Saturday, October 2, 1999

ログ05('99 10/01~10/08)

もしも鳥になれたならの日々

飛んでみたい、それは人類の通弊である。


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「流動性消失弾性的膠質凝固体マン人の大移動の日」10/8(金)

●予定通りの時間に起床して買い物へ。昼前に帰ってきたのでネットに繋ぐとチャットが繁盛してるのでつい入ってしまう。誘惑に弱いわたし。でもなんとかがんばって1時間弱で終わらせる。このチャット熱は長いね。いつもだと1ヶ月くらいで飽きてやらなくなるんだけど。やっぱり友達になってメイルとか書いてる人も多いからかな。幾らネットの友達だからといってもわたしは一生忘れないと思う。っていうかtoshi君、早く会おうね(にっこり) にっこりというのが煮凝りと似ていると思うのはわたしだけでしょうか。

●腕が重いなり。最近運動してないからねえ。かたこってるのらってどういう意味かと言いますと、わたしは片言でしゃべってるのです、という意味です。最後の「ら」が片言なので日本語で言う「I can't speak English」みたいなものですね。なんか一見まじめっぽいぞ(笑)

●今日は夜遅くまでネットで遊んでるので明日は昼起きくらいかな。今日だけは、絶対に、「C」を読みたくない。わたしの一番好きなマンガではありますけど、今晩には辛すぎる。シャンパンには辛すぎる。あ、漢字一緒になっちゃうか。

わかりあえたはずの言葉も 宙を漂い霧散する
想いは日々に埋もれて せめて一晩の温もりを
確かなことはなに一つないけど あなたの唇が赤く光る

本棚に並んだ古ぼけた本達
また誰かが開いてくれるのを待ってるのだろうか
ぼくはもう読むことはないだろう だけどなくちゃいけない本達
そうやってぼくは重くなっていくんだ

忘れてしまった遠い過去も ここには並んでるんだ
怒り、悲しみ、泣いた顔、笑った顔
ふと涙が溢れそうで 手にした本を開いてみると
写真が一枚落ちて


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「急須に一升を得るの日」10/7(木)

●実に平凡な一日。朝起きてネットに繋ごうとしたけど回線の調子が悪くて断念。1時間半で家を出る。そうか、朝からネットしてたせいで遅かったのかも(笑) でもわたしの出先にはネット環境はないのでどうしても朝も見たいのだ。今まで一日10時間以上パソコンの前に座ってたからその依存症かも(笑)っていうか今でも5時間は座ってるけどね。胸の痛みはほぼ取れました。恋は怒涛のようにやってきて嵐のように去っていくものなのです(笑)(って前の日記読んでない人には誤解されそうだね)

●日中まだそこまで仲が良くない友人と街中を歩いているといきなり友人が「このバッグ持ってて」とわたしに荷物を手渡して駆け出した。なにがあったのかと思ったらナンパしてはったわ。びっくりだね。なにがってナンパするのは勝手ですからなにもいいませんがわたしと歩いてるときにほっぽり出してするんはどうかと思うね。でも何も言えずボーっとベンチに腰掛けてコーヒー飲んでるわたしのなんと人の良いことか(笑)。

●明日は昼過ぎから用事だけど午前中にちょっと買いにいきたいものがあるので早起き。最近無理矢理自分を抑えこんでる。言いたいことは山ほどあるし、望むこともいっぱいあるけどそれを心に閉じこめておくこの切なさ。身を切るようです。ってわたしは刺身じゃないっつーの!!と、ぼけておわらそう。


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「行ってセリヌンティウスを救うのだの日」10/6(水)

●アウグスティヌスとかプトレマイオス朝エジプトなんか絶対覚えてらんないけどセリヌンティウスだけは忘れられないんですよね。恐るべし、太宰治(笑) 別に太宰治原作の話じゃないけど。朝は調子が良かったのでお昼前からお出かけしてました。ところがやっぱり歩いてると胸が痛い。なんとか騙し騙し一日を乗り切った。歩いてると痛いので痛みを抑えるために前屈みで歩くことになっちゃうんだけど(<変な日本語)けっこうかっこ悪くて恥ずかしかった。やっぱり家にいれば良かったな。公園で噴水見ながら食べたヨーグルトが美味しかった。

●で、公園で考え事してたんだけどまた気が付いたことが。前にわたしは自分がこの風を感じているという事実を知って驚いた、と話しましたがその理由がわかったのです。わたしはまずいつでもどんなときでもなにか考えていて思考を止めることがないのです。例えば音楽を聴いていれば別事を考えているか、それともその音楽がどういう系統でどんな特徴を持っているか、とかを考えていてその音色そのものだけを聴いちゃいない。絵を見ても一緒。それが印象派なのか具象派なのかとかタッチがどうこうとか考えていて美を感じていないんですね。すべてを思考で説明しようとする思いが強いせいかどうか知りませんが、事実なにも考えていない、ということがない。でもこれって結構得なこともあるんですよ。わたしは良く長歩きするんですけど、家の近くの地下鉄の駅まで歩いて40分くらいかかるんです。バスで行けば早いんですけどバスが余り好きではないもので。そういうとき歩いていても考え事してるので一瞬で着いた気になれます。便利と言えば便利。別名現実逃避とも言いますけど(笑)

