Sunday, May 22, 2005

ログ68('05 05/21~08/09)

05/08/09


あやかさんが鹿児島に帰っているので一日に二回か三回くらいオナニーしています。今日エビオス錠の1200錠入りを買ってきました。セックスする前に生卵を飲むといいってのは本当でしょうか。オナニーを何回しても性欲って完璧に解消できないんですよね。きっと性欲とは別に、セックス欲ってのがあると思うんです。オナニーをすれば消えるタイプの性欲を精液欲と呼ぶことにしましょう。そして精液欲を満足させても残ってしまうものがセックス欲です。さらにセックス欲は愛欲と肉欲に分かれています。愛欲は好きな人とセックスしたいという欲望です。肉欲はとにかくセックスしたいという欲望です。だから人はいくらオナニーをしても性欲がなくなるわけじゃないのです。いくらセックスをしても性欲はなくならないのです。好きな人とセックスしないと満足できないのです。

スペースシャトルの着陸をネットの中継で見ておりました。無事成功してよかったですね。ところで今回の着陸はフロリダにあるケネディー宇宙センターが悪天候だったので、エドワーズ空軍基地になったわけですが、スペースシャトルは自力飛行能力がないのでまたケネディー宇宙センターまで輸送しなくてはなりません。でもどうやってあんな馬鹿でかいものを輸送するんだろうね? まさか分解しちゃうわけでもないだろうに。

↑調べてみたらわかりました。さらにでっかい飛行機の上に乗っけて空輸するんだそうです(笑)。

家の近くにピカソっていう、ドンキホーテの姉妹店ができました。さっき行ってみたんだけど、ドンキホーテほどは大きくないけど非常に便利。朝5時までやってる安売り店が家の近くにあるってのはすごい。洗剤とかトイレットペーパーとかを前もって買い置きしておく必要がないわけです。もうすぐ切れそうだなーって思ったらそのときに買いに行けばいい。都内で引越しするときは絶対にドンキホーテの近くだなー。コンビによりよっぽど便利だよ。


05/08/08


佐藤文隆の『ビッグバン』を読んでてちょっとびっくり。ブラックホールって必ずしも高密度とは限らないのだ。平均密度ρって質量Mをブラックホールの体積でわったものになるから、 ρ=M / (4π/3) (2GM/C2)3 になる。ということは、質量が大きくなればなるほど密度は低くなっていくということだ。銀河中心核にある太陽質量の108倍くらいのブラックホールだと、なんと空気くらいの密度なのだ。ほへー。計算してみれば当たり前なんだけど、まったく勘違いしてたよ。ようは空間がゆがんで中の情報が出てこれないような重力を作るだけの密度があればいいわけだ。



広瀬立成/細田昌孝の『真空とはなにか』は説明がわかりやすくて面白かった。特にディラックの量子論的真空、朝永振一郎のくりこみ理論がいってることをやっと気がするよ。ところでこの本ではモノポールに関してはそんなに詳しく書かれていないんだけど、「電荷をもった素粒子はスピンによってNとSの磁場を生じ、モノポールはNかSの磁場を持つ」のなら、「モノポールはスピンによって+と-の電場を生じている」といえるのだろうか。ああ、こんなこと書くと結局マックスウェル方程式もまったく理解してないことがバレバレになってしまう。昭和59年初版の本だけど、「ニュートリノはすでに、第三の相転移でわずかな質量を得ているはずだ。」と、ニュートリノの質量を予測しているのは注目に値すると思います。



ボクは日本がきな臭くなってきたらさっさと国籍放棄して国外に引っ越そうと思ってます。日本は治安がいいし便利だから住んでるのであって、メリットがなくなったらいる意味がないからね。でもこの考え方ってある意味究極の反戦だといえないでしょうか?偉い人がさて戦争をやろう、と思ったら兵隊がいないの。絶対戦争できない。



ボクは戦争を経験したことないし、原爆の被害にあったこともない。それは世界中の若者全員共通なんだよね。原爆は人類に対する犯罪であるから、どこの国がどこに落としたとかはボクたちに関係ないんだよ。ボクたちが考えなくちゃいけないのは、ボクたちの誰もが実行者になる可能性があり、誰もがその被害者になる可能性があるということじゃないだろうか。ボクは原爆の被害に怒りを覚えると同時に反省をする。アウシュビッツの惨劇に悲しみを思うと同時に、それを行ったのは自分だったかもしれないと思う。そしてボクらは、今起きている人類への犯罪を止められていない、それだけで実行犯なのだ。そして「仲間が起こしている犯罪行為」を止めなくちゃいけないのだと思う。


