Sunday, March 5, 2000

ログ18('00 03/04~03/09)

03/09

ますますパソコンの調子が悪くなってきておますDOSなあ。前まではダイアログの隅にある「〇、□、×」がなぜか数字になっているとかその程度だったんだけど今は勝手にメイラのアドレス帳に載っているメイルアドレスのjpをjだけに変えられたり「…」のはずが「・・?」になっていたりともうだめだめ。崩壊目前。壊れたらネットやめます。それまではしますが。その前に私が壊れるという噂もないではないですが。

日本語について書いていたせいでつい記号論の本なんて買っちゃってね。言語学のなかに記号論があってそのなかに意味論(セマンティクス)、統辞論(シンタックス)、語用論(プラグマティクス)の3つがあるわけ。私は専門家なわけじゃないから勝手なことを書かせてもらうと一番簡単なのはシンタックス。言葉がどのような形で使われるかという、つまりは文法についての分野。一番わかりやすいのがコンピュータ言語だね。あれは文法のみでできていてさらにその言語を使う現場はコンピュータに制御されていてまったくノイズ(術語)が入らない。だから正確さを期待することができる。そこにそれを使う人間のことを考えたのがセマンティクスかな。HTMLで言ったらというタグが何を表すのか。コンピュータはそんなこと考えずに指示された通りに動くだけだけど人間はそのタグの指示するところ、つまりは対象を考える。そのときに対象を代表する記号としては現れるわけ。プラグマティクスはじゃあどんなときにを使うのか?ということ。わかると思うけどこれはノイズの嵐。「僕は彼女を殺そうと思った」という文を「僕は彼女を殺そうと思った」にするか「僕は彼女を殺そうと思った」にするかをどのような場合になら、、、、と考えるわけだからまったく統一性を見つけ出すことができない。しかしながら私達人間が相手に心があると判断する基準にあるのは文法でも意味でもなくそのときどういう言葉を使うか?ということにあるのではないだろうか。例えばチューリングマシンでも人間に見まごうばかりの機械はただきれいな言葉を使うだけではなく機転の効いた言葉遣いが必要になる。まあ、言葉っておもしろいってこと。私という記号は何をさすのだろうか?

今週末は大阪だあ。


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03/07

あるところに男がおりました。男は覗きが大好きで、双眼鏡や、ナイトスコープまで装備していました。あるときとても美人な人を見かけて、男はどうしても彼女の入浴シーンを覗きたいと思いました。ところが彼女の家の周りにはとても高い壁が張り巡らされているうえに、周囲に高い建造物もないのでとても覗けそうにありません。どうしようかと思案していると、空の上からお月さまが男に話しかけました。
「おおい、男よ。私はこんなに高いところにいるので苦労しなくても彼女の入浴を覗くことができるぞう」
月はそういうと高笑いしました。
月は優越のデバガ、、、、(袋叩き)


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03/06

あ~~腹たった。めっちゃ。interQ。私のプロバイダ。ここね。なにかっちゅ~~と、プロバイダを変更しようと思ったわけ。サービスカウンタに電話かけてそう言ったら
「どれくらい使ってますか?」
これはまあいいね。一年以上使ってるから自身満々に
「おととしからです」
「HPのフォームから退会手続きをとってもらうのですが」
「一応見たんですけど見当たらないですう」
「うんちゃらかんちゃらのどこどこからリンク貼ってあります」
あとから見たけどめちゃくちゃわかりにくいところに置いてあります。
「じゃあすぐに申請します」
「あ、一応申請があってから3ヶ月後の退会になりますので」
なんやねんそれ!!無茶苦茶やなあ。滅茶苦茶、でもいいけど。月4000円ちゅう高い金取っておきながら申請から退会まで3ヶ月!?携帯電話なら解約した月は日割り。そうしろとは言わんけどせめて当月分じゃない?今申請しても4、5、6月は使えって言うんだよ。ひっで~~。電話口でどなりたかったけどどうせ契約書の片隅のほうにでもちょろちょろと書いてあるんだろう。だから食い下がる。それにしてもあこぎな。

こういう公共性のある会社の真価は退会時にわかるものだと思う。退会される時点で魅力が薄いのかもしれないけど、退会時に煩瑣な作業があったりあまつさえ金を毟り取ろうとする。最低ですな。前にPHSから携帯に替えたときも、以前使ってたときは近くの事業所に持って行けば当日で解約できたのに、今度はサービスカウンタに電話して解約手続きの書類を送ってもらってそれを送り返さないといけなかった。もちろんその間の料金もきっちり取られるわけ。こういうのって、どうよ?(どうよってどうよ?)

とりあえず即刻退会申請だしました。そりゃ裏interQなんてページ作られるわ。

昨日の「敗北者」は翌年に続きが掲載されたけどあまり質がよくなかったから載せない。敗北者の中にひとつ、書く動機にもなったと言われている言葉遊びがあるんだけどわかりますか?


