Sunday, May 7, 2000

ログ25('00 05/06~05/15)

05/15(MON)

○髪が短かったころ、ブリーチ剤が余ってもったいなかったので○毛を染めたことがあります。

○昨日のクイズの答え。掲示板で1名様。メイルで1名様ご解答頂きました。解答は「ガラスは厚くなると極端に透明度が下がるので、望遠鏡として用を足すための最大直径は1m程度になるから」でした。メイルでお答え頂いた方はいくつか答えが書いてあった中に「色収差が出過ぎる」とあったので正解でしょうか。でも私がひっかかりやすいと言った答えも書いてありましたね。それは「重い」です。僕も多分答えを知らずにこの問題を出されていたら父と同じように「自重で歪んでしまうから」って答えるだろうなあ。ところで、みんな屈折望遠鏡と反射望遠鏡の違いってわかってます?(笑)

○反射望遠鏡では自重による歪みの調整が最新天文台の課題ですからね。マウナケアに新しくできた日本の天文台(名前忘れた)でその技術が紹介されていたので知ってる方も多いでしょう。ところで今の技術、経済力じゃできませんが宇宙に反射望遠鏡を作ったら歪みがなく巨大なものが作れそうだな。今度は宇宙塵とか太陽風が問題になるのか?

○子どもみたいな考えで悪いのですが、私にはどうしても、なんで命が尊いのか理解できないんですよ。なにが尊いわけ?殺しちゃいけないとかさ、それはわかるんだけど、別に尊くはないでしょ?人間の尊厳とかさ、アウグスティスじゃあるまいし。だけどさ、そうやって論理で言えば生命には尊さの片鱗もないわけで、命ってことにも意味はないと私は思う。ところがさ、論理的にはそうであっても私は私が死ぬのは絶対にいやなんだよね。論理と整合しない。私は論理志向主義だから私が正しく生きるためには自殺しなきゃいけない。それか人を殺して「命って何?」って心から疑問に思うか。でも他者の命ってのは人間でも虫けらでも同じ命だし、命ってなんなのかよくわからないし、そうなら大事だと言うことがなんでかわからないけど明確に感じられる自分の命を断たなきゃならない。そうして死ぬことによって私は生命の呪縛より解き放たれて自由な精神を手に入れ肉体によらない純粋自我になる。その自我のみが思惟から認識の可能性を排除して自我を名乗ることが許されるだろう。そう、それはつまり僕は死ななきゃ名乗れないってことだ(それが言いたかっただけかっ!)

05/14(SUN)

○この日記書き間違いが多いですか?気にすんなよ!こちとら江戸っ子でい!!脱字と誤字は江戸の華ってんだ!!

○生まれて初めてニキビができました。かなり衝撃を受けています。うわぁぁニキビができてるよぉぉどうしよおぉぉってな勢いで。え?僕の顔にニキビがあるのを見たことがある?ああ、できた場所が初めてなんです(以下沈黙)。

○このまえヒマつぶしにシグマ光機から取り寄せたレーザ用光学機器のカタログを読んでました。レンズなんかも扱ってるのでカメラレンズのシグマ光機と間違えられる方もいるようですがレーザ関係がメインのシグマ光機です。イメージキャラクタがオプティちゃんというコテコテネーミングのシグマ光機です。アンケートに答えたらドライバセット(プラス、マイナスの、ね。)を送ってきました。ありがとうございます。でもどうせなら光学に関係あるものがほしかった。それかオプティちゃんの人形。

○そのなかに面白い話があったのでクイズ形式で出題しましょう。天体望遠鏡にはレンズを使った屈折望遠鏡と反射板を使った反射望遠鏡と2種類があります(電波望遠鏡とかもあるけどとりあえず家庭にあるものとしては)。反射望遠鏡は直径が十数mのものもありますが、屈折望遠鏡は直径1mくらいが限界になります。その理由がわかりますか?ヒントは、「なまじっか天文に興味があると間違える」ということでしょうか。私の父上は予想通りの答えで間違えました。答えは後日発表。わかった人はメイルか掲示板で。

○今日は朝8時に起きて大須へ。G60で10Wの白の電球と防水ソケットを12セット買い出し。でもなかった。しかたなくGの50にする。ソケットに至っては似たものさえなかったので諦める。んで、久しぶりの大須なので見知った店なんかで立ち話をしていると、ついに白色と青色の発光ダイオードを仕入れたと言うことで薦められる。かなり欲しかったけど予算の都合で却下。コンサートなんかで発光ダイオードを使った映像のことをLEDと呼び(そのまんま)モニタを使ったものをキューブと呼びますが、最新型にはLEDの応用でLEC(レック)というものがあるらしい。その原理を教えてもらう。わかったようなわからないような。やっぱり実物を見ないとね。というかレックというと法資格専門学校の名前みたいだな。

