Thursday, February 21, 2002

ログ43('02 02/20~03/05)

02.03.05

Yesterday, I watched ‘dancer in the dark’ on DVD. My ex-girl friend loved the movie, so I wanted to watch it and I knew its music, Vjork.

It’s a story very very sad and tragic. The heroine Selma, Vjork played, was losing her eyesight. It’s an inherited disease. So, she had to earn lots money because she let his son take operation. A man, who figured in the movie, said ‘you are very strong.’ I think so, too. In fact, though she denied the word, she had a determined mind.

The man, however, he had been a good friend of hers, told a lie to his wife that she temped him and stool his money, though it was hers. As a result of struggle, she killed him not deliberately. Sad girl Selma! She was not bad at all but she was arrested by police and was sentenced to death as a result of wrong trial.

Many friends around her wanted to help her but she refused their offers in order to help her son’s eyes. If she had employed new and private lawyer, she would have to pay for him lots money she stored for her son. She chose her death than her son come to blind. It’s sorrowful choice but what could I say to her if I were her friend?

This is a musical movie, but very silent. Its silent sound made me down. Her voice and her dance let audience quiet. After the movie finished, I couldn’t say any words, and I thought I love her still now, so anytime I want to be on her side. Hey dear! It’s true. I don’t forget you and forget me not.

02.03.03

サーヴァのアカウントが消されてました。やっぱ2月いっぱいで有料化だったのか。しかたがないからまた無料サーヴァをレンタル。

今日は朝7時半からバイトでした。でも、前日友達の家に遊びにいっていて、帰ってきたのは朝の3時でした。そこからまたごそごそしていたせいで1時間くらいしか寝ないでバイトへ。でもなんだか思ってたより眠くなかったな。目の奥にわずかに疲れがあったくらい。うーん、22になってもまだまだいけるかな?(笑 今日のアルバイトは大学の学生課の紹介なので、他のアルバイトもだいたい僕と同じ大学の学生みたいだった。でもさ、しっかし、こいつらまったく働かねーんだよな。働く意欲はないし、頭を使おうともしない。言われたことを不十分にこなすだけ。そのあげく、仕事が長引いて休憩が短くなるとぶーたれてるし。お前らのせいで遅くなったんだっちゅうの。現在大学生の僕が言ったってしかたないことだけど、今の大学生は本当に頭が悪いね。もちろん日本中が頭悪いんだけど、その中でも大学生だけは頭働かせてないとだめでしょ。そのために大学きてるんだから。つっても高卒の半数が大学に進学する現代じゃそんなこと言っても無駄なんだろうな。勝手なこと言えば、大学に進学するやつは今の10分の1、毎年10万人もいればいいんじゃないかな。あとのはどうせ大学行っても勉強もしないし、かといって他になにかをみつけるわけでもなくただ4年間の空白を作るだけなんだから。僕と一緒にサークルを作るアリマなんかは徹底的にバカなんだけど、生きるということにたいするヴァイタリティはあふれてる。僕は何も、みんながそうやって生きればいいと言ってるわけじゃない。ヴァイタリティを持つとか主体的に生きるってのはある意味才能だからね、できないやつは一生できない。ただ、そんな人間を大学生にしてしまって4年という短くない時間を無駄にさせてどうするんだってこと。しかしこういうこと言ったり書くとたまに「無駄は悪いことじゃない」という人もあるけど、それはその通り。無駄は悪いことじゃない。ただし、無駄には2種類ある。人格の周辺的に存在して人間性に関与していく無駄と、ただその場でインスタントに消え去っていく無駄と。ほんと、やる気もなく、面白いこともないと思ってる大学生の人は一回考えてみたほうがいいと思うよ。

しかしあんなやつらでも卒業した後はそれぞれの分野でそこそこのポジションにつくことになるかと思うと暗澹たる気分にさせられますな。

一人身の楽しさと孤独感ってのは一体だなって気がする。ギターを弾いたり本を読んだりするのはとっても楽しいんだけど、ギターをスタンドに置いて、本を机に伏せて、コーヒーを飲みながら壁を見つめてるとその白さが糸くずみたいにふわふわと浮かび上がって呼吸するたびに少しずつ僕の胸を埋めていく。それは空白であり、欠落なんだけど、いつしか僕はその虚空でいっぱいになり言いたい言葉も口から出せないで、流したい涙も出なくて、僕はソファにうずくまりその白い闇が僕を通り過ぎるのを待つ。ただあなたに会いたくて、ただあなたに言いたくて、だから私はここで待つしかないの。

