。大事なのは語に付随するイメージなんです。
ちなみにボクがけっこう恥ずかしいと思うのはちんぼという言葉です。ちんちん、ちんぽはそこまでじゃないんだけどちんぼはどうも恥ずかしい。まだ「私の屹立した肉棒をあなたの濡れそぼる秘園に挿入したい」というほうが恥ずかしくないと思う。
しかしセックスのときは、女性に恥じらいがあるとどうも興が削がれるんですよねえ。「おちんちん入れてほしいの」とかボクはまったく萌えません。むしろ萎えポイントです。風船クラブのファンであるボクとしてはやっぱり「おぢんぼぉぉおぢんぼぉぉぉぉおまんごにぢんぼつっこんで子宮かき回してほしいい゛ぃ゛ぃ゛」くらい言ってもらいたい。やべ、自分で書きながら勃起してきた(末期症状)
ラッコ ラッコ ララ ラッコ ラッコ ララララ ラッコなんてシュールな歌だ。
ラッコ わらって ラッコ いたっずラッコ
ラッコは いいな いつも あそんでる
すこし きどって エヘヘヘン
がっこうも なけりゃ じゅくも ない
ぼくらを みつめ てを ふる
from いたずラッコ
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