Thursday, November 16, 2006

No title

今までDVDのエンコードってめんどくさそうでやったことなかったんだけど、ちょっとだけ調べて試してみたらあっさりできてしまって拍子抜けです。ふつーに皇帝ペンギンをiPodで見れる。ちゃんとチャプタ分けまでできるってのがすごい。フリーウェアなのにすごいなあ。

昨日は一週間ちょっとぶりにセックスをしたら腰を振るたびに精液がどぴゅって出るような状態でした。入れたまま5回くらい射精したよ。少し中で出した後にまんこから精液を吸い出して口で唾液と混ぜて、まん汁と精液と唾液のミックスジュースを飲ませてあげるとあやかは異常に興奮するんですが、この場合ボクとあやかのどっちが変態なんですかね。

あやかは鳥肌実の「お父さん、敬語でセックスするのはやめてくれないか」のネタが大好きなので、今度挑戦してみたいと思います。でも敬語でセックスって場合によっちゃ(ソープとか)けっこうふつうにあるんじゃないかとも思います。それとか天皇家のセックスとかさ。

世の中は教育法改正でいろいろ揉めてるみたいですが、「愛国心」と「忠国心」が区別されるのなら愛国もいいかもしれませんね。どっちにしろボクは自分が会ったこともない人間を応援したり見たこともない景勝地を誇ったりするのがバカなんじゃないかと思う人間に育ってしまったので、今から愛国心を持つのは無理っぽいですが。

この前紹介したサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」「スキュース数」という数が紹介されている(第IV章 抽象のなかへ)。多少長いけどその一説を引用させてもらおう。
素数は、数が大きくなればなるほど出現頻度が小さくなる。たとえば、0から100までのあいだには25個の素数があるが、10000000から10000100までのあいだにはたった2個しかない。一七九一年、まだ一五歳だったカール・ガウスは、素数の出現頻度が減っていくおおよそのようすを予想した。その式はかなり正確だったが、わずかながら実際の素数の分布よりもつねに多めの予想が得られた。素数の分布を百万まで、十億まで、あるいは一兆まで調べても、ガウスの予想はいつも少しだけ多めだったので、数学者はこの傾向がどこまでも続くと思いたいという強い欲求に駆られたのだった。そうして生まれたのが過大評価素数予想である。
ところが一九一四年、ケンブリッジ大学でG・H・ハーディと共同研究を行っていたJ・E・リトルウッドが、十分に大きな数の領域では、ガウスの予想が実際の素数の数を”下回る”ことを証明したのである。そして一九五五年にはS・スキュースが、見積もりが過小になるのは、

101010,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000

の少し手前であることを示した。
この数の大きさたるや、まさに想像を絶するものがあり、とても何かに応用できるとは思えない。ハーディはこのスキュース数のことを「何らかの意味を持つ数学史上最大の数」と呼んだ。ハーディの計算によれば、宇宙に存在する全素粒子(1087個)を駒に見立ててチェスをするとして、二個の素粒子を置き換えることを一手と見なすならば、組み立てうる試合の総数がおおよそスキュース数になるという。
どうだろう、このスキュース数の大きさがわかるだろうか。いや、わかるはずがない。これは明らかに人間の想像力を超越した数字だ。例えば物理学にはペンローズがこの宇宙が生まれることになることになった確率を求めたときに使われた数字1010123がある。これを仮にペンローズ数と呼ぼう。

当然1010は10,000,000,000である。101010は10,000,000,000が右上に乗ってるということになるので、1010,000,000,000ということである。つまり1の後ろに0が百億個付いているということである。あまりに数が大きいので勘違いしがちだが、百億と百億桁はまったく違う。試しに百と百桁を書き比べてみてほしい。そして本からの引用文にもあるように、宇宙には素粒子は”たった”1087個しかない。だから素粒子を0と見立てたとしても、宇宙の全素粒子を使ってもペンローズ数1010123という数字を表すことはできないのだ。この異常な数を考えるたびにボクは戦慄する。ボクが今から死ぬまで0を書き続けても、ずっとキーボードの0を押し続けてもまったく近づけない。だって、この宇宙内でこの数字を、乗数を使わず表すことは物理的に不可能なのだから。

しかしスキュース数はそれどころではない。その、何倍も、何倍という表現がむなしくなるほどの(しかし無限ではない)、圧倒的な、絶望的な、数である。(実際、こう書きながらボクはこの数字をうまく認識することができない。どうやらボクの脳の数字的限界は1010123あたりらしい。) もしスキュース数の単位が秒であれば、「千年に一度天女が降りてきて巨大な岩をひと撫でしているうちに、岩が摩耗してなくなってしまう時間」なんてあまりに一瞬だろう。

そして驚くべきは、このスキュース数を持ってしても、無限はその入り口を示してさえいない!まさにボクはここでパスカルの言葉を借りるしかない。
この無限なる空間の永遠の沈黙が、私を恐れしめる
果たして、スキュース数の前でボクという人間が生きている意味はあるのだろうか。意味、のかけ。ら。ボクの体の全素粒子の波動関数の収縮さえ含まれてしまうこの数字の前で。