Monday, August 20, 2007

早起きしたので眠い

もっのすごーく人生に虚無感を感じながらマクドナルドでバニラシェイクを飲んでいる沖野真人です、こんにちわ。昨日も焼酎を浴びるほど(は飲めないけど気持ちそんな勢いで)飲んであたしンちを読んでたら、起きたとき手に持ってるのが絶望先生に変わってたよ。イリュージョン? おかげで朝8時には起きました。

好きなひとの生まれた街を歩くのが好きです。小学生の頃って好きな子の家の周りを歩くことってなかった? ボクは今でもその感覚がなくなっていない。もちろんただ好きだというだけで行っていたらもろストーカーだけど、付き合ってるか別れたあとでも行っていいか聞いてから行くのでストーカーではないだろう。ま、自分でストーカー気質であることは認めるけど。街並みというのは不思議だ。歩いていてこの街とあの街は似ているな、と思うことはあっても、必ずその街独特の雰囲気ってのが存在する。「中野」とかそういう広い範囲での空気もあれば、何丁目というごく限られた地域にだけ存在する雰囲気もある。そういう目で好きなひとの生まれた街を眺めると、どんな変哲のない街並みにも好きなひとが感じられるようでボクにとってはなにより楽しい旅行になる。彼女と一緒に通学路を歩きながら当時の思い出を話してもらうってのがボクの夢です。

前はナンパして無視されてもなんとも思わなかったんだけど、最近非常にへこみます。だから3,4回声かけるともうグロッキー状態。思うに彼女がいるときとか、そんなにどうしても彼女がほしいわけじゃないときにするナンパってのはそこまで本気じゃないし、そのぶん余裕があるんだよね。ところが彼女がいない上にどうしても彼女がほしいってときのナンパは本気だから、ノーガードで突っ込んで行くみたいなものだ。そんな状態で無視されると思いっきり全力で心にこたえる。自分、不器用ですから…。当然数回声かけたくらいで成功するはずもないし、もうちょっと強い意志でナンパしないとなあ。

お笑い芸人の単独ライブDVD見てると、普段は漫才メインの芸人でもライブはコント中心であることがほとんどだよね。あれって漫才の性質をよく表してると思うな。漫才はネタという仮想世界を現実世界の話であるように見せて笑わせるのに対し、コントは仮想世界を仮想世界のまま見せる。仮想世界は仮想世界A、仮想世界B、仮想世界C…といくつでも作ることができるのでA,B,Cの世界がバッティングすることはない(わざとバッティングさせてさらに笑わせることはできる)。しかし漫才はA,B,Cというネタ世界を全部単一である現実世界に流し込んでしまうので、現実世界でネタとネタがぶつかってしまい、笑いがとれなくなってしまう。漫才というのはもともと「自然の会話」を基本の形にしているので、単独ライブのように何回も繰り返さなきゃいけないものと相性が悪いのだ。もちろん自然会話はちょっとにして、そこから漫才内コントに持って行くって手法はよくあるけど、それもそんなに何回も繰り返せるわけではない。

ボクは母子相姦のエロマンガが好きなんだけど、母子相姦のAVを見ないのは↑が原因かもしれない。エロマンガは当然仮想世界であり、読者もその仮想世界の中で成立している物語を読むので世界自体は仮想でも「母子」という関係性は真なのである。それに対しAVは現実世界で撮影されるものなので母子という関係性はほとんどのAVで偽だし、もし本当だったとしても見ている側にそれを検証する手段はない。もちろん熟女ものならば実際に熟女の女優のAVを見ればいいのでそんなことは起きないわけで、この「関係性の真偽」が問題になることはない。他にドキュメンタリー映画などは(当然ほんとうのドキュメンタリーなど存在しないのだけど)ドキュメンタリーですと宣言することで現実世界の真の関係性であると強引に信じさせてしまう手法だ。

あーセックスしてーなー。ちんぼをまんこに入れて動かしてたら射精しました、なんてのじゃなくて、
アリガトよ
じきに二度と起きるなと願う。
だけど今は起きてくれてアリガトウ。
いい顔してるぜ堤。
丹波文七と堤城平というものを、根こそぎ使って、根こそぎ比べあおう。
俺とおまえの、
どっちが上!!?
by 餓狼伝
みたいなセックスがしたい。