02.03.01

部屋で本を読むときはだいたいモンゴル800とCoccoのCDをエンドレスで聞いていることが多いんだけど(定義上「エンドレス」ならそれ以外は聞きようがないわけだが)、そういえば二人とも沖縄出身だな。ほかにも僕はりんけんバンドなんか好きだし、意外と沖縄系が肌に合ってるのかもしれない(中学生のとき国語の教科書に載っていた「春でえむん」を聞いて以来好きになったのだ)。でもよく考えてみると、東京出身のミュージシャンを東京系と呼んだりはしないし、長野出身でも長野系ではない。その意味でやっぱ沖縄って独特なんだよな。なんかかっこいいよね。僕は自然とそういうのをかっこいいと思うんだけど、これってすんなりそうなったわけじゃない。戦後のことやそれ以前の歴史として、沖縄は外部として考えられ、沖縄の人たちも自分たちは日本ではないと考え、その結果として無理やり日本に組み込まれた沖縄は差別の対象になった。僕らはそのことを忘れて無邪気に「沖縄ってかっこいいよね」って言うわけにはいかない。学校で「部落差別」って習ったことある?ある部落出身の人を不可触民として扱うことだけど、これも今じゃ若い人たちの間で気にする人はいなくなってきた。知らないという人たちも多い。だけど、知らないことは無邪気(innocent)だけど、無罪(innocent)ではない。かつて差別があったことを知らなければいつかまた同じ差別が生まれてくる。歴史の教科書風に言うならば、我々は歴史に学ばなければならないし、過去に目を閉ざすものは未来にも目を閉ざす。沖縄の音楽は素晴らしいし、僕の知り合いの沖縄の人たちはみんな良い人だ。だけど、沖縄が沖縄としてトピック化されるとき、裏側に隠された歴史の悲哀を忘れてはいけない。ハワイだろうと、グアムだろうと、この世に無邪気な楽園などありはしない。その悲しさを知ってほしい。

そういえば沖縄もハワイもグアムもみんなアメリカの植民地だったところですね。偶然だなあ。アハハ。

ええと、朝ごはんが健康的だということは前に書きましたが、もちろん昼ごはんや晩ごはんも健康的です。最近は昼にプレーンスパゲティを食べることがありますね。小麦粉本来の味わいが楽しめます。夜はプレーンラーメンとか。スープ本来の味わいが楽しめます。ご飯を炊いたときはプレーンライスを、、、、それは白米って言うのか。何も足さない、何も引かない、サントリーのウイスキーのような食生活です。それもこれも古本屋のせいだね。僕は毎日散歩するでしょ?そうすると必ず10軒以上古本屋の前を通ることになる。その結果カフェに着いたときにはかばんには数冊本が入っていることになる。そして財布は小銭が増えて重量的には重くなっていることになる。それを毎日続けりゃ必然的にしわ寄せがどこかにくるわけで。それで体重が増やせないって、ある意味体を売って本を読んでるみたいなもんだよな(笑 しかしまあ毎日酒に飲んだくれて飯もろくに食えないほど本を買ってギターかき鳴らしてって、まるでひと時代昔の文学部生みたいだな。パソコン使って部屋がきれいで運動してることが大きな違いだけど。僕の計画ではですね、このライフスタイルを維持しつつサークル活動にはげめばモテモテ間違いなしなんですよ。これだけやりゃ顔のぶんくらいカヴァーできるだろ。んでそうなったときの夢はね、好きな女の子に「真人ってもてるよね~」と言われるようになって、それに「でも、僕の好きな人に振り向いてもらえないならなんの意味もないよ」ってその子の目を見つめながら言うこと(笑 目指せ、奪還!

ということで今日はHR.ギーガーの画集を買ってきた。ギーガーはエイリアンのデザインをしたアーティストです。他にはhideのファーストアルバム、hide your faceのジャケットをデザインしてるね。いわゆるギーガーマスクってやつ。非常に、なんちゅうか、脳髄をかき回される感じの画集ですな。絶対コイツねじが何本か飛んでるよ。いくつかモザイクかけたほうがいいんじゃねえかって絵もあるしな(笑

さっきの差別の話にしてもそうだけど、僕は基本的にロマンティストであり、楽観主義者であり、理想論者である。世間ずれしてくるとそんなわけにもいかないだろうしさ、僕だっていつか今の僕を忘れてしまう日がくるかもしれない。でもね、みんなが同じ方向に走っちゃったら大変だと思わないかい?学校に行くのが当たり前と言うのならば、僕は行かなくていいという根拠を示す。行かなくてもいいと言うのならば、行かなくちゃいけないという理由を提示する。新聞を読むことがいいことだというのならば僕は読まない。僕は根本的にアンチテーゼによって生きる人間で、反対のことをしたがるんだけど、どうかただ天邪鬼なだけだと思わないでほしい。僕らが生きるこの世界では多様性(heterogeneous)、カオスこそが本質であり、統一(homogeneous)、単一(uniformity)はかりそめの姿でしかない。生物学的に見ても単一的な系統種は絶滅の可能性が高くなるし、生物が性を持つのも多様性のためだよね。矛盾が混沌を生み、混沌は宇宙を生成する。つまり、僕は僕という駒を世界のアンカとして使うつもりなんだ。インターネットが便利だというのならば、僕はその限界を示し、テレビが面白いというのなら見なくても生きていけることを体現する。ただ受動的に流されて生きていけば知らない誰かの作り出した潮流に巻き込まれるだけ。僕は立ち止まり、みんなに忠告したいんだ。先になにがあるかは僕にもわからないけれど、みんながそっちに行っちゃったらリスクを分散できないぞって。いつもこんなこと考えて君に文句をつけてたわけじゃない。でも、僕までもが君を認めてしまったら(正当な意味において認めうるのは僕だけだと確信しているんだけどね)君の世界は完結してしまう。僕は僕を駒にして君の世界に風穴を開ける。閉じた世界は可能性が消滅し、すべては決定事項。開いた世界の不確定性原理で僕は未来に不安を覚え、閉じた瞳の不完全性定理で僕は未来に希望を夢見る。矛盾した言葉が君を傷つけてしまい、それでも、僕はアンビヴァレンスに君を想って今日を眠ろう。

この先になにがあるかなんて誰にもわからない、、、、僕にできることといったら、ここで待ち続けることだけ。I’m here, still singing for you.