○模試を受けただけで利用者にするので広告に「司法試験合格者の99%がレック生です」と騙る阿漕な学校。司法試験は資本試験だ、なんて言葉も懐かしいな。

●少し大須で商品に見惚れていたけど午後から人と会うことを思い出し急いで帰宅。すぐに着替えて栄へ。マクドナルドで食事をして散歩してお茶をするという貧コース。本当はそんなつもりもなかったんだけど、行くときに10000円落としました。メフィストを借りたので読んでます。

○ところで下に書いてあるSILVAって誰?歌手?女優?てか女なの?

05/12(FRI)

○愛の伝道師と言えばSILVAですが愛の伝導子って言ったら何になるんでしょう?愛の超伝導とか愛の伝導率とか。愛の電動指ってのはいやだな。いやじゃないけど。

○今日の友人の名言。「大人になるってことは口が裂けても親に言えないようなことをすることだ」。それなら私も立派な大人。

○「飛び出すぞ、〇は急に止めれない」って標語を思いついたんだけど〇に当てはまる語呂のいい言葉が思いつかなくて困っています。誰か考えてください。

○「よく思う」という意味で「よく考える」とは言えるけど「よく考える」の意味で「よく思う」とは言えないこともあるな、と思った(考えた?)。

○数日前TVでちょっとした科学番組をやっていたのを見たんだけど、片手にグローブみたいなものをはめてパソコンのモニタ上のボールを触れるという装置があるそうです。有限微パででてきた装置の視覚情報のないバージョンですね。片手で1300万円だそうで。有限微パの視覚装置は1200万でしたけど。それはいいんですけどね、私が思うにそれは「仮想現実」じゃないんですよ。だって実際に手に感覚を与え、視覚装置にしたって眼から情報を入れているじゃないですか。本当の仮想現実は幻覚や夢、それにこの前のアメリカだったかイギリスでの脳に電極を差し込んで眼の代わりにする装置でだけ実現すると思う。外界から与えられた情報、所与はすべて現実となるのです。

○で、もしそれで脳に直接情報を送り込み、脳で出力する装置がもっと発達してきたらその番組で最後に言っていた「脳で操るリモコン」は作ることができるでしょうか?できそうな気もしますがこれには実はとても困難な問題があるんです。それは、「仮定」と「決定」をどのように峻別するかということです。普通TVゲームをするときは頭で(例えば)右か左かを考えてそれを指でコントロールするわけですが、脳で操るリモコンはこの「考えるだけ」と「それを決定する」を区別しなければいけない。「決定」という指令思考項を別に作れば解決するようにも思えますがその場合は瞬間的な判断にも決定を下さなければならないことになり逆に遅くなる考えられる。ゲームくらいなら問題はないかもしれませんが実用となるとやはり難しい。現実世界はするかしないかのデジタル的現象ですが思考においては仮定と決定に明確な区別がないのです。例えば、極端な話、目の前の女の子が可愛いなと思ったら抱きついているかもしれない。

●現実と変わらないじゃん。

○私は微笑を浮かべながら歩いているときがありますが、前に「嘘っぽいよね」と指摘されたことがある。そうですか、その通りです。嘘っぽいでしょう?なぜなら「仮面的な微笑」を意識して微笑しているからです。嘘っぽいと思われたと言うことは私も演技力が少しはあるということだ。なんてことを言うといつでもそうなんだと思われてしまいそうですがだいたいの人の前では気さくな良いお兄さんです。心から笑っています。ブラックなことを言うことが多いので勘違いされてしまうこともあるけど本当は歯がキランッ(by翼君)ってするくらい爽やかなんです。
 ぼくは黒板に教師が大書した良心的という三文字を眺めた。どこかの教室でかすれたオルガンの音がきこえる。女の子たちが唱歌を歌っている。別にウソをついたとも仲間や教師をダマしたとも思わなかった。今日まで家庭でもそうだったのだし、そうすることによってぼくは優等生であり善い子だったのである。
 ななめ横をそっと振りむくと、あの髪の毛を伸ばした新入生が鼻に眼鏡を少しずり落として黒板をじっと見詰めていた。ぼくの視線に気づいたのか、彼は首にまいた白い包帯をねじるようにしてこちらに顔をむけた。二人はそのまましばらくの間、たがいの顔を探るように窺いあってあっていた。と、彼の頬がかすかに赤らみ、うすい笑いが唇にうかんだ。
 ぼくは視線をそらし、耳まで赤い血がのぼるのを感じた。オルガンの音がやみ、女の子たちの声も聞こえなくなった。黒板の字が震え動いているような気がした。―遠藤周作「海と毒薬」―