05/08/04


『皇帝ペンギン』見てきた。映画館で映画を見ることはめったにないのだけれど、テレビで監督のリュック・ジャケのインタビューをみて面白そうだと思ったので。ペンギンが歩いてるところにセリフをあてる、みたいな形式でそれ以外にナレータが入ることはほとんどないので、皇帝ペンギンがどういう生態なのか詳しくわかるわけではない。でも彼らが南極で生きていくのは大変なんだなとはわかった。可愛さを前面に出すわけでもなく、無理に感動させるわけでもなく、非常に静かな作りでさすがフランス映画だなーという感じ。セリフがけっこうわかりやすいフランス語なので、シナリオが手に入ったらDVDも買ってフランス語の勉強に使いたいところだな。

「トラウマ」を広辞苑で引くと「精神的外傷」となっているけど、「精神的な」「外傷」ってよくわからない言葉だよな。


05/08/02


ボクのやりたい哲学はサール、ウィトゲンシュタイン、デネットとかなんだけど、ちゃんと「認知哲学」という言葉があるんだね。まだ広まってはいないようだけど。プロファイルにも載せておこう。

エビオス錠を薦めた友人と一緒に飲み会に行ったら、周りの人にずっと「精液ドバドバ精液ドバドバ」と言っていて困りました。哲学をやってる人って常識がないから困りますね。


05/08/01


昨日 TOEFLを受けてきました。TOEFLは基本的に留学用の試験なのでパスポートがないと受けられないんです。でもボクは留学どころか海外に行こうって気がこれっぽっちもないので、パスポートなんて持ってない。そこで仕方なく名古屋に帰り住民基本台帳ネットワークカードを作成してきた。これなら500円(交通費かかったけど)。HPや電話では代理人の申請でも交付できるって言ってたけど、本当は本人じゃないと受け取りができないらしいのだ。

TOEFLは4時間もかかるテストなので大変だと思ってたけど、パソコンの前に座って一人でカチカチ進めるだけなので、肘をつきながら靴を脱いでけっこう気楽にやることができた。やる前は初めてってこともあってけっこう緊張してたんだけど。コンピュータ版のTOEFLは試験終了時に一応の結果がでます(ライティングの採点は後日)。リーディングが25で、思っていた以上にすげーよかったんだけど、リスニングが16という驚きの点数。20は絶対行くと思ってたのに。つーかリーディングとリスニングの差が9もある人間ってそうそういない気がする。

『ホーキング 虚時間の宇宙』 竹内薫 ブルーバックス
ブラックホールに関する特異点定理の、「宇宙やブラックホールには特異点が存在する」という結論には「相対性理論のみを前提にするならば」という限定があり、量子論を考慮するなら特異点がなくてもいいことを説明する。無境界仮説についても比較的わかりやすい説明になっているので読んで損はない本だと思う。

1冊でわかるヨーロッパ大陸の哲学 サイモン・クリッチリー 岩波書店
カントやサルトル、フッサールにカルナップらの哲学がわかるようになるわけではない。でもハイデガーとカルナップは何を問題にして、彼らの間にはどのような思想的断絶があったのか、ということはわかった。久しぶりに読んでよかったと思える哲学関係の本だった。


05/07/09


来年から某 AV制作会社で働く人たちと一緒に飲んだのですが、意外と普通な人たちでした。というかボクのほうが圧倒的に変態的性癖を持っていた。わはははは。でも彼らは性欲を商売に転換するほうで、ボクは性欲を性癖に転換してるので当然といえば当然なのかもしれません。もしボクがAV会社で働いても楽しくないだろうな。ボクはお金のことなんか考えないで精液を撒き散らしてるほうが性にあっているんだろう。