02.02.26

最近は異常にギターが面白くてずっと弾いてるわけだけど、やっぱ難しいやね。今はモンゴル800を耳コピしてんだけどぜんぜんできないし。彼らの楽譜ないのかなーと思ってネットで調べたら、耳コピしてもらいたいからという理由で楽譜を出していないらしい。いや、その考えも立派だと思いますけどね、僕みたいに音楽とんちんかんで22にしてまともにギターを弾き始めようとしている人間にとって耳コピはつらいです。半音あがってるのかオクターブあがってるのかわかんないくらい耳悪いんだから。でもまあそれはそれとしてギターをかしゃかしゃやるのは非常に楽しい。誰かに勝ちたいわけでもなく何か目的を持ってやるわけでもなくただ音を出すことだけを楽しむ行動。めちゃくちゃ下手だしさ、とてもじゃないけど人になんて聴かせられないけど、それでも楽しいものは楽しい。

というわけでなぜか絵を描いたりもしています。これももちろん、超ヘタなので絶対に公開はしない。でもとにかく線をうにょーって伸ばして色鉛筆でくしゃくしゃくしゃーってしていくことが胸躍るくらい興奮する。自分の芸術的センスのなさをなげく時期もあったけど、今はまったくそんなこと気にならないね。音楽でも絵でも文章でも、下手か上手かなんて関係なく、自分が生きているってことを楽しんでいる。こんなこと自分でいうものじゃないかもしれないけどさ、今の僕のどの音にも絵にも文にも、僕らしさとか僕が生きているってことがあるような気がする。僕は今人生を心から楽しんでいる。もちろんさ、こんな幸せな季節はとっても短くって、あっという間になくなってしまうんだろうけど、だからこそ今はこのライフを精一杯からだの隅々まで行き渡らせたいね。

しかも走るだけじゃなくってやたら筋トレなんてしちゃったりしてるし。もう腕立て腹筋から始まって全身の筋肉すべてを使うべくいろんな運動をしてるね。ちなみにもちろん僕はかなり痩せ型なのでこれらの運動はかなりキツイです。酸欠で頭がくらくらしちゃいそうになるくらい。でも、精神的にも肉体的にも、全力でやって疲れ果てて倒れてるときの動悸の激しさはとても心地よい。僕は本当に22年間生きてきたのだろうか? 生きるということは確かに死へ向かうことでもあるけど、僕らは絶対的に生き尽くすことで死に立ち向かう強さを身に付けなければいけないと思う。それはともかくとして、食生活にたんぱく質が慢性的に不足しているために筋肉がつかないような気がする。痩せたいわけじゃないんだけどなー 肉!肉!

そうは言っても、やっぱ一曲くらいちゃんと弾けるようになって彼女に聴かせたいよなー

月曜の夜にアリマが泊まりにきた。なにか特に用事があったわけじゃないみたいだから、暇つぶしなのかな。確かに僕もいろいろやって楽しく過ごしてはいるけど、やっぱ彼女がいないと手持ち無沙汰に感じるときはある。んで適当に最近のことや女のこととか男が二人集まれば必ずするようなことばかり話してたわけですよ。んで夜も更けてきたころにね、アリマがカップラーメンを食い始めたわけ。僕は酒飲んでたんだけど。でね、奴はカレーヌードル食ってるのにズボンが白だった。これはかなり危険な状況だよね。僕がそれを指摘したら奴はどうしたでしょうか? 脱ぎました。トランクス姿でカップラーメン食ってます。しかもコイツ、去年泊まりにきたときも部屋の中トランクスでうろちょろしてたよな。デジカメに証拠写真あるし。でもまあいいよ、男同士だしな、僕もそんなこと気にしない。それでアリマのノートパソコンをいじくって奴の音楽を聴いたりしてたんだけど、ひょんなことからアリマが無修正のアダルトムービーを持っている、という話になって。当然見ました。でもさ、俺はいいんだけどさ、アリマ、カップラーメン食いながらトランクス姿でアダルトビデオです。かなり必死になって抑えてました(笑 そのときの写真もあるんだけど、2重の意味で公開はデンジャーなのでできません。残念。

そのあとは二人でゲームなんてしながら話してたんだけど、「2年生になるにあたってどのようにしていくべきか?」という話題になった。そしてでてきた結論はコレ。「新規音楽系サークル、Crumberry Box発足」 奴にとってはユニットやバンドのメンバや客を見つけたりできるし、僕はいろいろ友達を増やせる。これしかないっしょ。もう明け方近くなっていたのにも関わらず僕たちの盛り上がりはとどまることを知らず、どんどん青写真が出来上がってゆく。朝7時には何人かに電話をかけてメンバを集め始めた。これが意外とすんなりといって、10時までに結局11人が集まる。僕はほとんど集めてないけどね。僕みたいのとアリマみたいなのが一緒になるとある意味すごい行動力になるなー。どの方向に向かっているのかは謎だが(笑