●私にとっての若林クンは現れずじまいだったけど、私は自分で気が付くことができた。だから将来肝臓を食べたりはしないだろう。

○「馬から落馬する」というのは有名な重畳言葉ですが、「花が開花する」ってのも重畳してますね。どちらも記号論的には同じ重畳ですが私は少し違うと思うんですよね。落馬のほうはあまり他のことでは使いませんが開花は「才能が開花する」とかいろいろ使うことがある。そうすると最初は一般的なメタファーであった「開花」が花から離れた一つの状態述語になます。そうすると「才能が開花する」はメタファーとして意識されないようになり、そして開花は再帰的に「花が開花する」と使われるようになった、という手順があったんじゃないかと推測してみました。これを勝手に再帰重畳と呼ぶことにしよう。

○そうすると別のメタファーが求められるようになると思うんだけど、そのときは「才能が花開く」と言えばいいかな。これだと「花が花開く」とは言えない(言いにくい)から優れてる。

○ひさしぶりにちょっと長めの日記書いたな。ではでは。

05/11(THU)

○セーラー服とブルマ、どちらが好きですか?私は上はセーラー服で下はブルマ、というのが好きです。

○かびが生えてそうな映画にありそうな映像が思い浮かんだ。

○文学者が言葉のプロであるならば、一番の言葉の素人は言語学者だ。

○ちょっと雑学。日本にあるすべての車を縦に並べると道路の総延べ距離よりも長いそうです。多分車線数とかは考慮してないだろうけど面白い話だと思った。パソコンが家庭に一台から一人一台へとなる日も遠くないでしょうけどそうなったら人口よりもパソコンの数のほうが多くなるんだろうな。

○対面(といめん)の人に左右を教えるときは自分と逆の方向になるけど無重力空間だと相手が逆さまかどうかまで考えないといけなくてめんどくさそうだな。

○中学校の英語の授業なんかで「英語は逆から読みます」なんて言われるけど英語圏では「日本語は逆から読みます」なんて教えているのだろうか?相対性言語論。

05/10(WED)

●おとといの夜コカコーラ(コーラは絶対コカコーラ)を買おうと自販機まで行ったら名城交通の中島さんに捕まりました。中島さんは天白生まれで昭和15年生まれ、59歳のおじさんです。誰ですか?いや、私も知らないんです。横の公衆電話(今「公衆電話」と言う言葉を思い出すのに10秒近くかかった。)で話していた人で、「酒はまだ買えるのか?」と聞かれたので「まだ23時前だから買えるんじゃないですか?」と答えたらそのまま捕獲される。22時から23時20分までずっと付き合わされる羽目に。しかも酒臭いし。口癖は「大事なのは親を大事にすること。次に派閥を作れ。ただそれだけだ」です。ただそれだけって言うくせにずっと話を続けるし。途中でコーヒーを買ってやると言われましたが中島さんはコーヒーなのに私が渡されたのはなぜかミロ。ガキはミロでも飲んでおけってこと?いや、美味しくいただいたんですが。近くの飲み屋の「まりちゃん」からの帰りだったようでママのまりさんがブスだデブだと言いまくってましたけど、まりさんって私も知り合いだから言いつけちゃいますよ?同じことを何回も繰り返すので疲れてしまい、なんとか言い繕って逃げました。さみしい人生送ってるんだろうなあ。私もなりそうだ。

○バイクで走っているときに仄かな甘い香りが。分離帯に植えられたツツジの花の香りでした。タンポポのときにも言いましたが、ツツジの花の蜜の味を知っている子供は今もいるのでしょうか。野の草花を口にするなんて考えられないんでしょうね。私の同世代の多くさえ。私なんて今日も野生のセリの和え物を食べていたと言うのに。

○たらたらしてるよりは走っていたい。レッドゾーンギリギリなんて中途半端な人生は送らない。どうせなら振り切っちゃえ。

○NHKの動物番組で「(猿の子が)竹を折って食べる力がまだないので~」というナレーションがあった。日常会話では事足りるが論述的に正確に言うならば「食べるために竹を折る力がまだないので」。

