Wednesday, October 27, 1999

ログ08('99 10/26~11/04)

はっなげっに飛~び~つ~こ~うの日々

どんどん♪


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「I'm just in loveの日」11/04(木)

●断章

わたしはシステムである.一つのシステムではあるが唯一であるかどうかは判断できない.わたしはわたしの要素を自信を持って語る.しかしすべてのわたしについて語ることはできない.こうして考えているわたしには追いつけないからである.よってわたしはわたしについては語りえない.それゆえわたしがわたしである理由は語られえない.命題を解体しようとする努力こそが命題を語り得ないものとする.わたしがわたしであるということはこのわたしがわたしであるということであって他のだれかのことではまったくもってない.語らないことこそが語るべきことである.わたしは言いたいことを言わなければならない!言いたくないことを言わなければならない!神は論理的であるとは限らない.しかしわたしは論理的でしかあり得ない.ゆえに神はわたしにその背中を見せる.あることとないこと,それはあることである.ないこととはない.言わないことこそ言わんとすることである.わたしはわたしに語る.それ以外にではない.きみがきみであるという事実をわたしは持たない.わたしはなにか一つでも有意味な言葉を語ることができるのだろうか?それはわたしのうちのことではない.わたしが語ること,それはわたしの語らないことでもある.すべての文章は書かれていない.

●ちょっと寝坊してあせっておでかけ.夕方に本屋で1冊本を買ってミスドで読む.本は永井均先生の「ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書).toshi君がこの本を買ったようなので質問されても答えられるように復習もかねて(笑) 感想(って言うの?(笑))は,永井先生の論文を読んでないとわかりにくいんじゃないかな,ということ.永井先生は「私」ということを問い詰めている哲学者ですけど,先生の使う<私>という記号が持つ意味を理解していない人には読みにくいかも(<私>という記号は実は理解できないことに本質があるんですけど).でも,言ってることはやっぱりすごい.ほんとうにウィトゲンシュタインの言ってることをわかろうとする人なら巷に並ぶデタラメな解説を読むよりは多少難解でもこれを読んだほうが良いでしょう.デタラメな解説とはわたしの文章のことです(笑).

●「燃えるような恋がしたい」と言いますけど(実際に聞いたことはないし言ったこともないですが)恋は可燃物じゃないですよね.水曜日の朝に並んでるの見たことないし.これは「燃える」という言葉のイメージから想起される印象を使った比喩なわけですが燃えるの印象とは?それは一つづつあげていくこともできますが(例えば炎とか熱いとか赤とか)実際にはそれらではなくそれらからもたらされる統一的な印象のことです.ですから印象はばばーん!!と打ち出せることはなくなんとなくでつかむしかありません.「炎」や「熱い」や「赤」に含まれる論理的形式を「燃える」と照らし合わせてその形式の一致をもって使うのです.それら形式は言葉の内的な関係であって再び言葉で表すことはできない.要らんウィトゲンシュタイン解説ですが(笑).というか燃えるような恋はどこに行った?(笑)


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「ほっしっぞらっのし~た~の~ディースターンス♪の日」11/03(水)

●新聞の投書欄とかつい読んでしまうたちの悪い人間ですが,あれってどうしてまともな意見を書いてる人が数十人に一人(つまり3日4日で一人くらいしかいない)なのでしょうか.わたしが思うに,まともな意見を思いつく人は投書することに意味がないことを同時に知っているからです.それか,投書しないことがささやかな抵抗.ハイジャック機に向かって「Take Offするな!!」うわぁ(笑).

●友達と電話でウーパールーパーとエリマキトカゲはどっちが先でどっちが早く消えたかということで議論してみる.わたしの記憶ではウーパールーパーのほうが先に現れて消えた気がするけど未確認.調べる気もないですけど(笑).今日は朝までICQでお話してちょっぴし寂しい気分になってため息をついて頭をプルプル振ってから溜まっていたメイルの一部にレスを付けて昼過ぎから夕方までチャット一服しませんか?で,おやすみして起きたら22時.始まり良ければすべて良しということで素晴らしい休日でした.

●語り合った言葉も
 伸ばした指先も
 触れた瞬間に消えてしまって
 気が付けば幻想

 だからこの手につかみたくて
 だからくちづけ交わして
 一瞬のemotion?煌いて
 不安のsentiment?かき消して


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「わたしにできること,あなたにできることの日」11/02(火)

●夢を見ました.悲しい夢です.でも,あなたに聞いて欲しいのです.