ボクはキャバ嬢と風俗嬢が大好きだ。恋しているといってもいい。キャバ嬢は自意識過剰で、男にちやほやされるのが好きというところが大好き。風俗嬢は男と寝たりちんぽ抜いたりして金を稼ごうってひん曲がった根性が好き。しかし最近気がついたんだけど、AV女優って両方こなしてるじゃないか。素晴らしい。男にかまわれるのが好きで抱かれて金を稼ぐなんて最高です。AV女優はボクの理想像だ。しかもあれね、今のAV女優って妙にアイドル臭い演出されてるのが多いじゃん。ああいうのは超パス。やっぱ下卑たヤリマンが基本。優しいとか思いやりがあるとか、「いい女」が好きなわけじゃないんだよね。きっとボクが求めてるのは女じゃなくて雌なんだと思う。広い意味での性的欲求に正直な雌がいい。


05/07/03


夜のオープンキャンパスと検索してみたらむしろ早稲田大学文学部のほうが上位にきてました(笑 多摩美大のかたすみませんでした。

最近母親が携帯電話を買いまして、たまに電話やメイルがくるのですが非常に奇妙な感じがします。というのもボクの家族はどちらかというと機械音痴揃いで、まともにオーディオの接続とかができるのはボクと兄貴、パソコンをある程度いじれるのはボクくらいです。でもボクはビデオを再生、停止、巻き戻ししかできません。予約録画なんてとんでもない話です。一度もビデオデッキを所有したことがないんだから当たり前っちゃあ当たり前なんだけど。とにかく母親はそんな家族の中で一番機械にうとい人間で、CDも再生しかできない。ラジオはラジオだけのラジオでしか聞けない。そんな人間だったはずなのにメイルをしてるってのがおかしくてたまらない。まだ見たことはないけど、母親が携帯電話で電話してるところをみたら絶対笑ってしまう気がする。

今日はあやかさんの買い物に付き合って渋谷にお出かけ。半額セール中のツタヤに行ってCDを借りまくり、近くのルノワールでしこしこエンコードして当日で返す、といういつもの荒業をこなす。普通ルノワールというとサラリーマンがタバコを吸いながら時間をつぶしてる、というイメージがあるけど渋谷のルノワールはさすがギャルもけっこういる。だいたいカップルなのが腹立たしいけど。パンツもろ見えなスリットの入ったスカートをはいたギャルがいました。さすが渋谷。

今までボクは「パンチラは見えそうで見えないほうがいい」とか「全裸よりもエロいせみヌードの写真集」という考え方を否定してきました。パンツとかまんことかが見える直球が好きで、露骨なのが大好きなんです。整形してても美人が好き、というかむしろ整形してる美人が好き、というのも同じところからきてると思う。露骨に男を意識してる、というのがボクの心をくすぐるんです。だから逆に整形してても「自分に自信が持ちたくて」なんてのはまったくつまらない。男にもてたいから整形するとか、金が欲しいから男と寝るとか、そういう欲望にまみれた人間にボクは魅かれるんだよね。だから整形したAV嬢、なんてボクには最高の女に見えます。

だから露出面積拡大の歴史は、勃起度拡大の歴史であると言いたいのですが、本当にそうなんだろうか? その理屈から言うと見せパンを履いてるギャルよりも海辺のギャルのほうが圧倒的に勃起することになる。それはそうかもしれないけど、露出面積と比例するほどの勃起度になるわけでもないことも確かである。じゃあ逆にビキニギャルが渋谷を歩いていたらどうだろうか。うん、これは抜ける。というかそういうエロ動画でよく抜いてるし。つまり勃起度は露出面積だけでなく、コンテクストにも大きく左右されるということだ。コンテクストというのはフェティシズムといってもいい。つまりボクも決して直球だけで勝負してるわけでなく、いろいろ変化球を持っていたわけだ。

歌わぬ詩人は詩人だろうか? 自然に感動する心は持っているが、それを歌にしない人は詩人ではないだろうか。では、歌は思いつくが誰にも言わない人は詩人ではないだろうか。歌を書いたが発表せず、死とともに詩も消えていった人は詩人ではないだろうか。この問題設定は「誰もいない森で木が倒れたら音はするか」というフレドリック・ブラウンの問題と同形だけど、一つ大事なポイントが存在する。詩人であるかどうかを判断する前には詩人の定義が定まっている必要があるということだ。もしその定義さえ確定しているのならこの問題はあっというまに解けるだろう。結局この問題は存在としての詩人などいない、ということを言ってるに他ならない。そして森の話も、「音は物理的存在か、人の耳に聞こえるものが音なのか」という話になる。音は存在者か。