●明日は待ちに待った木曜日。なにがある?木曜日と言えばサーズディじゃありませんか。本屋でジャック・ラカンの本を買おうかどうかですっごい悩む。でも他に読みたい本がまだあるしやめておく。最近時間が少ないので読む本をかなり選んでます。前は手に取った本は片っ端から買って読んだものですが。お金の前に時間がなくなりましたね。時間の一番豪勢な使い方ってなんでしょうか。ごろごろして過ごすのは浪費ですよね。これもけっこう良い。しかしなんといってもまるで札をペン拭きのように使う使い方といったら自殺じゃないでしょうか。豪勢ですね~~(笑)もったいなくてわたしにはとてもできません。


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「中学生の何人に一人がスリジャワワルダナプラコッテを覚えているのでしょうかの日」10/5(火)

●こういうのってつい覚えちゃうよね。あと良く覚えるのが円周率。わたしは3.14159265358979323846264338までしか今では思い出せません。これもあってるかどうかわからないけど調べるのが面倒だし(笑) 小学生の時はじめてローマ字を習った授業で先生に黒板に単語一つを書けと言われて「kitatyousenminsyusyugijinminkyouwakoku」と書きました。いやな小学生だ(笑) 中学校の時は美術の時間にあることを考えました。誰でも一度は考えたことがある、白紙を作品として提出できないだろうか?というものです。でもそれじゃあつまらないとわたしは思ったので何をしたかと言いますととりあえず一生懸命絵を描くのです。そしてそれを書き上げたら仕上げとして白い絵の具で塗りつぶしてしまったのです。それで提出時に一言。「この紙には絵は描かれていませんがわたしの意志が介在しています」。いやな中学生だ(笑)

●今日はめっちゃ疲れてしもうて、帰ってからなにもする気が起これへんかった。ので日記を書いて今日の活動は終わり。疲れたと言うかね、胸がすごい苦しかったねん。昼過ぎくらいに外歩いてたらいきなり息が詰まって座りこんじゃってさ、でも人目に晒されるのはいやだからなんとか近くの階段までがんばっていってそこに座ったんだけどなかなか直らへんかった。で、迎えに来てもらおうと家に電話かけたんだけど誰もでーへん。これは焦ったで。だって迎えに来る人おれへんとなると救急車呼ばなあかんやん。それは恥ずかしいし、、、、と思って粘って家にかけ続けたらやっと父上が出てくれはった。そんで急いで迎えに来てもらって即病院へ。久しぶりの喘息発作やった。もう4年くらい発作出てなかったから自分が喘息だと言うこともすっかり忘れとったわ。一応吸引とかして薬もらったけどまだちょっと苦しいかな。深呼吸すると胸が痛い。まるで恋でもしているように(爆)

●ということで明日は起きてみて健康状態が良ければでかけますが多分一日ベッドで横になってるでしょう。何も考えずにいようと思う。最近時間があって考えてるとネガティブになっちゃうし。そういや犀研のもりのべる選集がまだ未提出だからそれでも考えて過ごそうかな。


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「罪と罰、戦争と平和、ブラックホールと大根の値段の日」10/4(月)

●朝は7時半に起床。昨日の夜がんばって2時前に就寝したのが効いたんだね。でもそのおかげで今日一日とっても眠たくて大変でした。というか爆睡。毎月曜日ごとに同じこと言ってるね(笑) 何回でも言ってるけどわたしは睡眠不足という状態に滅多にならないのだ。なぜならなにがなんでも寝るから。わたしに寝さずに何かやらせようと思っても無理。勝手に寝ます。立ってても寝るし食べてても寝ます。三年寝太郎って今の子は知ってるのかな?

●下の方でわたしは遵法者ではないと書いちゃったけどちょっと訂正するね。わたしは遵法者じゃないけど尊法者です。人間がせっかく作った物なんだから守ってやる気はないけど尊敬くらいはしてまっせ。関係ないかもしれないけどわたしは生物の中で人間が一番偉いと思っています。だってわたし人間だもん。ほかの生物も心を持ったらみんなそう思うでしょうね。みんな自分が一番偉いと思っててそれで尚且つ人を蔑まないことができたらいいのに。生命の尊さとはそういう次元で使われる言葉でしょう。いきなり生命は尊いんですと言われても意味不明。というか意味不定。

●明日は憂鬱な火曜日。一週間の中で一番長い日です。だから今日はネットはそこそこにしましょう>自分。


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「モナリザ的爆笑の日」10/3(日)