~~わたしは友達と二人でハイキングに行く途中でした.目的地はG県にあるN岳です.そんなに高い山でもなく,とても楽しいハイキングになりそうな雰囲気です.わたしは気の合う友達とおしゃべりをしながら駅で電車を待ちました.その人には前から好意を寄せていて,この旅でもっと近づければなんて思っています.

乗った電車は鈍行で,しかも幸運なことにわたし達の他に誰も乗っていません.降りる駅までゆっくりとお話ができそうです.わたしはうれしくってうれしくって,胸が高鳴ってとてもドキドキしていました.実は昨日の夜も興奮してなかなか寝つくことができず寝たのは2時を回ってから.朝が早かったので眠いのですがしかしそんなことは少しも気になりません.いまこの一瞬一瞬が今までで一番大切な時間なんですから.

それは電車がカーブにさしかかった時でした.スピードの出し過ぎだったのか線路になにかあったのかはわかりません.わたし達の乗っていた後部車両が脱線してしまいました.

~~最初に思ったのは冷たいな,ということです.顔に滴がぴちょぴちょ落ちてきていたのです.目を開けて見ました.わたしは川の中に浮いていました.どうやら電車が脱線したのは鉄橋の上でわたし達は川に放り出されてしまったようです.、、、、わたし達?そう,わたしは友達と一緒だったのです.あわてて回りを見渡しました.まわりには誰もいないようですし,電車も見えません.下流まで流されているようです.

わたしは陸に上がり少し探してから近くの草むら(といっても川の中のですが)にその人を見つけました.わたしは急いでその人のもとに行くと陸まで引っ張り挙げました.息をしていませんでした.わたしは最初何をして良いのかわかりませんでした.頭はパニックで真っ白です.そして少ししてから人工呼吸をしようと思いました.

(えっと、、、、たしかまず首の下になにかいれてのけぞる姿勢にして気道を確保するんだっけ?、、、、)

わたしは自分の服を丸めて首の下にいれます.

(それから,息を吹きこみ,胸を手で押して息を吐き出させるんだっけ?、、、、)

やってみようとしますが,うまくいきません.手を置く位置,手の形,息を吹きこむ回数,胸を押す回数,何もかもがわからない.それでもわたしは何とかと思いやってみます.一瞬その人の目が開きました.まだ生きている!わたしはそう思い希望を持って続けました.

~~しかしその人はもう目を開けることはありませんでした。わたしが人工呼吸をやめたのはレスキュー隊が到着してから,人工呼吸し始めてから30分も経ってからだったのでしょうか.わたしは「まだだいじょうぶ!さっき目を開けたんだから!」そう叫びましたがレスキュー隊の人はうつむいて顔を横に振りました.わたしは茫然として立ちつくします.なぜ楽しいハイキングがこんなことに!それに,わたしに人工呼吸の正しい知識があれば助けられたかもしれない.わたしがすぐに人工呼吸をはじめていれば助けられたかもしれない、、、、

~~そこで目を覚ましました.わたしは夢だったのかという安堵に胸をなでおろしながら,わたしにはほんとうに人工呼吸の知識がないことを思い出しました.いまは夢だったからよかった.でも,現実にそうしたことが起きたらわたしには愛する人を助ける知識がない.わたしは,すぐに知ろうと思いました.

あなたは,愛する人を助けることができますか?

救命処置講習会
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sa0919/

救急救命の知識
http://www.sphere.ad.jp/redcross/kyukyu/kyukyu.html


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「少年は旅立つ,果てしなき宇宙への日」11/01(月)

●日記書く時一番悩むのはこの上に書いてあるようなタイトルです(笑).この一文を書くために短くても5分は悩みますね.5分あるとほかのことなら「今日は買い物に行った→よく歩いたので疲れた→疲れは身体的感覚である→しかしこの感覚を感じているのは心である→脳が身体を統率しているのだから脳で疲れを感じなくてはいけないということはわかるがなぜ心に明示されなければいけないのか?→こうした独特な質感(クオリア)がなくても脳は身体を支配できるはずだ→この矛盾を解明することが即ち心脳問題の解決だ」と考えるのですがどうもいきなりタイトルを思いつくと言うような離れ業はできませんね(普通ジョーク).また今日もミスタードーナッツに行ってしまいました.別に悪いことじゃないんですけど.前も紹介したミスドの店内で流れる「その先はドーナッツ♪」という歌ですが,わたしがどーなっつってんの!?とか言うと第一級殺人罪並のオヤジギャグになりますけどミスドだと許せちゃう.不公平ですね(笑).