メンバが集まってもまだ眠れず、これからの活動予定や広告などを話し合う。けっこう形が見えてきたなー。しかしなんと言ってももっとも重大なことは、春の新入生勧誘だ(僕らはこれを「奪還」と名づけた)。アリマはかなりプロ志向の人間だし、そういう方向性でメンバを集めてもいいのだが、そうするとかなり限られた対象になるし、なによりも僕の居場所がない(笑 あくまでもクランベリーボックスは音楽好きが音楽好きと仲間になるための場所なのだ(出会い系とか言うな)。そうすると、男も女もうまく集めなくちゃいけないし、もちろん僕とアリマの目算としては可愛い女の子に多く入ってもらいたい。そこで我々はある行動を実行することに決めた。駅前で特訓。これしかないっしょ。徹夜明けのまま僕とアリマは意気揚揚と高田馬場へ向かい、昼飯を食うと早速ミッションスタート。今回の作戦にあたって大事な条件があった。これはあくまでも試行であるから、必ずしも成功する必要はない。ということは、普通の勧誘みたいに手当たり次第なんてことはしなくていいわけだ。当然のごとく僕らは超一流ブランド品並ばかりに目をつけ特攻を開始した。高田馬場周辺で一時間における成果。アリマ2人、僕0人。そりゃさ、アリマは顔もいいさ、でも、奴に去年の春声のかけ方教えてやったのは僕だぜ? あーあーあー しかし活動なんてまだしてないのにメンバだけ集めてもな(笑

言い訳がましいけど、僕はあくまで純粋に純粋な友達がほしいのである。男女に関わらず。あ、いや、嘘です。もちろん女でしかも可愛いほうがいいです。だけどどっちかっていったら、の話だし、なんかそこからムフフなことでもないかなーなんてことはまったく考えていない。こういう言い方がいいのかわかんないけど、僕にとってはセックスと恋愛はイコールなんだよね。イコールって言うよりは内包関係かな。セックスのない恋愛はあるかもしれないけど、恋愛じゃないセックスは存在しない。これは風俗でも一緒だと思うな。お金を払ってるとはいえ一時のものでも恋愛感情を共有するからこそのセックスでしょ?まあいいや、このことについてこれ以上考えると胃が痛くなる。僕は恋愛のないセックスはしない、僕は他の誰とも恋愛するつもりはない、よって僕は他の誰ともセックスはしない。That's all.

02.02.24

今日でこのサイトも一応3周年なんだなあ。一応っつのは、消したり移転したりまるっきり違うものになったり、ということが頻繁にあるからだけど。日記はずっと公開してるしまあ続きだと考えてもらってもいいんじゃないかな。僕の知る限りでは2年半前から見てる人が二人いるね。よくもまあ長々とありがとう。ちょっとばかし回顧してみると、ずいぶん僕も変わったと思う。それはどの方向への転換だったのだろうか?それは今でもわからないし、今でも混迷の中だともいえる。いろいろな人に出会ったし、いくつか恋愛もした。今でも関係が続いている人もいればもう会うことのないだろう人も多くいる。彼ら、彼女らはもし今の僕をみたらなんと言うだろう?

人生にはいくつかのステップがあり、それは、少しずつ登っていくものじゃない。前はだんだんと大人への階段を踏んでいくものだと思っていたれど、それは違う。もがき、苦しみ、悩み、ときには逃げ出し、結局避けられないんだとわかりまた立ち止まり、いつのまにか次の段階へ到達している。そう、それは気がついたら突然違う場所にいた、という少し驚くような事態だ。僕は19歳から22歳になり、今なら胸を張って言える。僕は大人になったと。

もちろんできないことはいっぱいあるし、なにもかも完璧にできる人間じゃない。でも、それでも、僕は背を向けることをやめ、なにかを捨てて代わりになにかを背負うだけの覚悟はできるようになった。もちろん現状に納得しているわけじゃない。そうじゃなくって、とにかく今自分に何ができるのかを見極め、それから足を大地に踏みしめ、次へと向かうんだ。もう何もかもが希望に満ち、怖いものなんてなにもなかったあのころとは違うんだ。それでも僕は前へ進まなくちゃいけない。どれだけ傷つこうとも、君の矢面になるために。

僕は何を失い、何を手に入れたのだろうか。でも多分それはまだ結論を出すには早すぎる問いだろう。僕は大人になったが、まだ振り返る時期じゃない。とにかく30歳までは全力で走ってみよう。反吐を吐こうと、けっつまずいて血まみれになろうと、とにかく手探りで道をかきわけてゆくしかないだろう。何もかも欲しがったあのころじゃない、でも大事なものはまだ諦められない、そんなときなんだ。なんとかなるだなんて思ってはいない、なんとかしてみせるんだ。この腕に、君を抱きしめるまで。

そんなことを考えてし始めたわけじゃないけど、ここ最近は生活の変化が激しい。タバコを止め、酒をなんとか毎日飲み(弱い)、走り、小説を読むようになった。服もできる限りきれいなものを選ぶようにして、コンタクトレンズも買い足しに行かなくちゃ。そしてギターをまた引っ張り出した。こんなにちゃんとギターを弾こうとするのなんてどれだけぶりだろうな。ギターをやるんだって言って高校を飛び出したものの結局何もしないで終わったあのころ。弦の響きの一つ一つから僕の青春時代が湧き上がってくる。ああ、僕は今ここで、誰に向かって歌えばいいんだろう?

僕はもう前の僕じゃない。空を飛べると本気で信じているような少年は失われた。でも代わりに自分に自信を持った。僕は誰かを愛する資格を持っているし、僕が誰かを愛することは誰にも文句をつけさせない。きっといつかうまく行く。走りつづければ。そうすれば空も飛べるかも....