○森博嗣の「夢・出会い・魔性」ですがまだ買ってません。家の近くの本屋ではもう見たのですが。なぜなら私は森先生の御本は栄の紀伊國屋書店で買うと決めているからです。この前古本屋で藤木稟の「黄泉津比良坂 暗夜行路」を買ったのですが読むのはいつになるのでしょうか。前編の「黄泉津比良坂 血祭りの館」を読んだのはもう1年以上前になります。内容忘れた。積読(積読って広辞苑に載ってる言葉なんですよ)が10冊ほどあります。読むペースよりも買うペースの方が早いです。といか今読んでるフッサールの「現象学の理念」が難しすぎてなかなか前に進みません。現象学の本は今まで何冊か読んでいるのですが未だになんのことかわかりません。還元とか本質直感ってなに?

○理念って知念理奈の略みたいだな。

○地下鉄に乗っているとき、前に座った女性がミニスカートでなぜか足を爪先立ちのようにするのでパンツが仕方なく目に入ってしまったが(もちろん言い訳)、どうも外見からして中学生のようであまり嬉しくなかった。やっぱり最低18歳以上だと思う。女性にとってはなぜパンツを見て嬉しいのか疑問であると思うが、立ちかえって考えてみればもともと感情にははっきりとした理由がないことが多いのだ。例えば「昨日は休みで遊んでいたが楽しかった」というとき果たしてなにが「楽しい」のか。遊びなのだろうが、その、遊ぶという行為がなぜ楽しいのか。なんて言っていても基がパンツなだけに話が膨らむほど間抜けになってくるのでやめておこう。パンツを見るのは楽しい。ただし美人限定。

◎座っている女性を上から見下ろしての胸の谷間も同じ。

○言葉を考えるということは劇中劇のようなものだ。言葉を使い言葉を対象としたコメディ。論じれば論じるほど哀れになっていく彼は悲しいピエロ。そして彼は口を噤んで言語学的パントマイム。場当たり的で日常的なエチュードを演じながらシナリオは後から書き足し。

○ノンフィクション小説はあり得ない。なぜならばその逸話が選定された時点で「選定」という働きが関っているから。すべての事象はただあるのみであり一回性の世界だ。1冊のノンフィクションを書くためには数万冊の現実が必要となる。1ページ目で主人公が死んでしまうこともあるだろうし解かれない推理小説もある。すべては虚構だ。

●小説の続き。美里と出会ったのは18の夏だった。彼女の右目には眼帯があてられていた。それが特徴的だったが、最初の印象はただそれだけ。つまりは影の薄い人間だった。友人との集まりにいたので少しだけ話をしただけだ。次に会ったのは数ヶ月後。相変わらず右目には眼帯があった。よほど悪い眼の病気なんだろうと思う。彼女はなぜか(本当に不思議ではある)俺に興味を持ったようで何度もしつこく話しかけてきた。女に話しかけられて迷惑がるほど堅物じゃない。少しだけ俺は彼女に好意を持った。二人とも臆病で、なにも言わない始まり。―それはとても綺麗な目だった。こんなに綺麗な目なのになぜ覆わなければいけないのだろうと俺は彼女を可哀相に思った。だから俺は舐めた。できるだけ、優しく。そして俺は俺の前でだけでも眼帯を外していてくれと頼んだ。その目を見ていたいから。そして触れていたいから。―始まりはなかったのに終わりはあった。俺から切りだした。感情に嘘がつけない俺は言うしかなかったのだ。彼女は辛い思いをしただろうか。彼女は傷を増やし、俺は罪を増やしたのだろうか。あれから少しだけ時間が過ぎ、俺は多少大人になったのかもしれない。彼女も今はもう俺のことを忘れているだろう。そうあってほしい。そして彼女の眼窩に空いた穴を見守るやつがいることを願っている。

05/07(SUN)

○古館さん、「侃侃諤諤」という言葉があるのを知らずに「喧喧諤諤」の間違いと思ったのは私の過ちでした。すみません。でも正反対のことを「まぎゃく」と言うのはどうかと思いますが。

○昨日の日記の「腹を決める」は「腹をくくる」のほうがよかったでしょうか?