●相対論の時空に関する話しとして「時間の流れは一定ではない」というものがありますがあれは現代物理学学的な記述ですね.時間の流れが一定でないと言えるのはただこのわたしから見てのみです.わたしがわたしの時間についてゆっくりだということはできません.光速に近いスピードで動くロケットにわたしが乗っていたとして,そのロケットを地球から観測した時ロケットの時間は遅く流れているように見えますが(見えているというか実際そうなのですけど)ロケットの中にいるわたしにとっては単一の時間です.別に遅くなることはない.わたしの考えではこれはわたし達が身体においてのみ時間を照合していて実際には時間と言うものはないということだと思います.時間もまた,人間が現象を説明するために考えだした概念なのではないでしょうか.人間と違う空間認識形式をとる生命体がいたらその生命には時間はないかもしれません.ちょっとトンデモになりますけど空間も概念であって実際にはないと考えることもできます.論理的に言えば矛盾はでません.ただそれを考えることはできても思うことはできないだけです.定義の曖昧な言い方ですけど(笑).

●ということでわたしの大好きな宇宙のお話.空間が歪むというと一番典型的なのがブラックホール.物質が自重を支えきれなくなってしまうくらいの高密度状態のことです.よく勘違いされているのがブラックホール自身に大きさはない,ということです.自重が支えきれなくてつぶれてしまったのですから永遠につぶれつづけます(わかりにくい言葉ですが).そういった勘違いのもとは特異点と重力の及ぶ範囲を混同してしまっていることにあります.例えば地球を直径数cmまで小さくするとブラックホールになりますけど重力のおよぶ範囲は現在と変わりません.月を吸い込んでしまうこともないです.では数cmとはなんのことかというとこれはそれよりも内側に入った場合は光でも抜け出すことはできない,という境界線のことです.この境界線がシュバルツシルト(シュバルツバルトではない)の考えた事象の地平線です.これより内側ではあらゆる物理法則が成り立ちません.科学史的に言うとシュバルツシルトやアインシュタインはそういうこともありうる,と考えただけでほんとうにブラックホールがあるとは考えなかったんですけどね.それともう一つ.ブラックホールは観測することができません.だって光も飲み込んでしまうんですから.じゃあどうしてあることがわかるのかというとガスなどが吸い込まれるときに高速で吸い込まれるのでガンマ線や紫外線などを放射するのでそれから推測しているのです.こういう話は大好きなので長くなってしまうのでこの辺で(笑).


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「輝く白い恋の始まりはの日」10/31(日)

●今日はお部屋のお掃除をしてお過ごす.とくにきれいになったわけじゃないですけどね.空気清浄機がすっごく汚れていてビックリ.こんなに真っ黒になるもんなんだね.って清浄機がじゃなくてフィルタが汚れてたのね.そこんとこ間違えないように.コーヒーはブラックでと言いますけどわたしはブラックで飲むとおなか痛くなるのでフレッシュだけは認めてほしいなあ.ラーメンに胡椒入れるようなものでしょ(違).冬になるとお風呂に入りたくなくなりますね.なんでかって湯船はいいんだけどあたまを洗ってるとき寒いから.わたしは髪が長くて染めまくってて傷ついてるのであたま洗う時間がすっごく長い.最初にコンディショナーしてそれからシャンプーを2回から3回してそうしたらまたコンディショナーを2回して,で次にトリートメントをしてそのとき流さずに頭の上にタオルで髪をアップしちゃって体を洗いながらトリートメントがなじむのを待ちます.そのあと湯船にゆっくり浸かってからトリートメントを流してお風呂を出ます.そうすると最低でも45分はかかっちゃうんだよね(笑).とてもドライアーで乾かせないのでタオルで水気とってから寝るんですけど起きてもまだ乾いてない.しかたなくドライアーをかけるけどそこでまた30分.髪のためにどれだけの時間を割いてるんでしょうか(笑).長くても手入れしてないとみすぼらしいからね.ツヤツヤとした髪が好きなんです(笑).シャンプー,コンディショナー,トリートメントはLUX STYLINGで統一.中学生のときから変えたことはありません.