02.02.23

背中に風を受けるがよい、左手前に台風の中心が.... (ボイス・バロットの法則より)

家の近くのディスカウントショップでさ、買い物してるときにウタダヒカルが流れてたのよ。まあ嫌いじゃないし、ふんふん、と聴きながら鼻歌歌ってた。ところがさ、ウタダが終わって次の曲が流れ始めた瞬間かごを落としそうになった。初めて聴く曲で、心臓を止められたことはない。少し放心してたけど、我に返って慌てて店内のCDコーナーに行き、店員に曲名を教えてもらってその場でアルバムを買った。ジャンルにこだわる気はもちろんないけどさ(ぜんぜん知らないし)、スカ、コア、パンクなんかにまったく興味のない僕がこんなに心奪われるなんてな。音楽ってのはマジでジャンルや国境、時代なんてくそっくらえの壁をぶち壊していいものはいいって言えると思う。なんせCDを2年近く買ったことも借りたこともない俺が衝動買いしちゃうくらいステキなもんなんだぜ。部屋に帰ってからもうエンドレスでずっと歌いつづけた。喉が痛くなって声が枯れるまで。涙が少し出てくるんだけど、悲しみの涙じゃない。愛することを鼓舞する言葉に勇気付けられた涙。すれ違って、怒らせちゃったなら100回愛を語ればいいじゃない。僕は馬鹿だからさ、また余計なことを言うだろうよ。そうしたら今度は10000回愛を吐くさ。で、歌いながら思い出した。誰が言ったことだったか忘れちゃってさ、もし知ってる人がいたら教えてもらいたいんだけど、なにかの本で犬について書かれていたのね。「子供が生まれたら犬を飼うのがよい。赤ん坊のころは友人であり、子供のころは守ってくれ、そして少年に初めての死を教えるのである」とかそんな文章。多分文体はぜんぜん違ったと思うんだけど。今でも思い出すたびに少し胸が熱くなる。僕は犬なんて飼ったことないし、どちらかというと(というか断然)猫派なんだけど、もしもいつか僕が結婚することがあって子供が生まれることなんかがあるとしたら犬を飼いたいと思う。今の僕なんて大学のペーペーでさ、結婚どころか恋愛でもまともにできるのか怪しいものだし、そんな僕が自分の子供の話をするなんて与太話にもほどがあるけど、それでももし自分の子供の話をするならば、人の悲しみを泣き、人の死を悼むことのできる人間になってほしい。僕は比較的親からまっとうな教育を受けてきたと思うのだけど、僕の両親はどこかで僕に死を教えることを忘れてしまったようで、僕は今までに友人や先輩を亡くしたことがあるのに泣くことができなかった。今は違うけどね。もしも愛する人や大事な友人を亡くしたらと想像するだけで胸がつぶれそうになる。お願いだからそんなとにならないでと祈るべき神もいないのに祈ってしまうほどに。ほんのちょっとしたきっかけなんだと思う。僕が、動物を飼ったことがないとか、そういう小さなこと。僕は欠陥だらけ。それを子供に渡したくないだけ。ねえ、いつか犬を飼おうよ。

何週間か前にある女性に会った。たまたま飲み会で同席したんだけど、彼女のある発言に僕はとても驚いた。「やっぱり子供は産みたいですね」 たまたまかもしれないけど、こんなに堂々と子供を産みたい、と言える女性に僕は初めて出会ったのだ。僕にしてもそうだし、多くの男女がそう感じているのだろうと思うのだけど、子供を持つってことはどう考えても大変だ。経済的に見ても時間やなんやらで見ても。でもさ、やっぱ人生や性、人間ってことを包括的に考えてみると子供を要らないって言うのってどこかいびつだと感じる。僕は手の届く範囲でしかコミュニケーションをしてないから大変狭い見識でこんなことを言うのは申し訳ないのだけれど、今の日本の人は大人子供関係なく全体的な傾向性として人間関係が不得手で、いびつになっていると思う。もちろん僕だって偉そうに言えた立場じゃないんだけれどさ、マンションのエレベータに乗るとき人と一緒になるのを避けて待ったり、どの郵便受けにも名前が書かれてなかったり、無言で買い物をする人たちを見るとどうしてもその印象をぬぐえない。さらに問題はさ、その人たち一人一人は、私はちゃんとやるときはやるし、職場では挨拶も率先して言うし、大丈夫だよ、回りの人たちは確かにそういうところがあって不気味だけどね、なんて思ってることなんだよね。いろいろな理由があると思うんだけど大きいのには「コミュニケーションの主体の欠落」があるんじゃないかなあ。もともと人付き合いってのは選択できるものじゃないし、ぶつかっていくしかないんだよね。でも今は社会が擬似階層化してきているし、インターネットの利用なんかで人付き合いなんて面倒なものはだんだんしなくてもよくなってきてるから、人が孤立化をし始めている。しかもあんぽんたんな人たちはそれを個人主義だ、なんて呼んだりするし。おいおい、馬鹿言っちゃいけないよ。インディヴィデュアリズムってのは、個と個のせめぎあい、しのぎあいから生まれてくるものだぜ。それこそfreeとlibertyの違いってやつだ。個性ってのは人と人がぶつかって、そこに差異化が現れるからこそのものであって、それもなしにただ個性を主張しても通り一辺倒のものにしかならないに決まっている。だってもともと人間ってみんな同じような顔に同じような行動、同じような考え方してるんだもの。その意味で、彼女の「子供を産みたい」って言葉はとても当たり前の言葉なのにとても力強くて、人の強さを垣間見たような気がした。僕もいつかあんなふうに自信を持って、子供がほしい、と言えるだろうか。当分無理だろうなー