○某メルマガより転記。「マリリン・モンローが、新聞記者から“何を着て寝るのか”と質問されて、「シャネルの5番よ」と答えたというのは有名な話だろうか。」日本語だと洒落たセリフだけど記者とモンローは多分「wear」って言ったんじゃないかな?そうだとすると少しだけレベルダウン。

●今ごろ花粉症に罹っています。

○言葉を考えるということは眼鏡を探すために眼鏡を探しているようなものかもしれない。暗闇を照らす懐中電灯が欲しくて見つけるために懐中電灯を探すような。本当はその懐中電灯を使ってなにを見つけ出すかなのに。しかし言語の状況的には電話をかけて相手に相手の電話番号を尋ねているようなものか。「私は日本語がよくわからないんです」と日本語を使い流暢に説明する少年。空転する疑問符。対象は自分自身へと投射され言語以前の意識は言語活動へと貶められる。

◎しかしクイズ日本人の質問に出演していた吉本多香美(だった?)という人はかなり美人だと思う。

○昼に用事で名城大学に侵入したときに放射性廃棄物のマーク(正式名称知らず)が貼ってあるタンクを発見。いつか写真を撮ってこようと思っている。

●久しぶりに会ったS.Nに「言葉がおかしいよ」と指摘を受ける。スミマセン。

○トイレで用を足しているときに外で女性二人組が「ねえねえ、ここ男子便所だけど使ってもいいのかな?」「いいんじゃない?」という会話をしていたのが聞こえてきました。出づらくてたまりませんでした。

◎そのあとS.Nがトイレに行くときについていってトイレの中でその話を大声でしていました。後にS.N曰く「先に女の子が入って行くのを見たから中にいたと思うんだけど」。

○夕食は菜の花の御浸しにわらび、たらのめ、雪ノ下の天ぷら、浅蜊の味噌汁、白米にポケモンふりかけ。はたしてこれが現代の若者の食生活といえるだろうか。

○でも山菜大好きです。

○稲妻がとてもきれいに見えたので1時間くらい観賞してました。デジカメで100枚ちょっと撮ったけど残念ながら一枚も写っていませんでした。まあこんな感じで。

○そういえば今日夢でカミナリが落ちまくってさらに洪水になる夢を見たんだった。今のところ半分当たってるわけだ。ちょうど今雨がものすごい勢いで降り始めています。起きたときに家の前の川が溢れてたら予知成功。

○おやすみなさい。

05/06(SAT)

「SATって時事的な言葉だね。」
「いきなりなんですか?脈絡のない」
「はは、脈絡はないよ。脈絡のないジョークが最高なんだ、、、、」
「なんで犀川先生パロってるんです?しかもジョークだったのですか?」
「パロってるって何?パロるって動詞があるの?言語コードの規定をすることをパロるって言うのか?」
「それはパロール。ってそんなこと誰もわからないし。真似してるってことですよ」
「ああ、パロディーね。ビルの1階部分が、、、、」
「ピロティ」
「そうそう。で、ピロティがどうしたって?」
「いや、ピロティの話じゃないし。しかも話を振ったのは先生からだし」
「僕の言うことにたてつく気かい?死刑だ!!」
「そんな御無体な。そんな横暴中世じゃないんですから罷り通りませんよ。、、、、まさか専制君主とでも?」
「また会おう明智君!!」
「いや、僕明智なんて名前じゃないんですけど、、、、」

○10ヶ月ほど前に新しいマスクを購入したんだけどなくしちゃいまして。ここ数ヶ月は素顔だったのでなかなか人に会いにくかったですねえ。んで新品を買おうかどうか悩んでたんですけど結局昔のマスクを再利用することにしました。ついでにHNも変えました。「勿忘草」です。ありがちですか?いや、「忘れ草」とどちらにしようか悩んだんですけどね。漢字がかっこいいし英名が「forget me not」というところがかっこいいし。いいことだらけ。1年くらい前に一度使ったことのあるHNなんですが。高校生時代のあだ名の「美女草」にも微妙にマッチ。そういえばみんなあたりまえのようにやってますがHNを考えてそれをみんなに教えるって学校で自分であだ名つけてそれを友達に「ねえねえ、これから私のこと「勿忘草」って呼んで!!」っていってるようなものですよ?そんなこっぱずかしいことよくするもんだ。私も含めて。とりあえず裸でいるのはとても寒かったので服を着ました。もうだいじょうぶ。あ、今唐突に思い出したけどここの日記の題名が「だから僕は殻に閉じこもる」だったときがあったな。だから僕は眼を瞑る。天使は瞳を閉じて。tell me. just kill me. and kiss me.