●数列というのはそういうことだったのですか☆ほんとうに勉強になりますです。空間の形式に関係している・・・・・そんなことをぉぉぉぉぉ。。。スゴイ!!ハミダスニハ どうしたらいいのですか。危ないっ(笑)。(Inada)

数列の論理形式からはみだすことは簡単です.ただ適当な数字を並べればいいだけです.ところがその数字がなにかの論理に従っている可能性は消せません.ずっと大きな視点から見ればある論理が存在するかもしれない.ですから「この数列にはどんな論理も存在しない」と言いきることは不可能です.これが空間の形式からはみだすことの難しさです.空間(の境界線)を想定するとわたし達はその外側があるように考えてしまいますがこの場合の境界線は思考の境界線です.思考の外側に何かあるかなんて想定のしようがないのです.思考していない状態を思考で考えようとしてもまったくできません.ある部屋にゴキブリがいることを証明するのは簡単です.ただみつければいい.ところがゴキブリが絶対にいない,ということの証明は困難を極めます.わたしの部屋のことじゃありませんよ(笑)

「哲学は,思考可能なものを通じて,思考不可能なものを内側から境界づけなくてはならない」L.ウィトゲンシュタイン

●「秋」

 風鈴の音が仄かに懐かしく
 あなたの背中微笑が映る
 そっと触れた温かな手
 とってもとっても優しい手


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「セパタクローって知ってる?の日」10/30(土)

●どこにも行く必要もなく,わたしを信じてほしく,あなたを愛します.あなたはあなたです.xxです.こんばんは.

わかる人だけわかる挨拶です(笑).わたしの好きな異性の対象造型は色白で細くて病弱っぽいひとでしょうか.しかしえてしてこの手の基準はあっさりすりかわるものです.好きな人が自分とは違うタイプが好きだと言っていても気にする必要はないと思います.もちろん他のことは気にした方がいいんでしょうけど.でも,わたしが人の意見を気にするひとだったとして好きな人に「人に言われて考え方を変えるような人は好きじゃないかな」って言われたらどうしましょう(笑).最近どうしても不完全性定理にもって行きたがりますね(笑).ひとを愛するということは愛するひとよりも自分とうまく付き合うことのほうが大変です.自分に嘘つくことはできませんから(できたら不完全性定理が覆ってしまう!(笑))いやなことがあってもそれを愛するひとに悟らせない強さが必要でしょう.なんていうの?優しさって奴?って感じ?わぁぁぁ普通の日記みたいだぁぁ(笑)

●茂木さんが一日10分だけ政治に時間を割くのはどうだろうかとおっしゃっていましたが大賛成.いまなにもしていないひとは今日から新聞の政治欄を10分だけ読むようにし,新聞読んでる人はそれがどういうことか10分だけ考えるようにし,考えてるひとは10分だけ自分の意見をいつでも口にできるようにしておこうじゃありませんか.いまより10分だけ多く政治について考えてみる.これだけで大きく変わるものがあるでしょう.ついでに毒舌を一つ(笑).政治家は清貧でなければならないっていうひとがいますけどお金も入らないのに誰があんな仕事するんでしょうか?今の給料だって十分に安いです.ひとにいやな仕事押し付けておいて薄給でいろだなんて言うひとの顔が見たいです.あ,やっぱみたくないや(笑).

●わたしはいやなことがあるとこういうこと言いはじめますね(笑).君子危うきに近寄らず,と忠告(笑).ああ,熊が「お嬢さんお逃げなさい」って言ってるみたい(笑).これはもちろん名前忘れちゃったけどあの歌ですよね(なんだそりゃ).それで思い出したのが「この大空に翼を広げ,飛んで行きたいよ.悲しみのない自由な空へ,翼はためかせ行きたい♪」という歌詞の曲.なんでしたっけ?たしか「翼をください」だったけな?この曲がすっごい好きで小学生のころは毎日歌っていましたね.う~た,歌は友達だ~う~た♪って小学校唱歌シリーズ(笑).

