Thursday, September 8, 2005

Pied-piper

ホワイトバンドってのがはやってますね。テレビでもCMしてるんですか? テレビ持ってないのでわからないんですが。

こういうのがはやると当然ネットでは反対意見も多く出ます。いろいろなタイプの反対があるけど、だいたいは「偽善的」と「直接寄付したほうがいい」の二つに分かれるんじゃないだろうか。

まず「偽善的」というのは意味がないとボクは思う。人間の行為は善と悪にきれいに分かれるものではない。ほとんどが善っぽかったり、悪っぽいにすぎない。寄付や環境保全を偽善という人はきっとどこかに純粋な善があると信じているとてもピュアな人なんだろう。

そしてそれ以上に、人間の行動には善悪が関係ないことのほうが多い。実はボクは寄付行為というのは善悪の関係ない行為だと思っている。

ボクがなんらかの弱者を支援したいとする。その場合目的は「弱者の支援」であり、支援の手段が「寄付」となる。このとき寄付を善悪で判断することはまったく無意味である。だって目的に関係ないんだもん。手段は最低、法と道徳さえ守ってればなんだっていい。

だから善悪の判断は手段ではなく目的に向かうことになるわけだが、目的ってのはだいたい理想的なものだ。もし「弱者を支援する」という理想を偽善だからといって否定すれば、弱者はほおっておけばいい、ということになる。まあそう言い切れなくはないのだけど、なかなかそこまで断言する人もいないんじゃないかな。ということで「偽善」という言葉では寄付を否定できない。

「ホワイトバンド買うより直接寄付したほうがいい」という意見、これは至極最もだと思います。チャリティーの24時間テレビとか見てても、こんなクソくだらない番組の制作に金を使うよりも、その金をすべて寄付してテレビには「チャリティーのため24時間、テレビ放送を中断させていただきます」とでも流しときゃいいんだ、とかみんな思ってると思います。

でもボクたちは資本主義社会に生きる飢えた羊なのです。顔を持たず大人しくみえてもけっきょく自分たちの利益が大事なのです。そしてこれは否定すべき事柄ではない。ボクたちは自分の利益が確保されてこそ他者を支援することができる。自分の利益がなくても他者を支援できる人もいますけど、そういう人はたんに資本主義的に飢えてないだけなのです。これは飢えてるほうが悪いとか飢えてないほうが善いとかそういう問題じゃない。善悪に関係なく、ただそうなのです。

飢えた羊は牧草地を見境なく食い荒らしてしまうので羊飼いが多少管理してやらなくちゃいけない。それと同じで、ボクたちは自分の欲求を否定すべきではないけど、欲求のみに従っていたら自分たちの利益まで損なってしまうことになる。「情は人の為ならず」ということわざがあるけど、寄付ってのは他者のためだけでもなく、自分のためだけでもなく、お互いを含んだ全体の利益のためにあるんですよね。

寄付のお金を集めるために経済活動をしなくちゃならない。この構図はある意味では歪んでいる。でもこの歪みは多分「人間」そのものが抱える本質なんじゃないかな。

あー最近野菜の食いすぎと野菜ジュースの飲みすぎでうんこが緑色です。