Sunday, December 17, 2006

レタッチ

コウモリであるとはどのようなことか
コウモリであるとはどのようなことか
トマス・ネーゲル,永井 均

まだ読んでないけど、ブックオフでネーゲルの「コウモリであるとはどのようなことか」が100円で売ってたので即買い。年末年始で読むことにしよう。

ボクは風景も含めてスナップ写真をよく撮るほうで、何でもない日でも一日10枚か20枚くらいは撮ってる。それでとった中で気に入ったものともかもあるんだけど、ボクはほとんどレタッチってしないんだよね。もちろん撮るときにはホワイトバランスや露出、コントラストに少しは気を使うんだけど。

それをなぜかと考えてみると、ボクは「写真」という「作品」が作りたいわけじゃないんだよね。レタッチって作業は、極端に言えば目の前にあったのはどういうものであったかは関係なくその作品自体で完成したものを作り上げていくことだ。絵で言うとわかりやすいけど、女が描かれている絵を見て「この絵は美しい」という感想は普通だけど「ここに描かれている女性は美しい」という感想は出てこない。つまりそこではもう対象は存在しなくなっている。

それに対してボクが写真を撮るというのは、その風景や場面を捉える一つのきっかけにすぎない。目に見えるものだけじゃなく温度、匂い、騒音まで含めて一つの風景を形成している。さらに写真は時間を切り取るものだけど、場面は前後の文脈も関係している。そういったもろもろのものを合わせて初めて場面が存在するのだし、ボクの写真はそういう場面を自分の中に少しでも留めておくためのピンみたいなものだ。だからレタッチをしてしまうと、そういう目的から外れてしまうし、カメラの設定もなるべくボクの肉眼でみたままに近づくようにしている。

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