TAKURO,TAKUROってGLAYのタクローのことですけど吉田拓郎のファンとか自宅浪人(宅浪)にしてみればいい迷惑ですね.うるさい!宅浪っていうな!って感じで.わたしは吉田拓郎名前しか知らないのですけど.きっと君はこな~い~♪ってのは違ったかな?チャットで聞いたことがあるような気がするけど忘れちった.

朝までチャットにいたのはいら,なかじ,神楽,きたる,KAZのメンバ.良くやるよね実際(笑).はっきりいっておかしいんじゃないかとさえ思いますけど(笑).なかじは寝落ちするし.でもさ,ちょっと憧れるのが起きたら顔にキーボードの跡がついてたってやつ.あれってほんとうになったことあるひといるんでしょうか?ちょっとキーボードの上に顔をおいては寝れないよね.なかじならやりかねないけど....(笑)

●ウィトゲンシュタインを読んでいるとやっぱりゲーデルの不完全性定理との関係の深さに驚きます.例えば論考の4.442「命題が自分自身の真であることを言明することは不可能である」 これって論考の文章だと知らない人が読んだら絶対に不完全性定理についての記述だと思うでしょうね.もう1回説明しておきましょうか(笑).あるシステムが自身の内部においてどのような構造を構成しているかは語られますがそのシステム全体においてどう働いているかは自分ではわからないのです.コンピュータのウイルス検出ソフトは自分がウイルスに冒されていないかどうかは検出できません.それは別のウイルス検出ソフトにかけるしかない.そのソフトが感染していないかどうかはまた別のソフトで....とつながっていきます.ここでこう考える人はいないでしょうか.A.B.C.Dのウイルス検出ソフトがあったらAはBを,BはCを,CはDを,DはAをとすれば全体を見渡すことはできないか?と.それはある意味正しい.しかしわたし達はそれ(ウイルスを検出する世界)よりもメタな世界にたっているので「しかしA.B.C.Dどれもがウイルスに感染している可能性はないだろうか?」と考えます.その可能性だけは完全には拭えない.そこに真偽の証明できないシステムエラー部分が存在します.定義の定義も同じことです.わたしが面白いと思うのはこのメタな視点で見るという行為そのものですね.わたし達は世界を認識しますが(なぜなら認識しないものは思考されないから)その,認識という行為そのものをメタに見ようとする.そのとき論理的に矛盾が発生するのですが(認識された世界をメタで見ようとは認識されない世界が外側にあることを考えようということでそれは無について考えるのと同じくらい矛盾している)働きそのものは有効であるので外側がまるであるように思うのです.しかしそれは一瞬だけのことで明示的に思考されるならそんなものはどこにもなくなってしまいます.

このことを深く追求しているのが千葉大の永井均先生です.永井の分野は独我論(毒ガロンではない)と呼ばれるものですがこれは他者の存在はどのようにして成立するか?ということについて考える分野です.昨日の日記にも書きましたけどわたしが自分に心があり自分が今何を考えているかはまごうことなく感じられますが,例えどんなに深く愛したひとであっても他者の心はそのようにはわからない.(ちょっとすっ飛ばしますんで誤解しないように注意してくださいね)自分の心だけが確実なものであとのひとに心があるのかどうかは知りようがない.しかしそうした働きが人間に備わっているのだとしたら他者も同じ感覚を持っているのではないだろうか?とは考えられないでしょうか.あ,もう遅いです.あなたは確実に誤解しています.なぜならこの問題は口にした瞬間に誤解される問題だからです.わたしが言いたいのはわたしがわたしであることは絶対的なことで他の誰についても同じことは言えない,ということで,しかしそれが他の誰かにも言えるんじゃないだろうか?と思う間のほんとうに刹那の瞬間あなたの脳裏を掠めた考えがわたしの言いたいことなのです.自分の心の働きをメタに見ることは論理的に言えばできませんが,それでもわたし達の心にはメタに見る働きは残されているのです.そして,また誤解される.この言葉のロジックを解いた者が心脳問題を解くことになるとわたしは考えます.

この話題はいままでで一番ハイスピードです.少しくらい哲学勉強したことがある人じゃないとわからないかも知れません(わたしは勉強したことないんですけど(笑)).

