Wednesday, August 22, 2007

ねこまんが 4 (4) (バンブー・コミックス)

今日の夜は帰りが遅いしオナニーしてるひまがなさそうだなーと思うと、朝出かける前にオナニーしておく沖野真人です、こんにちわ。歌舞伎町のマクドナルドにいるんだけど、美人のお姉さまがいっぱいで全然日記が書けません。困ったなあ。

こいずみまりのマンガもたいてい買ってるんだけど、こいずみまりもあんまり好きじゃないな(笑 エッセイマンガを描く漫画家の中では伊藤理佐は大好きといえる。西原理恵子は超嫌い。大島弓子はけっこう嫌い。倉田真由美はかなり嫌い。これからわかることは、ボクは自己中心度が高いほど嫌いになるようだ(笑 でもボクは本読んでてハラ立つと破り捨てるんだけど、マンガで破ることってないからマンガに対しては寛容なのかもしれない。

と思ったけど西原は何冊かゴミ箱に突っ込んで捨ててるかw

うちの父親は看板屋なのでそこそこ絵がうまい。絵として描いてるのは見たことないけど看板に描いてある風景のイラストなんかはペンキでよう描くなと思う出来栄えではある。兄貴が高校生のとき、兄貴の夏休みの課題の絵を父親が代わりに描いて出したら金賞を取ってしまったそうだw しかも兄貴の友人の分まで描いてて、それは銀賞。金銀総なめかよw さらに姉貴の課題もやったら、修学旅行のしおりの表紙になったらしい。うちの父親どんだけ。この話とボクの描いた絵からわかるように、ボクら兄弟は見事に父親の能力を受け継がなかったようだ。

小さい頃1+1はなぜ2になるのか、という疑問を持ったことがある人は多いと思う。ボクは未だにこの疑問を持ち続けてる点では頭がおかしい哲学者向きなのではないかと思わないでもない。ただ考えてみれば、この疑問は「なぜボクたちは1+1を2だと思っているのか」としたほうが適切だろう。1+1が2であると考えるのは公理ではあるけど、公理は仮説と変わりない。1+1が2である必然性などないのだ。ただ1+ 1が2ではないような数学を人間は想像することができない、というだけである。つまり1+1が2であるというのは、人間自身の姿なのだ。このことを考えるとボクはニーチェの言葉を思い出す。
深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む
善悪の彼岸
論理学は論理を見つけ出しているのではない。鏡に映った自分の認識を解体してゆく作業なのだ。

キャバクラ関係の本読んでるとさ(ボクはキャバ嬢は大好きだけどキャバクラが大嫌いなのでこういう本自体とても嫌いだ)、客と寝るキャバ嬢は2流だ、なんて書いてあるじゃない。この前読んだのには、それでナンバーワンになっても仕方ないよね、とか書いてあった。ボクはこういうこという人間がなにより嫌いだ。まんこは兌換まんこなんだから、それで何をしようと勝手なわけで、まんこを使ってないほうが上だと思っているような人間は本当に浅はかだ。まんこもおっぱいも顔も女は全身兌換である。だから断然客と寝るキャバ嬢のほうがいいだろ。ボクはとにかく気取った女が大嫌いなのだ。この辺がキャバ嬢は大好きだけどクラブのホステスが嫌いな理由である。

ボクは女性を憎悪している。しかし女性は男性より下だと言うようなセクシストではない。そうではなく、ボク個人が女性にモテないということに対するルサンチマンとして憎悪しているのである。そんなモテないボクにとってやりマン、ファックちゃん、枕営業するキャバ嬢、風俗嬢、AV女優はもっとも憎悪の対象なのだ。そしてそれゆえそういう女に最も魅かれる。だからボクは自分の彼女が他の男とセックスしても全然気にならないし、むしろそういうことをする彼女に対する憎悪が興奮の元になる。どうみても変態です。ありがとうございました。