そんなわけで大変教育的な沖野君なわけでしてね、そりゃ家庭教師先の奥様にも、息子が高校生になってもぜひこのまま続けていただきたい、なんて言われますよ。でもですね、奥さん。このまま続けますと、僕がノイローゼになります。ぜひ辞めさせてください。いやもちろん僕はできる限り優しく丁寧に、おおらかに彼に対応、指導してきましたよ。でもですね、一言も返事がないし、こっちが話し掛けてるのにうつむいたままシャーペンを解体して遊んでるようじゃ、あと1ヶ月で僕の胃に穴が開きます。しかも、勉強少しはしなくちゃね、って言っただけで立ち上がって自分の部屋に閉じこもる生徒にこれ以上何をしろというのですか。僕には無理です。勘弁してください。でもね、僕には無理なんだけど、世界には数人だけ彼を変えてあげることのできる人間がいるのですよ。それはもちろん両親。大人であれば恋人、親友というのも含まれるようになるだろうけど。でね、僕がどれだけ人に優しく、と思っていようとも、やっぱ他人の子供に自分の命まではかけられません。辞める前に一度奥さんときちんと彼の今後のことを話し合いたいです。僕は胃に穴が開きそうになったから辞めちゃえるけどさ、「お母さん」ってのは辞められないものね。でも彼の教育をお母さんが負担に思い始めたら、彼にとってもお母さんにとっても悲劇だ。僕は責任をこれ以上負えないので逃げ出すけど、そうはいっても彼には楽しくやってもらいたいしね、それが僕の最後の、最低限の仕事だと思う。でもまあけっこう理解力をもって子供に向かってるほうだと思うんだけどね、家庭教師としてはそれでいいんだろうけど、大人としては違うな、ってちょっと思う。どういうことかと言うとね、社会に出ている、または出たことのある人ならわかると思うんだけど、大人の社会ってのは甘えも利かないし自分を守ってくれるものなんて何もない。しかも不条理で不愉快なことだらけ。そんなところに理解してくれる大人に囲まれて育った坊ちゃん嬢ちゃんがぽんと飛び出してどーしろとゆーのですか。ね、夢を追いかけるために会社辞めました、就職しません、なんていって結局ドロップアウトするのがおちです。僕はね、だから、もう少し年齢食ったらガキを叩き潰してやる。青春なんてものはなにかに背き、争い、抗い、戦って傷だらけになって過ごすものだよ。そして社会の歯車になる強さを身に付け、それでもなお俺は一人でやる、という奴だけが社会を飛び出してゆく。それが、「世の中」、ではなく、「世界」ってものでしょ。親、教師、大人がみんなニコニコしてたらろくな子供にならないってば。叱ることのできる人間、みなさんそういう大人になりましょうよ。

永遠の淵 きっと僕は言う 思い変わらず同じ言葉を
それでも足りず涙にかわり 喜びになり
言葉にできず ただ抱きしめる
ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの
ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌     (小さな恋のうた/Mongol 800)

02.02.21

なにか出来事があったわけじゃない、いつも通りの一日。昼前に起きて(いつもよりは少し遅かった)、朝ご飯を食べてからカフェへ。そういや僕は絶対朝ご飯を食べる。それも、友人は言い表して「神経症的」と言うくらい健康的な朝ご飯だ。玄米フレーク、ブルーベリージャム入りヨーグルト、野菜ジュース、ゆで卵、カルシウムパーラー、アセロラドリンク、時間とお金に余裕があればプラス野菜サラダ。その後、数キロ散歩するか走るかして、太陽の光を吸収してるんだから自分でも驚くくらい健康的である。やはりこれは、僕が昔みたいに極限的な鋭さを求める生き方から、強靭な精神を求める生き方にシフトしてきたからだろうと思う。どっちが良いとは簡単に言えないけれど、僕はナウ現在、刹那的なスタイルより練り上げられたフォームを追求している。これはかなりドラスティックな変化だろう。刹那的な思考は、その場での極致点には到達できるけど、その鋭さは「削ぎ落として」得られるものなんだ。人間関係も、自分自身も。たった一人の孤独な作業が生み出す極北的厳格性。それはそれで、僕の尊敬するウィトゲンシュタイン的であり、すごいことだと思うんだけど、僕はやはり「人」から離れることはできない。大好きな恋人や、素晴らしい友人や、見守ってくれる肉親、そんな人たちとの交流も含めて、なおかつ僕は僕として生きたい。人を傷つけたり人から離れて獲得した自己はそこで行き詰まるだろう。そうやって生きた人はあまり長生きしないしね。それだからこそ刹那的なんだし、輝くということもあるんだろうけど、今の僕からしたらやはりそれは悲しいことだなあと思う。色んな人にぶつかってさ、傷ついて、泣いて、でも喜んだり笑ったり、そういうふうに自分の感情や人々の気持ちも丸ごと飲みこんでゆける人間に僕はなりたい。今の僕はまだまだそんなことはできなくて、落ちこんだり、感情的になったり、許せなかったり、とてもとても小さな人間だけど、もっともっと色んな人に出会ってもっともっとイイ男になりたい。そのためには精神的にも肉体的にも、鋳鉄のような固くて脆い、というものではなく鋼のように練られた柔軟な固さが必要だと思う。こういうのって、もちろんとっても難しいんだけど、僕の友達で一人それを体現している奴がいるんだよね。僕は彼を尊敬しているし、彼の友達であることは僕の誇りでもある。そして僕も、いつか誰かに少しでもそうやって思ってもらえるような人間になりたい。