「独我論の言わんとするところはまったく正しい.ただし,それは語られえず,自ずと示されるのである」L.ウィトゲンシュタイン


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「カバディカバディカバディカバディの日」10/29(金)

●みんなちゃんと覚えてるんでしょうか?(笑)<カバディ 今日は起床が6時でした.めっちゃ早起き.ほんとうの予定起床時刻は7時だったんですがたまに早く寝るとこういうことになりますネ(笑).で,もちろんネットして(笑)ちょっとだけかきこしておでかけ.用事は昼までだったのでその後は街中をぷらぷらと.友達と会ったんですが向こうは何人か友達連れで,話をするうちに自然とパソコンの話になるんですが(笑)最近会う人のほとんどはパソコン持ってるか学校で使っていてメーラブルになっていますね.わははとは笑っていましたがいつまでも気が合うような人たちではなさそうだったのでフリーのメルアドを教えておきました.これも自衛策.

●わたし達は言葉を使って考えているように思いがちですが実際にはそうでしょうか?思考以前にはなにがあるのでしょう?それを解くためには言語の働きをもう一度見つめなおさなければいけません.わたし達はなぜ考えるときに言葉を使うのでしょうか?それは,言葉を記号として使うことによって自分の「思うところ」を再認識し上のレベルに上がれるからではないでしょうか?わたしは言葉の力をかなり大きなものとしてみています.例えば人間が時間を細かく認識したり記憶を長く保持できるのも言葉の力だと思っています.そうした力は広く使われます.わたし達が思考するとき言葉をたてそれをメルクマールとすることによって文章を構築し,構築された文章は再認識され記憶され新たな形式を生み出します.しかしこれは言葉を操る能力があってこそで,それ以前,最初の言葉が生まれてくる過程には当てはまりません.その能力は言葉ではありません.それが言葉であったなら言葉が生まれてくると言うプロセスには始まりがないことになってしまうからです.ですからわたしの考えでは思考は言語によってなされますがその根源は言語ではない,と思います.ただこのことは人間がいかなる認識を行なうかと言うことと深く結びついています.このことについて非常に参考になるのがネゲールの「こうもりであるとはいかなることか?」です.わたし達がどんなに深く考えをめぐらしてもこうもりがどのような感覚で世界を感じているかはわかりようがないのです.それは感覚器の違いでしょうか?わたしはそれだけじゃないと思います.それを受け取る心が本質的な問題なのです.わたし達は思うとき言葉を使用しますが(後付けであろうと)それをもたないこうもりがどのような感覚であるかなど知りようがないのです.赤色の林檎を見たときわたしの心にはその像が浮かびますがその像は一つの統一的なシンボルとなり言語対象となります.しかし言語の働きを持たないものがどう認識するのか(いや,認識という言葉は人間が言葉を使っているときにしか有効な言葉ではない),それは不可知です.そうしてそこからもう一段階問題を取り出すなら(ここからが心脳問題の核心である),では,何ゆえわたし達はお互いに同じ感覚を持つと定めているのか?わたし達の心は非接触です.あなたの心はわたしには届かないしわたしの心はあなたに届かないでしょう.悲しいことに.しかし言葉を使いその表現がすれ違わない以上その心は無意味なものではないはずです.問題は,なにがわたし達の心を非接触にしているのか?そこに尽きます.それが解かれたとき人類は新しい目覚めを迎えるでしょう.あなたの訪問を待っています.

文章がデタラメですね(笑).だいたいの場合この日記はすごい適当なこと言っています.これはわたしが自分の思考を明瞭にするために書いたものをある程度書き加えて公開しているだけで,このままで使えるソースとして書いてるわけじゃありません.ですから,問題点があればぜひ指摘していただきたいのですが糾弾しないようにお願いしたいな,と(笑).まあわたしごときに誰もそんなこと言いませんけど(笑).