それを認識する者がいるから事物は存在できる、という考えは人間原理へと繋がり、宇宙そのものの存在も人間がいるからだ、ということになる。ここまで行くと極端に思えるだろうか。でも、ボクはまったく変ではないと思う。だって、「存在する」という術語自体が人間の作り出したものだからだ。人間がいなければ、物が存在できるかできないかの前に「存在」という概念が存在しない。だから存在は人間に依存している。そして人間のいない世界では存在が無いとはいえない。無は人間の考えだした概念だから。存在も無も

よく言えばギャルは基本的にセックスに対して開放的だと思います。悪く言えばヤリマンが多いです(ボクはヤリマンてボクがやらなくても大好きなんだけど)。しかしギャルはエロいでしょうか? それはNOだとボクは思います。セックスにオープンなこととセックスに貪欲なことはまったく別物です。例えば、毎日違う男とやるギャルがいても、そのギャルが変態セックスが好きだとは限らないし、毎日セックスがしたくてたまらないとも限らない。むしろそれはセックスが一般的なコミュニケーションに近づいているだけといえる。それに対してちんぽをしゃぶりながらオナニーして、中出しをせがむような女は変態だけど、ギャルである可能性はむしろ低いといえるでしょう。なんかそこのところの区別をできていない人が多いように思います。ヤリマンギャルが変態だとは限らないし、変態がヤリマンギャルだとは限らないのです。

ボクは変態のギャルが一番好きなのですが。


05/07/01


友人にベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論』を薦められたのでがんばって読んでるけど、正直何言ってるのかさっぱりわからん。ボクみたいに哲学をやってない人間がどんだけ逆さになって読んだって完璧に理解できるはずがないのでまずは適当に読み飛ばしていくのがいいんだろうけど、書物に関しては微妙に完璧主義なところがあるのでつい格闘してしまい、1時間で1ページとかしか進まない。ブルーバックスなら3時間で1冊読めるのに。

哲学はやんなきゃいけないとは思うんだけど、ボクはやっぱりちょっと苦手だなあ。例えば物理学ではアインシュタインがどんだけ偉い人でも「アインシュタイン物理学」は存在しないし(教科書の名前とかとしては別にして、学問の分野として)、誰が相対性理論の解説を書いたって「アインシュタインの二番煎じだ」と非難されることはない。でも哲学ってのは固有名が先行する分野で、ウィトゲンシュタイン哲学はウィトゲンシュタインが言ったことが本義で、解説なんてのは軽んじられるしましてや似たようなことを言っても誰も注目してくれない。そういう性格してるから2000年も続いてても同じようなことを言ってるんじゃないかと思うんだけどね。

ボクはけっこう脇が匂うほうなので夏はしっかり消臭しなくてはいけません。しかしあやかさんはやたらボクの脇の匂いが好きなので、ついほったらかしにしてしまう。しかも自分でもちょっと好きなところが困った。靴下を脱いだ後嗅ぎたくなるようなもんなんだけど。匂いというのはフェチ心をくすぐるよね。洗ってないまんこの匂いとか、寝起きの口の匂いとか、うんこを我慢してるときのおならの匂いとか。人生の至福の瞬間だと思います。

ボクはけっこう変態プレイを試してるほうだけど、かといって全然極めているわけじゃないんだよね。ネット上で素人の開いてるエロサイトなんか回ってるとボクたちなんてまったく太刀打ちできないもん。おしっこをぐびぐび飲むことはできるけど、それ以上はできないしなあ。深くはないけど様々なプレイでセックスしたい、という意味ではボクはジェネロリストと言えるかも知れません。

などとボクが考えてる間に、数年前に学会でよく話をしていた人がいつのまにかMITに留学していて日本に帰省する間に学会で発表することがわかりちょっとショックを受けています。