河合隼雄がさ、ある本の中で「われわれは苦しむために結婚するんだ」って言うんだよね。「愛し合っているふたりが結婚したら幸福になるという、そんなばかな話はない」というところは納得できないんだけど(僕は、愛し合うふたりが結婚したり一緒に暮らすことよって「最終的には」幸福に辿りつく、と信じている)、苦しむために、というのはとても納得できる。僕らは - that means all living human beings - さ、とても弱い。傷つけあって、ときには殺しあってしまうほどに。それは苦しみを一人じゃ昇華(消化)できないからだと思う。愛する人と一緒にいて、一緒に楽しんで、でもそれだけじゃなく一緒に苦しみ、悩み、ときには傷つけあうこともあるかもしれないけど許しあう、そのために僕らは恋愛するんだ。もちろん人類普遍の法則としていっているわけじゃない。人類学をやっていれば、僕が今言っていることが現代の西洋的トレンドでしかないことはわかる。でも、僕は21世紀のトレンドとして、50年後に僕が死ぬとき未来を彼らに託せるように、全力で宣言したい。二人で苦しみ、悩もう、と。生きるってことは本質的につらいことだと思う。楽しんだり笑ったりできるのなんて実は一瞬のこと。でもそれを愛する人とシェアすることで何倍にもできる。刹那的に生きるのは、見方によっては楽な選択なのかもしれない。でも僕は愛する誰かに、つらくても生きることを選択させ、その生きる苦しみを共有したい。傷つくことを恐れちゃ前に進めないし、傷つけることを恐れてちゃ誰も愛せない。それにどんな誤解もすれ違いも、話し合い、許しあうことできっと解決できる。そう、対話こそが僕らの唯一にして最強の武器。誰しも怒ることはあるし、腹をたてたりもする。でも、憎しみだけは持っちゃいけない。わかりあえないかもしれない。歩みよりは遠い先かもしれない。それでも、対話を続ければ憎しみは持たなくてすむ。

僕らは、傷つきあい、許しあい、愛しあうために生まれてきた。

カフェでは適当に本を読んで満足して、おなかがすいたから帰ってスパゲッティを茹でることに。まあ簡単なペペロンチーノなんて作ったんだけどさ、食べながら真昼間からワインを開けて飲む(笑 平日の昼間から部屋で大理石のテーブルでスパゲッティ食べながら酒飲んで、食べ終わったらグラス片手にソファで読書なんて大学生じゃなきゃできないね。少なくともフリーターだった頃は、まあ大学生だしね、なんてふうに許してはもらえなかった(今も許してもらえないのかもしれないけど)。や、大学生サイコー(笑 そうしてたらアルコールでとっても喉が渇いたので近くのラーメン屋に食事へ。なんだかいつもの通りが駅へ向かう人で溢れかえってた。そうか、今日も大学では入学試験があったのか。せっかく一生懸命勉強してきたのに先輩が昼間から赤ら顔してふらふら歩いてるんだから報われないよな(笑 ラーメンが大盛り無料っつーので、酔っ払ってて気が大きくなったこともあって大盛り頼んでしまった。ペペロンチーノ食ったの忘れてた。死ぬかと思ったぜ。少なくとも吐きそうだった。しかしなんとかこらえてまたふらふら千鳥足で帰宅。

まあこんなふうにたらたらっちゃーたらたら生きてるんだけど、この年齢(22)になってくるとだんだん時間貧乏になってくるんだよね。オヤジくさいこというけど、高校生とか中学生の人にはぜひ言いたい。無駄なことをいっぱいしろ、と。例えばさ、僕が古本屋に行くと、そりゃ安いほうがいいんだけど50円でクダラナイ本を買うよりは500円で有名作家の本を買おうとしてしまう。先の時間(寿命残高)が気になるからお金払って質を買っちゃうんだよね。これはもう年齢を重ねれば自然とそうなってしまうと思う。年取ると牛丼屋に行くより金出してこじゃれたレストランに行ってしまうのと同じ。だから20前の人は、さかしらぶってないでとにかく質なんて気にしないで無駄をいっぱい抱えこんで時間を貪ってほしい。それは本当に高校生とか大学生の一瞬の時期しかできない。僕は大学生だけど、年齢的にできなくなってきてしまった。大人になるってことは、だんだんせこくなってずるくなるってことでもある。そんなのは勝手に身に付くんだから、今は無意味なことに必死になってほしいね。走る目的なんて持ってなくて構わない、とにかく走って走り方を覚えるんだ。タイムを競うのはそれからだ。僕も今はまだもがいてる。でも僕はスパルタ式な考え方をする人間だからね、泳げないならとにかく自分から飛びこんでみることさ。丘で本を読みながら腕を回したって永遠に泳げやしないぜ、そこの青いケツしたボーイズアンガールズ。

02.02.18

古本屋で遠藤周作の「海と毒薬」を見つけた。実際、ここ数週間古本屋に入ると探していたのだから、まあ偶然ではない。しかし結局買わなかった。手に取るまでもなく、本棚から半分出しかけてそこで止めたのだ。多分、あのまま買って読んでいたとしても何も起きなかっただろうし、買わなかったことに何か特別な意味があるわけじゃない。ただ、少し、喉が渇く感覚がした。正確には脳の中で喉が渇く感覚。探していたものが見つかったという達成感、東京から引っ越してきた彼の視線、そこから生まれる脳の中の喉の渇き、そういうものが相俟って、僕は何も買わずにそこを出た。

