Wednesday, January 31, 2007

麒麟の夢

今度は麒麟の川島くんと大阪でカラオケに行く夢を見たよ(笑 俺は芸人おっかけの女子高生か。チュートリアルの徳井くんは顔立ちからして美形だから、昔からモテたようで女を扱い慣れてる感じがするんだよね。それに対して川島くんはオンエアバトルのときのビデオなんか見るとかなり野暮ったい感じで、あまりモテそうではない。だから多分昔からモテたわけじゃないんじゃないかとボクは推測するんだけど、そのせいか川島くんはけっこう緊張しいで、アイドルと話すときや歌番組に出るときってめちゃくちゃ緊張してる。モテ系になったのにそういう自分にまだ慣れてなくて初々しさが残ってるってのが、川島くんの人間としての魅力だと思います。もちろんモテなくても、ボクは田村くんを応援していますがw

どーでもいい話ですが、西原理恵子とか雑誌とかテレビとかすぐに「先生」というものを批判するじゃないですか。「教える立場の人間がこんなんじゃ子供に示しがつかない」みたいに。でもボクはああいうタイプの発言が大嫌いです。ボクは現在教育学専攻ですが教育系の授業とったことあるわけじゃないので専門的なことは言えないけど、「教員」になるのに特別な道徳教育なんてないし、むしろそんなものがあったらおかしいわけです。教員とはただ教育方法を身に付けた大人で、それに自分が教える立場だという多少の「自覚」があるだけに過ぎない。先生なんて少しも特別な立場じゃないんだよね。だから「先生」というものを批判することは、結局世の中の大人というものを批判しているのにほぼ等しい。だのに未だにいい年こいて「先生は特別だ」なんて思ってる人間が多い。

しかし特別でないことを特別視して批判するという傾向はいたるところで見られるもので、最近で言えば「不二家」「あるある大事典」「アパホテル」などがそうですね。隠ぺい工作などは実際にはどこでも起きていることなんだけど、なぜ問題になるかといえば結局行ったのが大企業だからにほかならない。これが商店街のケーキ屋だったら同じような報道はされない。もちろん大企業には大企業の社会に対する企業責任というものがあるから当然ではあるんだけど、だからといって大企業の幹部も商店街の店長も判断がそんなに変わるわけじゃない、どっちも似たような人間であるのです。そしてそこから得られる教訓とは「自分や同僚も似た判断をするかもしれない」という自覚であって、単に批判して満足してるようでは、再発は避けられないし、実際避けられていない。

そしてもっと大事なことは、いじめ問題や偽装工作などは根本的に根絶が不可能であるという認識だろうね。ボクは性善説も性悪説でもなく、人は人たらんが為に善を為さんと欲すと考え後天的善説を採用しているのですが、その元では反社会的行為が起きるのをゼロにするのは不可能だし、ゼロにしようとするのこそある意味では反社会的だと思います。コンプリートネスを「目指す」のは構わないけど、コンプリートネスを「実現」しようとすると歪みが起きる。それは「犯罪ゼロ」を実現しようとするのと同じで、人権を超えるかもしれない強権の存在を認可しなくてはならない。そうではなく、問題の減少を行うべきだと思います。もちろん現代社会は間違いなく問題の減少に成功しているので現代社会にボクは肯定的なんだけど、「ベストではなくベターを目指す」ことをはっきりさせることでより効率化できるのではないかと思うのです。

なんて書いてると、「はよボケろや!」とチュートリアルの福田くんのつっこみが聞こえそうですね。

子供たちに残したい 美しい地球 (ヨギータ・ラガシャマナン・ジャワディカー)