Thursday, May 29, 2008

No title

昨日のお昼によくコメントをくれるStraycat氏と会いご飯を一緒に食べた。彼は生物学系なのでそういった話を少しした。日本でも「生物と非生物の間」がベストセラーになるなど生物関係の話題は人気がある。ボクの働いている書店でも、(文学部のキャンパスにも関わらず)ドーキンスの「利己的遺伝子」はハードカバーでもよく売れる本の一つだ。しかし生物学者の誰もが疑問に思っていながら口ごもる問題も「進化」なのだ。

現代の進化論の基本はダーウィニズムであり(というか進化論自体がダーウィニズムだとも言える)、後継のネオ・ダーウィニズムも根幹は大きく変わるものではない。つまりダーウィニズムとは選択圧(selection pressure)によって進化の方向性が決まるということなのだが、問題は方向性と結果の間には距離があるということだ。例えば恐竜から鳥に進化する過程では、中途半端な羽があることになる。結果として出来た羽は空を飛ぶために使うことができるけど、その途中で出てくる中途半端な羽は何にも使えずむしろ選択圧を下げることになっているのである。なのになぜまるで数百、数千万年後に空を飛べるようになることを予言するように進化が進むのはなぜなのか。

これにたいしては「突然変異」という考え方をすることもできる。そもそも「始祖鳥」は鳥の祖先ではなく、形態の変化は突如として起こると考えれば進化のミッシングリンクは最初からなかったと言える。これはこれで魅力的なんだけど、この考え方の問題もやはり何が突然変異の方向性を決めるのか、ということだ。突然変異だからといってランダムに起きればいいというものではない。例えば生物には「擬態」を取るものがある。捕食者の天敵に擬態したり、環境に擬態してまぎれたりするやつだ。もしあれがランダムな突然変異によって起きるものだとしたらたまたま環境に適合した模様、形態になる確率は天文学的に低い。そんな確率は数千万年とか数億年というオーダーでできるものではない。もしそうだとしても、そのためには突然変異が世代交替のたびにほぼ毎回のように起こるものである必要があるだろう。

このように話すとでてくるのが「インテリジェント・デザイン」という考え方である。デザインという言葉は進化論の話をしているときに好んで使われるタームで、一言で言ってしまえば生物のデザインを決めているデザイナがいる、という神様的なお話です。アメリカでは進化論を教えない州があったり、それに反対して空飛ぶスパゲッティ・モンスター教が出来たりしてます。ボクはもちろんインテリジェント・デザインに賛成はしないんだけど、とにかく今のダーウィニズムはまったくあてにならないことも確かなのです。

そもそも進化は無方向性である、という考え方とその証拠としてカンブリア爆発のときに現れた進化の行き詰まりに進んだ生物たちをあげることもできる。しかしそれでもやはり擬態は説明できないとボクは思う。

まあボクはいまだにDNAの塩基が何でできてるんだったか覚えていないくらい生物学に疎いのでほとんど妄想のようなものだ。わっふるわっふる。