○道を歩いているときにある店の前で看板を見たのですが、「次の水曜日は定休日にさせて頂きます」と書いてありました。おかしい。「定休日」なら「させて頂く」にはならないはず。「次の水曜日は休みにさせて頂きます」なら問題ないのだが。そこでその店の店主に尋ねたところやはり水曜日は定休日だそうで。まず考えられるのは「次の水曜日は定休日になっております」という報告型。しかし水曜日は毎回休みなのだから「次の」は不要。そうなると「水曜日は定休日になっております」といったところか。もう一つの可能性として今週の水曜日から水曜日を定休日にしたのなら「次の水曜日から水曜日を定休日にさせて頂きます」という文が可能。ただしこの場合は水曜日が2回出てきてくどいので「今週から水曜日を定休日にさせて頂きます」のほうがいいかもしれない。ああいう文を読んでいつも不思議になるのは書いたときに気が付かないのだろうか?ということ。私だって適当にぱぱっと書いたときはそういうこともあるやもしれぬが(なぜか古語調)それを印刷していたるところに貼るのならもうすこし推敲するけどなあ。よくある言葉の問題に「She has two books.を訳せ」というものがありますね。中学生はこれを「彼女は2冊の本を持っている」としてしまいがち。正しくは「彼女は本を2冊持っている」ですね。

○このごろ2,3日に一回しか口を使って人と話さないので口がなまってます。うまく話せない。頭の中では文が組み立てられているのですがそれを口にするときにひっかかります。吃る感じ。ますます社会から離れていっているような気がしますが。

○話題が乏しいので私の恒久的なネタである殺人についてでも。豊橋で高校3年生が主婦を刺し殺して広島でバスジャックをした17才の少年が主婦を刺し殺しましたね。でも私は前者と後者は全然違うと思う。今でもここを見てるのかどうか知りませんが、見てる人の何人かは同調してくださるんじゃないかと思いますがバスジャックはなんの興味もないつまらない殺人。しかし前者の高校3年生は興味深い。ネットだから言うのであって少し卑怯かとも思いますが、私は彼を少し尊敬している。私はちょうどあの事件が起きる直前に「(刺殺)殺人の経験って結局は現象的に解釈するならただものに包丁を突き立てるだけなんだよな」って考えてたんですね。だからあの事件が起きて少年が「殺人をしてみたかった」と供述したとき少しうらやましかった。彼は経験したんだぁって。人の命がここまで重く見られるのって歴史的にはつい最近のことでそれも現在の世界でも部分的なものだけどそれでも私はやはりそういう感性を刷り込まれて生きているわけでそこから逃げるには殺人も一つの手段だと思う。バスジャックの少年みたいに狂った殺人じゃ意味がない。あくまで正常で普通で正気な殺人。そう、真賀田博士のように、、、、。夜、部屋の電気を消して蹲って、私は人を殺せるか考えることがあるが、やはり殺せないだろうと思う。狂えないからじゃなく正気になりきれないからだと思う。現代もまた魔女狩りの時代と変わらず集団の狂気が渦巻いている。私はそこから抜け出せないでいる。彼はそこから抜け出した。そこに際どいラインが私はあると思うのですが、それも少年の供述にありました。「思っていたことと違ったのでやめようかとも思ったがそのときはもう遅かった」。そう、そこがラインなんだと思う。

○あまりにも忌まわしい記憶なので忘れていましたが一度だけ殺人を覚悟したことがあります。はっきりとどんなときかと言うと私の人格が疑われるので言いませんが、その対象となる相手がこの角を曲がって私の前に来たら殺そう、と腹を決めたんです。そのときはたまたまその相手が違う方向に行ってしまったので殺さずに済みましたがあのとき殺していたら当時中学生でもあったことですしちょっとした話題になったかもしれませんね。まあそのときのエモノはただの棒でしたし経験から言って思い切り棒で殴ってもそうそう死ぬものじゃないのですが覚悟はしました。安心とともに少し残念だと感じたのを覚えています。犯行が露見しなかったので告発しても証拠不充分で不起訴になります。もう6年くらい前の話だしね。

○ここ数年気に入ってる言葉。
「不安と焦燥」
「身体性の欠如」
「欠陥感情」

○大阪弁で話す人と話していて面白いのは「だったら」を「やったら」ということですね。「彼とだったから」を「彼とやったから」と言うので一瞬どっきりします。

○こんなのがここ10年の私のマスク。ペルソナって「PERSONA」って書くよね。現代英語のPERSON。個性もすべて仮面でしかない。私は私を演じて生きていく。