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03/05

 Oは日曜日、昼過ぎに目を覚ますと電話で今日の用事を済ませ近くのミスタードーナッツへと向かった。日曜日をゆっくりと過ごすにはミスタードーナッツでコーヒーを飲むのが一番だと信じて疑わないOだった。カウンタ席につくと朝食代わりでもあるダブルチョコとエンゼルクリームには手をつけずまずコーヒーを飲む。至福の瞬間だ。眉間にしわを寄せながらなにやら小難しいような題名の本を開いている様は残念ながらOの外見とはミスマッチで、申し訳ないが無様だと言うしかない。実際、Oがそのとき紫煙を見ながら考えていたことと言えば勤労会館にある喫茶店の看板のことだった。喫茶「食堂」とはいかなる意味なのか。またはミスタードーナッツにくるときに通った道に吊るされていた学生制服店の2mはあろうかという学ランを着る人間がいたら体重はいかばかりかと言うことだ。しかししかめっ面だったOも、数日前高架下に表示された看板に2.3Mと書かれていて最初何を2.3MもDLするのかと考えて、それがメートルを表していることに気が付いたことを思い出すと一人クスクスと笑った。くだらないことを考えるものである。

 それからOは日本語について考えていた。標準(共通)語では「そうだけれども」というところを東北なら「んだども」で済む。「そうならば」なら「んだば」。若者は「~~じゃん」という言葉遣いをするが、丁寧に言ったら「~~でしょう」や「~~じゃないですか」という感じになってしまって正確なニュアンスが得られない。「~~じゃん」は横浜弁と言われたりするがもともとは三河弁だ。三河の方言を表す言葉として「じゃんだらりん」というものがある。Oは最初それでひとつの言葉だと思っていたのだが、そうではなく三河弁の語尾につく言葉をひとつにしたものだったのだ。つまり三河では「~~じゃん」「~~だら」「~~りん」と使うのだ。「~~ずら」と言うのは殿馬君である。これは三河は隣、静岡弁だ。俗にずーずー言葉と言われるやつだ。名古屋はご存知みゃーみゃー。O自身は滅多に耳にしないのだが多かれ少なかれ方言というやつはそんなものだろう。大阪弁や沖縄言葉などメジャーな方言以外はそこまで使われるものではないとOは思う。しかしOは広島弁と宮崎弁が好きだ。広島の「~~じゃけえ」や宮崎の「〇〇にでんいっかね(〇〇にでも行こうかな)」など、とても素敵な言葉だと思っている。ただし、あくまでもOは個人的に方言が好きという程度でひとつの方言を網羅しているわけでもない。だからOは「こういうむつこいものはあまり好きじゃないなあ」と言って〇媛県民に親近感を覚えられたことがあるがけっして愛〇の方言をよく知っているわけではないのである。