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「お魚くわえたサザエさん♪の日」10/28(木)

●アニメのサザエさんには日立の新製品が登場しているという噂がありましたね(笑)。わたしは中学生くらいのころ毎日曜日ごとにサザエさんとじゃんけんをおこなって勝敗表をつけてたことがあります。たしか2年近く続いたはずですがかなり負け越したと思います。じゃんけんには相性と言うものが厳然とありますからわたしとサザエさんはわたしに分がなかったのでしょう。グーチョキパーのいずれで負けたかとか書いておけばよかったですね。そういえばそのじゃんけんにもサザエさんはグーチョキパーの順番で出してるなんて噂がありましたね(笑)。アニメ、マンガで嫌われる落ちは夢だったという奴ですけどわたしが知ってるなかで本当にやってのけたのはドラゴンクエスト。しかしあれは半分打ちきりのような終わり方でしたからたぶん終わらせ方に困った結果でしょうね。致し方なし、といったところ。メイトリクスは逆に夢から覚めたところからストーリーが始まるわけですが、映画のなかで触れられていなかったのがメイトリクスから目覚めた世界が夢ではない、ということを誰が保証しているのかということ。なぜ触れられていないのかは明確です。それを盛りこむと話しが続けられない。それだけです(笑)。哲学者が生き続けるのはどこかで見切りをつけて思考停止している部分があるからです。自殺した哲学者は真の哲学者になる素養を持っていましたがなりきれなかったと言うことです。ですから、真の哲学者とは超人のことです。何にも依存しないし完全自立する存在です。あ、サザエさんから超人まできちゃいましたね(笑)。

●名前をちょっと忘れてしまったのですが、江戸時代かそれくらいには血判状の一種として紙に寄せ書きみたいに丸く署名をしていくものがありました。これは一揆などを企てるときに近隣の村村の人に署名してもらっていくわけですがもしお上に見つかっても誰が首謀者かわからなくしてしまおう、という主旨のものです。いや、なんでこんなこと思い出したかと言いますとね、どこかの地域が過疎化対策として原発を誘致しようと思い立ったらしいのです。わたしは原発をむやみやたらに遠ざけるような人種じゃないのでそれについてはなんにも思わないしまあ考えられうる手段だな、と言う程度なんですけど。それがですねえ、なんとその署名には責任者が書かれていないそうです。誰がそれをやってるのかわからなくしてしまおう、というつもりらしいです。いやあ、あまりに日本人的発想で笑っちゃいましたね(笑)。わたしは日本人の特徴、とか言ってるの聞くと今の時代そんなやつぁおらへん(by大木こだま・ひびき)と思っていたのですがどうもわたしの思い込みだったようで(笑)。いやあ、いいですね、いとし・こいしさんを無形文化財に指定するのもいいですがこういう人たちを指定してはいかがでしょうか?日本の民俗学にはぜひとも必要でしょう。めっちゃブラックジョークしてしまいましたね(笑)。最近は正しい使用法で使われることが多くなってきましたがブラックジョークはもともと笑えるものじゃありません。

●アルメニアの首相が殺害された事件ですがわたしがまえから憂慮してた自体が実際におきてしまったと言う印象です。それは国民議会(日本で言うと国会)といえど政治家が一度に集まるなんて危険極まりない、ということです。アルメニアは数人が死亡しただけで済みましたが(実際には首相殺害が目的だったようですけど。お亡くなりになったサルキシャン首相らに深い敬意を表します。あなたがたの死の無駄となることのなきよう)あれがもっと過激な革命軍だったらもう国は大混乱でしょう(十分混乱してますが)。議員が一斉に集まってやらなくてはいけないのは今の時代ではまだ仕方ないかも知れません。しかし日本はあまりにも警備が薄すぎるでしょう。いつでも機動隊が取り囲んでいろとは言いませんけど(もしそうだったら簡単にクーデターが成功するね(笑))もうちょっと手厚くした方がいいかな~~なんて思ったりしてます(トーンダウン)。


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「Save your dream, save your loveの日」10/27(水)

●ある方とお話しをほぼ明方までしてました(ICQでですけど)。そのせいで起きてからもぽーっとしていて思考がかなり鈍化しています(継続中)。一応言っておくと眠いわけじゃないです(笑)。とまあいらんこと言っておきましょうね(笑)。ちょっと面白いゲーム考えたので紹介します。一人ででもできますし、友達との罰ゲームとしても最適でしょう。用意するものは僅かばかりのお金。1000円あれば十分です。そしてお金を握り締めてコンビニに行ってください。ポイント:店に入るときに目をとローンとさせたり意味不明な奇声を発するともう最高です。のちのち効いてきます。そして買い物です。買うものは、スプーン、ライター、そしてアルミホイルです。レジへ向かって買ってください。ほら、視線が痛いでしょう。さらに、お金を払ったら一言。「割り箸幾つか貰える?」 これでゲーム終了。ね、簡単でしょう。注意点としては、家の近くのコンビニでやると面が割れるのでなるべく離れたところでやりましょう、ということですね。ジェットコースターなどスリルを求める人にはたまらない遊びでしょう。え?意味がわからない?わからない方がいいですよ(笑)。できれば社会的な状況にある人、しすいとかにやってもらいたいねぇ(笑)。