●朝までネットでうろちょろ。ICQを公開したのでみんなに教えてみて使ってみる。前にDLしたときはけっこうダウン系人間だったので(今でもあまり変わらないと言う噂もありますけど)レス打つのが面倒くさくて一瞬でアンインストしたのでした。でも今はその反動かとても人肌寂しいのです(笑)秋だしね!ということでなかなか楽しい。わたしはいろんな部分がありますけど本質に近い部分で寂しがりやなところがあるのです。一人でもいられるんですけどやっぱりだれかといると安心する。自分からはつるまないけど誘われたら絶対に断らないタイプ。大変受動的人間ですけどまあそれ良いのかなと最近では思ってるのさ。ということで昼前に少しだけお休みして午後にちょっとお出かけして夕方からぱそ前でずっと作業してたので今異常に疲れてます。ネットも入るでしょうけどあんまり長くいたくないな~~。といいつつ居座るのが性分。

●前に命名論について少しだけ書いたときあとから「共有するものがいないのにそれを名と言えるのか」というご指摘をいただきました。その方にはもうお答えしたのですがそれからずっと考えていてちょっとだけ前進したのでここに追記。ややこしいこと言ってるんで興味ないひとは無視してくださいね。

あるものに名前を付けるとは能力でありますから名付けに関しては共有の必要性はありません。また逆にものとは名付けられる可能性を内包した状態にあるといえるでしょう。名付けるのに必要なのはそれを他と別ける能力(つまり境界を作る能力)、それを置くレベルに合わせて象徴化を逐一できる能力があれば十分でしょう(というかそれが名付けの本質)。ですが、それとそれを「名」と言うのはまったく別の問題なのです。個人に適用される言語が実在するのか、つまり私的言語は存在するのかという問題になります。言語とは思考における形式化された(しかし暗示でも構わない)規則です。ですから私的言語の使用は個人的な規則の適用と言うことができます。ここにおいては名は否定されます。否定されなくてはならない。なぜなら個人的な規則とはなにも表していないからです。規則に従うとは規則を客観的な状態(間主観的な状態)に置きその対比において意味を持ち得る、使われるのです。ですからはっきり言ってしまえば個人的な規則はありえない。その規則が守られていようと守られていなかろうと個人には関係がないからです。そうして私的言語はその実在に関わりなく否定され個人的な名は使われることなく無視されます。どうでしょうか。

●明日はちょっと早かったりして。木曜日に素晴らしい機械を仕入れます。お楽しみに(笑) どんなペイントしようかな~~わくわく(謎)


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「わっかるっかな~~?わかんね~だろうな~~の日」10/2(土)

●というのがもうわからない人が多いでしょうね。とか書くと年齢がますます怪しくなりますけど(笑) 朝までずっとチャットしてて、そのまま午後まで起きてた。あったまががんがんしたのですけどそのまま心脳MLに2通ほど投稿。最近はここのMLへの投稿がほとんどですね。80%くらい。それでわたしはほとんどと言う表現を使います。いいでしょ。別に。 クオリア掲示板でこの日記が紹介されいてびっくり。最近ロクなことかいてないから焦りますね(笑)

●ということで少しはましなこと書いてみましょうか。ネタはなにが良いかな。時間とはなにか?ということをもう少し考えてみましょう。AからBへの比較的連続性曲線は「長さ」で表されます。つまり距離です。この距離は一般的な1kmとかそういう距離とは多少異なった性質を持ちます。なぜならAとBが場所だとは指定されていないからです。つまりAとBが状態でも構わない。それでもそれは距離と言えるのです。あることからあることへの離れ、分別されるもの、そして同等のラインに立つもの、それは距離で言い表されます。そしてそれを結ぶ場合においてこそ距離は時間となるのです。まあここらへんにしておきましょうか(笑) でも、もう一つだけ言っておきましょう。時間はそれが抽象的であるが故に説明されます。しかし距離はあまりに明確であるため説明するのに多大な困難を伴います。1kmとは何か?この問いを距離を使わず説明できる人が誰かいるでしょうか?

●日曜日はとくに重要ではないけどいつかしなければいけない、という用事が溜まっているのでその処理を。あまりに抽象的ですね(笑)


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「I'll go there, soon.の日」10/1(金)

●颯爽とお昼に起きて、と。はっと時計を見てけっこうびっくり。慌ててコーヒーを淹れて腰を据えて新聞読みながら用意(笑)。こういうひとなんです。

●メイルが溜まっているのでその処理を夕方からする。30も書くと頭が痛い。夕食は友達とレストランへ。わがままを言ってファミレスにする。ファミレスとかコンビニとかそういうとこが好きなんだよね~~(笑)大概にして廉価なものが好きということが多いです。プリンはプッチンプリンが最高です。

●わたしは信号を真っ当に守るような遵法者じゃないですけど、横に子供がいるとつい真面目に待ってしまいます。良い人ですね(笑)。でも、待ってると子供はとっとと無視して渡っちゃうことも多いんですよね。さて、こういうときのわたしの心情は?
 1.こんのくそがきゃあ!
 2.世の儚さを感じてる
 3.事故になりませんように
うーん。自分で言って考えてみたんですけど多分わたしは全部ですね。