多摩美術大学の広告に、「夜のオープンキャンパス」というキャッチコピーが載ってました。すごいセンスだ。

嘘をつく嘘発見器があったら面白いよね。

ボクが数日前にタイムスリップして自分を殺したら刺すはずの人間がいなくなるというタイムパラドックスに陥る。電子が数秒前にタイムスリップして自分と相互作用を起こしたらどうなるだろうか。何も起きない。素粒子は「顔を持たない」からだ。物理学的にはタイムパラドクスは起きないのではないだろうか。因果律は仮定かもしれない。


05/06/08



吉永良正の『ゲーデル・不完全性定理』は難しいけど読み応えのある本だった。単に嘘つきのパラドックスの発展版として不完全性定理を説明するだけではなく、カントールの対角線論法、ラッセルの論理主義、ブロウウェルの直観主義を解説し、その流れでヒルベルトの予想の価値を語る。もしこの流れを知らないと、ヒルベルトは単なる数学に対する楽観主義者に見えてしまうだろう。数学も人の為す思想なのだから、歴史は必要だ。
ところで数学者ってなんで性格悪い人間と神経症的な人間が多いんだろう。物理学者のエピソードといえばたいていジョークとか遊び心だったりするけど、数学者のエピソードは非難か自殺かどちらかじゃないのか。ヒルベルトは結婚した弟子を非難し、ゲーデルは餓死で自殺しました。
でも数学者というのは純粋に思いつめられる人だよね。物理学者とかはたぶん数式を見つめていてもその意味を考えてしまう。数学者にとっては実体を想像するのは数式への制限になってしまう。これを表した面白い表現があったので引用しておこう。
『ビールジョッキとは、その孫である椅子が一様に横たわるジョッキである。』
意味を考えてはいけない。意味を考えた瞬間に数学は姿を消すだろう。


ボクは物理学や数学が好きだけど、今のボクが物理学に対していえることなんて何もありません。あるとしたら、もしかしてこうなのかなあと素人が勝手に楽しむ夢想にすぎない。ボクはあまりに物理学が好きでよく友達に物理学の話をするので、物理学者になればいいのにといわれることもある。なりたくないわけではないけど、なるのならボクは正統派の勉強でしか学びたくない。ボクの今の知識の付け方は邪道だろう。これは信念というより信仰に近い。ボクは物理学に限らず、アカデミズムの神を信仰している。

例えばボクはトンデモ系の本や発言が大嫌いだ。学問という体系に真摯に向かい合い、真理という究極への道へ殉じる覚悟を持つ人間にだけアカデミズムの神は祝福を与える。神の寵愛を受けるために、学者は全てを捧げなくてはならない。トンデモは言うに及ばず、学外の人間であろうと学問に対して適当なことをいうのは学問を堕落させる行為だとボクは思っているので、非常に怒りを覚えます。けっこう売れてる本に『ダーリンは外国人』というマンガがあるけど、これとかは今まで言語学者が積み上げてきた知識をまったく無視して自分勝手な語学に対するイメージを述べただけ。そして読む人もそう思えばいいんだけど、ちょっと視点の違う、一見論理的に見える意見を聞くとついそれが真実なんじゃないかと思い込んでしまうんだよね。言語学者から見ればまったくナンセンスな内容であっても。ボクはそういう学問を貶める行為を本当に宗教的な感覚で怒りを感じる。

電車の中で化粧をする人を単純に非難する人は自分の価値観以外の見方を知らない人だと思うけど、それに対して「彼女たちも恥を知らないわけではないです。恥というのをどこで感じるかは文化によって違うのです」というような意見も信じてはいけない。そのような考え方は実は「ともかく恥は持たなくてはならない」ということを前提にしている。結局それは『老人の論理』だ。似たようなことに「ギャルも全員がヤリマンなわけではない。そういうギャルは一部だ」というようなものがある。事実全員がそうなのではないのだろうが、それ以上にここには「ヤリマンであるのはよくない」という価値観が入り込んできている。

これは鯨肉の問題でも食人でもかわりはない。「鯨を食べることは野蛮なことではない」というとき、そこには「野蛮なことはよくない」という判断が存在する。しかしいったいそのような価値観を認めて、ボクたちはどう行動すればいいのだろうか。それでもやはり自分の価値観を信じて生きるしかないのだろう。自分の価値観が絶対ではないと知っているが、それでもそれを捨てることはできない。人間が最後まで持つものは欲求と価値の二つだ。