●言語が言語を定義する、という再帰的ループに果てがないのであれば、並べられた数列から、任意の長さの数列を連続的に取り出し、そこから漸化式を導き、数列全体を予測してしまうしかないのか、と。しかし、それは数列が本当に一定に並んでいる保証がないので、(だって、ホントの数列じゃないモン)あくまで予測。これって、なんだか「比喩」の役割ににてるなぁ、と思ったの。(KAZ)

言語の働きに比喩以外の働きがあるのかがまずわたしには疑問です。わたしたちが普通なんらかの言葉の意味と言うときそれは言い換えでしかありません。なぜなら「AはBがCであるということだ」という説明があるならばBがCであるとはAと本質を同じくするということでありなんら意味を語っているわけではないからです。それでは果たして意味とはなんでしょうか?意味をある言葉の持つ本質と定義できるならば意味とは語られるわけにはいかない。なぜならば本質とは神秘的なものの部類に入ってしまうからです。林檎が林檎であるのはなぜ?緑色が緑色であるのはなぜ?人間とはいったいなに?それは、語られ得ない。ただわたし達がそれを使うことによってのみ示されるのです。

比喩とはいったいなんでしょうか。これはいままでほとんど考えたことがない問題なのでよくわからないのですが、わたしは世界の本質と映像の写像関係ではないかと思います。世界は必ず論理的形式を持っています。また、持っていなくてはないらない。それに対して映像はもっと幅が広く空間的形式であるため論理を必要としない。わかりやすいえば空間の形式は論理の形式よりも大きいのではないでしょうか。そして映像の形式が世界の論理形式と一致するとき映像は世界の比喩であると言われるのではないでしょうか。KAZ氏の数列の比喩を使うならば数列は論理的形式でありその論理からははみ出さない。そして任意の長さの数列を取り出してそこに漸化式を見る行為、それが空間の形式です。例えばわたし達はある短い数列をいくつでも思いつけますしそれどころか数列になってなくたって(つまり論理がない)幾つか数字が並んでるだけだったとしても関係なく思いつける。そして適当に思いついた数字の羅列がもとの数列の写像であったときそれは比喩と呼べはしまいか(のソーメン)。そしてわたし達は一般化された数列の論理ではなく比喩的に見られる数字の羅列を思い浮かべ予測することもあるのです。例えば、2から続く順に2づつ増える数列で100の次の数字は?、と言ったときわざわざ論理から考えるよりは100に2を足して102と言いますよね。それが比喩の役割でしょう。もっと深いと思いますが簡潔に言うならば、ですね。

言葉は複雑な記号の体系ですが系であるからには埋め尽くされない一点が存在します。ただし、そんなこと気にしなくても言葉は使えます。こちらの方がどれだけ大きなことを物語っていることでしょう。何度も言いますが、使い方を知っている、それが言葉の意味です。それ以外に果たして何があると言うのでしょうか?


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「長い髪なびかせて悩ましげなボディの日」10/26(火)

●昨日面白いもの見ました。高校生らしきカップルが自転車に二人乗りしてるんですけど、それが二人とも携帯電話かけてるんですね。なんか親亀小亀みたいだった。携帯電話の使い方どうこう言ってる人たちより彼達の方が人の繋がりの重要性を知っているでしょうね。知っているとは理解しているとは別です。説明できなくても知っていることは十分にあり得ます。下の問題でいうならば、言葉は言葉で説明することはできませんが使い方は知っているわけです。言葉は自分の考えを伝える道具(手段)ですから説明なんかできなくてもかまわないのです。それを語ろうとする行為はただただ形而上的な世界へ入っていくだけでなにも意味を持たないのです。ただし、これはわたしの解釈です。もし、あなたがこのことに興味を持つならば絶対に納得なんてしないでください。それが、わたしの願いです。

「かれが哲学的な主張をするたびごとに、それがなにも意味しないと忠告してやること。これこそ哲学を教える真の方法であろう」L.ウィトゲンシュタイン



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