Friday, November 18, 2005

『量子の謎をとく』

量子の謎をとく―アインシュタインも悩んだ……
量子の謎をとく―アインシュタインも悩んだ……
F.A.ウルフ, 中村 誠太郎

存在とはなにか・・・・心とは何か・・・・「私」が「今」「いる」とはいったいどんな意味なのだろうか・・・・どこにも欺瞞はない。あるのは徹底的な懐疑と熟慮された思想だけだ。ボクは、これほどまでに哲学的な、あまりに哲学的な本に出会ったことがない。確実にボクが今まで読んできた物理学の啓蒙書の中では最も遠慮なく、量子力学の謎に踏み込んで行った本だろう。

われわれが自分を観測するとき、観測における自分の役割は、見たところ最小となる。あるいは、われわれの自我の状態によっては、それと反対のことが起こり、観測過程での自己の役割は不つり合いに大きくなる。観測に従事している間、われわれは観測しているものから自分自身を分離する。まさにそのような観測過程において客観的な実在の世界が現れ、主観的な観測者が消失する。われわれは、自分自身をどのようにして観測してよいかを知らない。

私とは一体誰なのか。私は私を見ることができるのだろうか。できないというのなら、あなたは私でもあるのだ。

この本でウイグナーのパラドックスというのが紹介されていた。もしも波動を観測する人を箱に入れて、さらに外から観測していた場合、波動の収縮はいつ起きるのか、という問題。この問題に対していくつかの解答が例示されているがそのうちの一つに以下のようなものがある。

すべての観測者によるすべての観測は相互作用であり、したがって量子的宇宙の因果律に支配される。すべてはフローであり、世界は連続的になめらかに変化する。しかしそれは、起こりうるすべての潜在的世界からなる一つの奇怪な世界である。あるのは、ただ一つのクイッフ、すなわちマスター・クイッフであり、そのクイッフの枝が、神の壮大なネットワークのように時空にひろがっている。意識は存在しない。何も必要でない。

実はこのパラドックスとこの解答は今年の2月26日にふと思いついたアイデアとまったく同じだ。これを思いついたときはすげー興奮してあやかに「これを理論化できたらノーベル賞も夢じゃない」と話したんだけど、もう言ってる人がいたんですね。だいたいウイグナーってノーベル賞受賞してるし。やっぱりオリジナルのアイデアって素人がそう簡単に思いつけるもんではないな。

第4部ではもう完璧に人間の意識と量子論の関係、それも脳の神経細胞のどこで量子論が効果を生み出しているか、つまり「決定」を行っているのかということにまで言及している。この本がもともと出版されたのは1981年だから、ペンローズが『皇帝の新しい心』を書くよりも8年も早いことになる。もはや人間の心を科学的に問うだけの時代でもなくなっているのかもしれない。ボクたちは、人間の心さえ超え、存在一般を問おうとする明星を見つけつつあるのだ。

意識するためには、あなたが意識していることをあなたが意識しなければならない。それは鏡が鏡に自分を映して、「あなたと私と、どちらがきれいか」とたずねているようなものである。

ボクはこの本を読み終えて、涙を止めることができなかった。存在とは、存在とは、ボクは宇宙でありあなたなのだ。誰もいない。誰もいない。耳をつんざく存在の静けさが、永遠の孤独の中でゆっくりと瞬いているボクたちひとりひとりを照らしてくれる。ボクは、あなただ。