Oの日常は、バカバカしさが半分であとの半分はクダラナイだろうか。

某機関紙より転載。我ながらこんな昔のものをよく覚えていたものだ。

「敗北者」 P.N:M

 私は一人の敗北者。小さな泉に住んでいます。
 私は泉から出られない。私はこの森から出られない。"外"は寒くてこわいから。他の敗北者の人達は、どんどん外へ出ていくのに、目をかたくつむって思いきって水から外へ飛び出していくのに、私は外が怖い。でも今は、わざわざ外へ出なくても、ここから外を眺めていれば、私にはそれで十分なんだ。
 でも私には変化が必要だった。そこで泉をひとまわりすることにした。
しかし泉はあまり広くなかった。熱帯魚たちの群れをぬけ、サンゴ礁を見てまわると、またもとの場所に戻ってしまった。
「ああ、つまらない。」
見上げると、太陽が輝いていた。あたたかかった。太陽は外のものだけど、ここには何もないけれど、あたたかくて幸せのような気がした。
 急に"ドボン"という音がして、泡がぶくぶくとたった。また一人、何かに負けた人がここに落ちてきたのだ。それは私にとって、「変化」だった。私は高鳴る胸をおさえ、そっと近づいた。なんだか水がしょっぱくなったのに気づいた。私が落ちた時と同じ味だった。
 その人とはよく話が合った。同じ弱みをもっていて、同じ痛みをもっていた。
 ある日その人は、「外は嫌だ」と言った。「なぜ?」ときくと、「こわい。」と答えた。「何がこわいの?」とまた尋ねると、「…傷…つくのが…。」と言った。ああ、私とおんなじ。
 なんだかほほえましい気持ちになった。オシャカサマにでもなったような気分だ。
 でも次の瞬間、私はこう答えていた。
「こわくなんかないよ。」
「え……。」
「外はいいよ。いいところだよ、暖かくってさ。」
「……うん……。」
いままで思っていたこととまるで反対のことを言った。私は嘘を?いや、違う、むかーしむかし、私も外の暖かい風にあたっていたときがあったんだ。忘れてた。外だって、何かを着ていれば、もしくは走りまわって汗をかけば、寒くはないんだ…。
「もう一度、外に出てみたら?」
「でも…もうできないよ、私には。」
「だいじょうぶだよ、また負けたら帰ってこればいい。」
「そうか…。でも、あなたはどうするの?」
「私……?」
そういえば、考えてもみなかった。私はこれからどうするのだろう。少なくとも、ずっとここにいるわけにはいかない。空を見上げた。やっぱり太陽が輝いていた。外に出てみようか。もう一度外に出て、あの太陽の下、思いっきり走ってみようか。そう、思いっきり。今までの十倍も百倍も速く。広ーい原っぱを、息が切れるまで。
「私も外に……。」
そう言いかけてハッとした。いけない、私は外に出るための"着るもの"をもっていない。このまま外に出て、もし北極とか南極から冷たい風がひゅ~っと吹いてきたら、私はたちまち凍ってしまう。またこわくなった。この前も、凍りつく寸前にこの泉に落ちてきたことを思い出してしまった。
「やっぱりだめ……。」
「ん?」
「あっ…。私はね、ここが居心地がいいの…。だから、気が向いたら出てみるつもりだから…先、行ってて、その時までバイバイだけど…。」
「あぁ…。そっか。いろいろありがと。これからもお互い、いろいろなこと頑張ろ。」
その人はそう言って、ちょっとほほえんだ。急に強くなったみたいに思えた。
「うん…。」
自分がみじめだった。
 あの人は、それから少したってこの泉を出ていった。ああ、もちろん"着るもの"をちゃんと着て。うらやましかった。
 空を見上げた。やっぱり太陽は輝いていた。でも、今日の太陽はいつもよりまぶしくて、思わず手をかざした。その時、私の目の隅に写ったものは、あの、いつか泉に落ちてきた人の、"笑顔"だった。暖かい風に吹かれて、あの人は笑っていた。
「いいな…。」
そうつぶやいた時、また泉の水がしょっぱくなった。
 私はまだ泉から出られないでいます。あいかわらず空を見上げています。いつかはこの泉から出たい、と、冬に目覚めた新芽のように、小さな心で願っているのです。


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03/04

某メルマガより転載。

◆◆◆あなたは本当に愛しているのか?◆◆◆

 普段は優しくて面倒見のいい妻。しかしたまに仕事で夫の帰りが遅くなると、とたんに不機嫌になったり、逆に家事にも協力的で優しい夫が、妻の外出には極端に神経をとがらせたりする場合がある。 どこにでもありそうな夫婦の姿であり、世間では「嫉妬深い」といわれる程度ですんでしまう。しかし本当に嫉妬深いだけなのだろうか?― じつは本当の意味で相手のことを愛していないという説がある。 そもそもこのようなタイプには、「自分は孤独だ」という不安があり、その不安をいやそうとして相手にしがみついている。その“しがみつき”と恋愛を錯覚しているだけのこと。というのだ。

◆◆◆神経症的愛情欲求~「世の中は敵ばかり」「自分は孤独」◆◆◆

上の続き

 精神分析学者ホーナイによると、このような愛の形を「神経症的愛情欲求」とよんでいる。子どものころ親から愛情を十分に受けなかったとことが原因とされれ、このような子どもは無意識のうちに親に対して敵意を抱くことになるが、親にはそれを直接みせることはない。 その敵意は抑圧され、周囲の他人に投影されるようになる。その結果、「世の中は敵ばかり。自分は孤独。」と感じるようになってしまうというのだ。怖いのは自分も親すらも気がつかないことだろうか。 話しは戻るが、本当は愛情に飢えているのに、他人からの愛情をなかなか信じることができない。相手が「愛していない」素振りを見せると、とたんに不安になり、ときには攻撃的にもなる。 夫の帰りが遅くなると不機嫌になる・・妻が外出しようとしたりすると、突然、人が変わる。いつも一緒にいないと「自分が愛されていない」と感じているかもしれないのである。

◆◆◆このタイプは悪循環に陥りやすい◆◆◆

上の続き

 このような人間はさらに悲劇的な運命をたどる場合が少なくない。こうした愛情欲求は、相手にとっては相当な負担になり、「もうつきあいきれない」となりやすいからだ。 別れるとなるとまたも相手に敵意を抱いてしまう。しかし敵意を抱くと相手がいよいよ自分を愛してくれなくなるのではないかと不安になるため、この敵意をじっと胸のなかにさらにしまいこむ。子どもの頃のように・・ その結果、悪循環に陥り、ときには何かしらの行動を起こすかもしれない。

★このタイプは、愛情が相手の「不安」の裏返しであることに気づかせるしかなく、その上で、その「不安」には根拠がないこと、「あなたは孤独ではない」と説くしかない。三つ子の魂百まで・・諺(ことわざ)通り、並大抵ではないが相手を愛しているなら、いつかは好転するかもしれない。