Tuesday, May 5, 2009

リキッド・セックス

ボクにとって性産業というのは一つの人生のテーマです。ボクの人格の大半は女性性へのルサンチマンで形成されている。女への愛情と、それがかなわないことからくるルサンチマンとしての憎悪がボクを成り立たせている。だからボクはAV女優とか風俗嬢が大好きだけど、一度もAVを借りたことがないしソープどころかキャバクラにさえ行ったことがない。たぶんこの先も行くことはないと思う。マンコはタダである、というのがボクの唯一のアイデンティティかもしれない。

アイデンティティアイデンティティジグムント バウマン

しかしなぜ性産業は成立するのだろう。それはやる人が少ないからにほかならない。敷居がさがりみなが気軽に性産業に従事するようになれば、逆に報酬は低下し、さほどやることに意味がなくなる。その敷居とはつまり性産業及びその従事者に対する蔑視であり、つまりは蔑視されることが性産業を成立させているのであり、アイデンティティだとも言える。

グラビアアイドルなどもおっぱいとおまんこを意識させることで報酬を得ているので仕事内容としては性産業とたいして違いはないわけだけど、もちろん蔑視はされていない(する人もいるだろうけど、その理由はあとで述べる)。ではなぜグラビアアイドルは蔑視されず、性風俗産業は蔑視されるのか。グラビアアイドルは「アイドル」であり、アイドルとは崇拝対象であるので直接的な関係を持たない人間がそれに対して「かわいい」「好きだ」と言える。ボクはそのような崇拝を否定するのでグラビアアイドルに対してさほど興味を持たないけど、通常社会において相手に対して直接「かわいい」「好きだ」と伝えることは回避されることであり、その欲求の受け入れ先がグラビアアイドルになっているのである。

これはグラビアアイドルに限らず、歌手のアイドルもほぼ同様だ。しかしアイドルは遠い存在であっても可能であるため、1対1の関係性は求められず、1対多、極端な場合は1対数百万、数千万でも成立する。逆に数十しか関係性が成立しないなら市場的に成立しないので、必然的に多数の崇拝対象になりえる素材が選ばれ、その選考過程では通常は差異にならない差異が差異として捉えられるようになるし、可愛さとは別のアスペクトに重点が置かれたりする。実際「アイドル並にかわいい」とは旧時代的な表現であり、人間の多様化が進んだ現代では可愛さはアイドルに求められる条件の一つに過ぎず、そのような社会では「カワイイからアイドルになる」のではなく「アイドルだからカワイイと言われる」のである。

それに対して性風俗産業は基本的に元々おっぱいとおまんこがあればできる職業であり(もちろんあえておっぱいやおまんこを持たないクィアセクシュアリティ、トランスジェンダー、ホモセクシュアリティでも話は同じだけど、ボクのルサンチマンの根源はおっぱいとおまんこにあるのでそれ以外のセクシュアリティにはさほど興味はない)、ほとんどの女性はやろうと思えばやることができる。女性の誰でもできる、というのは近代以前ではあまり望ましいことではない。なぜなら、女性が自発的に働くことができるということは女性の自立を意味し、男性が労働し女性が子どもを育てることが基準になっている社会では女性の自立は社会体制の崩壊に繋がるからだ。現代ではそのような社会体制はなくなりつつあるけど、今度は女性が経済活動に積極的に参加することが求められるようになった。例えば手軽であるからということで女性が性風俗産業で働くより、(手軽ではないにしても)専業主婦になるよりも社会で働いたほうが全体的な経済効率が上昇するようになった。だから現代でも性産業は蔑視することで、一定数以上増えないことが求められている。つまりアイドルへの崇拝、性産業への蔑視は人間の社会構造が自然と生み出したものであり、この一定数も「神の見えざる手」(実際には蔑視の度合い、給与等)により調整されている。

で、これは2000年までの話だと思っていい。アイドルが凋落しヌード写真集を出す、AVに出演することは以前からあったが2000年を過ぎるとAV女優のTV進出は珍しいことではなくなり、風俗嬢のアイドル化(いわゆるフードル)が興ってきた。今まで相対してきたものが合流することは逆に言えばもともと同一のライン上であったことを示唆している。これは社会の価値観が多様化し、「アイドルは崇拝する対象である」「性産業は蔑視する対象である」という評価が曖昧になってきたということだろう。

アイドルがAVに出演しても誰も注目せず、フードルが公然と語られる社会。そこでは誰もがアイドルになり、誰もが性産業に従事している。もともと価値とは固定化したものではなく可変的であるが、単にスイッチングするのではなく、同時にアイドルでありAV女優である、そのような液状化した存在が成立し、すべての女性がその価値を多かれ少なかれ持つような社会へ移行しつつある。

ボクがAV女優、風俗嬢、キャバ嬢に対してルサンチマンを持つのはそのような過渡的な社会において自然発生的に現れる、保守的な感覚なのかもしれない。