Monday, June 11, 2007

春と修羅

思うに、ボクは欲望をすぐに消費してしまっているのではないだろうか。欲望をあまり早く消費してしまうと欲望を昇華して実に結びつけることができない。アインシュタインもエジソンも偉い人はみんな、与えられた答えで手軽に満足することなく追求を続けて新しい世界を切り開いていったのです。

つまり、ボクはすぐオナニーしてしまうクセをそろそろ治したほうがいいのではないかと思うんです。あーなんかちんぼ勃ったなーと思ったらすぐ抜いてしまうせいでボクはギャルと仲良くなれないのではないか。もっと性欲を溜め込んで、新たなる地平へと向かっていかなければいけないのです。そこにはギャルがわんさかいるはずです。アインシュタインも言ってるんだから間違いない。かと言ってボクがもうオナニーしない!とかすると、精液が脳に回って何も考えられなくなってしまうので、そこらへんのバランスを考慮して1週間に1回くらいにしようかと思います。

とりあえず今日はもうアナルフィストの動画みながらオナニーしてしまったので明日からオナニーを減らそう。


学校行く途中にある気になる薬局。セックスクリームて。


大久保にいたうちのしょこらにそっくりな猫。


昔から不思議なんだけど、エスカレータにたまにあるこのへこみは何のためにあるんだろう?


今日のお昼はタパスタパスの真ダコとニンニクのペペロンチーノ。かなりオイリーなので苦手な人もいるかもしれないけど、ボクは超好き。iPodで見てるのは最近注目してる弾丸ジャッキー


デザートは念願のフルーツタルト。やっと食べることができた。これがまた美味しい。次イチゴタルトと両方あったらどっちにするか悩むなー。タパスタパスのタルトはかなり甘くて、上品なタルトが好きな人はそこまで好まないかもしれないけどボクはこの控え目でない甘さが大好きです。欲を言えば、もう少しだけ大きくカットしてほしいー


ボクが目をつむったら、ボクはどこにいるだろう? ボクはなぜボクが存在しているといえるのだろう。鏡に映る君は何も教えてくれない。誰もが誰かを探すけたたましい静寂がボクの耳を劈いている。いや、あるいは叫んでいるのはボクだけなのだろうか。

見られることで自身の存在を切り刻むことを止めたなら、何で切り刻めばいいのだろう。切り刻む。切り刻む。ボクがここにいるために切り刻む。それでもこの世界には誰もいない。誰にも見られない君がすぐ横にいても。そして幻覚になってしまったのならば、ボクは静かに踊ろう。紅く光る網膜がスパンコールのようだ。

ボクという存在は、君の目に一時的に映ったエイリアスに過ぎない。

さあ今夜も眠ろう。世界は失われボクが存在する必要のない時間に向かって。みんな溶けてしまう夜がきた。悲しみだけはどこにも行かず、ボクを寝かしつけてくれるだろう。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

宮沢賢治 『春と修羅』 序 より


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