この頃、エッセイというものを読むようになった。僕が読むものは今までほとんどが小説か学術書に限られていたので変化と言えば変化である。しかし考え方が綴られているようなエッセイはそんなに面白くないと思う。それよりも生活感、つまり生き方のようなものが浮き出ているエッセイが好きだ。考え方なんて人においてたいしたものじゃないし、だいたい感動するような考え方になんて出会ったことがない。それにたいして、生き方は躍動感に溢れてるし、小説家やエッセイストの書くものはさすがプロだけあって文字にしても生の感覚が損なわれていない。僕は友達にそのことを表して「一文一文が輝いている」と言ったが、そんな歯が浮きそうな言葉が似合うような-または、僕はそんな陳腐な言葉でしか言い表せない-文章を書く人が本当にいる。まねるつもりはないが、少し尊敬。

02.02.20

ここ数日僕の通っている大学で入試が行なわれている。先日は僕も所属している文学部の試験日があり、そこそこのお金が出るということで試験監督のバイトをやってみた。別に大変な作業があるわけじゃなく、ただぼーっと突っ立って受験生がカリカリやってるのを見てるだけ。1時間半そのまんまだからけっこう神経が疲れる。似たような仕事でもさ、だいたいは体を少し動かしてほぐしたりできるけどさ、試験監督ってそれもやりづらいんだよね、しちゃいけないわけじゃないだろうけど。まあ女の子の顔見て、この子には入ってほしいなーとか、こんなムサい男は要らねー、なんて考えて暇つぶししてた。んでさ、英語の試験が終わった後、解答用紙を回収するわけ。去年は僕が受けたわけだけど、文学部の英語の問題には長文穴埋め問題がある。英文に突然かっこが入れてあって、ヒントとして頭文字だけ与えられて、その単語を書いて答えよっつー記述問題。確かに、難しい問題なんだけど....僕の集めた列の受験生の解答。space see share spare speed smooth etc. お前ら本当に考えて書いたのか?いや、もしかしたら問題が異常に難しくて、みんなわからなかったのかもしれん。だけど、なぜに名詞形容詞動詞が入り乱れるんだ?

しかしまあ私立大学入試全般に言える欠点だけど、こういう無意味なヒントって止めてくんねーかな。頭文字がsの単語を答えよってことは、もしかしたら他の単語でも意味が通じるかもしれないのにその可能性を否定してるんだよね。僕の大学の某法学部の英作文なんて○○と○○を使って、何語で英作文せよって問題があるんだけど、これなんてただ単に解答に幅が出て添削しにくくなるのを防いでるだけだもんなー。別にさ、たかが入試問題で人間性まで計れるとは思っちゃいないけどさ、こんな問題出しておいて「創造性」は集まらないっしょ。型にはまった答えの問題を出せば型にはまった勉強をしてきた奴が有利になる。んなのは当たり前なわけで。型にはまることが完璧に悪だ、なんて言うこともできないけどさ、せめてスタンスだけでももっとかっこつけてくんねーものかね。前から言ってきたことだけど、その意味じゃ僕は某KO大学のSFC(スーパーファミリーコンピュータ)とか文学部の問題って優れてると思うんだよね。私立大学にしては、だけど。建物とかハードにだけ金かけて、時間をかけてソフトを育てたりしようと思わないこの大学の将来は明るくないな。ま、そうは言ってもマンモス校。なんとかやってくんだろうが。面白い人間も多いから意外とここ好きなんだけどね。あんま人には言わないけど。

最近は昼前か昼過ぎくらいにカフェで読書する習慣がついてるんだけど、今日も行ってきた。だいたいカフェに着く前に古本屋で物色して何冊か買いこむことになるんだけどね。こういうのって楽しいなあと思う。カウンタ席で窓の外を眺めながら、店の前を通りすぎるとき人は何歩歩くものか、とか考えながらさ。あの人はフライパンに油をひくときティッシュを使ってそうな顔してるなあ、なんて想像すると面白いし。ところで今日はカフェの帰りに大理石の机を買ってきた。といってもそんなごつい机じゃない。でも見た目ちょっとお洒落で、部屋においてあると雰囲気が一気にシックになりそうな奴。ホテルに入るときドアマンが名前を覚えてくれているかいないかくらい差が付きそうな机。なんでそんなものを買ったかと言うとね、僕はもともと集中力ってものがない人間なんだ。本を読むにしたって語学をやるにしたって、じっと座ってるなんて僕には無理。もう体がうずうずしちゃってすぐに別のことをしたがるんだ。オナニーとか。冗談だよ、冗談。とにかくそこに立派で頑丈な机があるとね、そこに腰かけたり本を置いたりできるわけさ。机に座って足をぶらぶらさせながら読書なんて普通あんまり自分の部屋ではできないでしょ。でも、僕はできる。部屋の中で公園の遊具に座りながら勉強してる気分になれる。いや、もう最高。きっとニューヨークのバーマンが見たらジャンピンジャックフラッシュってカクテル作ってこの机に置きたくなっちゃうだろうね、絶対。それを飲みながら君にマンハッタンなんか勧めてさ、夜を転がるの、僕の部屋の僕の机と僕のベッドで。おろろん、おろろん、ぐう。