05/06/04


しかしもしボクが主張するように性犯罪その他の犯罪が強い衝動によってなされるものだとしたら、反抗は不可避的なものになってしまい刑罰という基本的に犯人の自由意志に与えられるものに根拠がなくなってしまうんだよね。さすがにそうは思わないし。じゃあどうすればいいのか。この「自由意志」に依拠した罪刑というのがだめだと思うんだよね。もし犯罪を「緊急避難的ではない状態で他者の権利を侵害する行為」と既定すれば、自由意志によらなくてもいいんじゃないだろうか。今度は心神耗弱の場合はどうすればいいのか、という問題が出てくるけど。

I氏の恋愛感はかなり理解できるんだよなー。恋愛はすべて幻想で、不定形なものだと思うんです。どんな形だって取れる。他人からみて、場合によっては相手からみて愛情とは感じられないような言動も本人の中での気持ちがわからない限り愛してるのか愛してないのかはわからない。セックスも同じで、どんなセックスが愛を生むとかこんなセックスは愛していないとはいえない。あやかさんは就職試験で作文に「最高に変態なセックスをしまくって究極の愛を突き詰めたい」と書いたそうです(笑 さすがボクの彼女だ。しかもその会社に内定しました。おめでとうございます。

こんなストラップ買ってみた。高級しいたけ使用。本当にしいたけの香りがします。1個504円でお買い得ですよ。ただし、ある程度の補強はしてあるけどしいたけなので多少もろいです。ネタ的に買うのがよろしいかと。


05/06/02


I氏は「僕が精神的安定を与え、代わりに彼女からは経済的な援助をしてもらう。」「セックスのとき僕は1回しかいかないのに彼女は何回もいってるから不平等だ。」と主張します。ボクはこのようなI氏の考え方をSuper String Theoryと呼んでいます。日本語に訳すと超ひも理論です(笑

夜仕事が一緒の人が哲学研究科の院生の人なので毎晩いろいろ西洋哲学について話を聞いている。大陸哲学と英米哲学の分裂、科学と哲学の断絶、面白い話だ。

こんなニュースがあってちょっと考えさせられた。ボクもたいがい平均的な性生活と比べると変態のほうに入るだろうからね。しかもこの裁判官に言わせるとど変態は人間失格らしい。

もちろん自分の娘のヌード写真を撮って送信するってのは許される行為じゃないと思う。だけど、人間の三大本能に性欲が入ってるように、性欲は意識してなくせるものじゃないし、性癖は意識して変えられるものじゃない。ボクは野外でのセックス、痴女好きなど他にもいくつかの性癖があるけど、もしこれが犯罪だと言われても絶対やめられないだろう(野外セックスは厳密には犯罪になるけど)。性欲はなくせないし、性癖は変えられない。それは食欲がなくせないし嗜好が変えられないのと同じだ。たまたま性欲が人より強くて、たまたま犯罪となるような性癖を持ってしまった、という人をボクは多少不幸に思います。もう少し性欲が弱かったら、もう少し性癖が違っていたら、彼は変態であってもつかまることはなかったかもしれない。

例えば自分の精液を飲むのが大好きな人間とか乱交が大好きな人間はいるけど、ど変態ではあっても犯罪ではないもんね。ボクは性欲をがまんしたときのあの脳髄を締め付けられるような感覚がわかるのでほんと少しだけ同情してしまう。うまく自分の性欲のはけ口を見つけられるといいんだろうけど。ボクの場合は風船クラブのマンガを読むことが自分の性欲の解放になっている。もしボクがオナニーもセックスも禁止されたら、1週間で危ない人になるだろうね。

そういう性欲の高まりがどういうことかも理解してないくせに性風俗に反対したりする人はわかってないなあと思う。出てきた性欲や持っている性癖を抑えるなんてことは不可能なんだよ。どこかでちゃんと出せないなら犯罪になってでも満たそうという気持ちになるに決まってる。ボクはAVを借りたことが一度もないし、一度も風俗、水商売系の店に行ったことはない。でもそれはそういう性産業を否定しているわけでなく、女は金を払わないほうが楽しい、という個人的な嗜好が故だ。女はタダだ、というのはボクの数少ない人生の信念の一つだ。

ボクはSMとか乱交とか変態セックスをもっと認知させるべきだ、とはまったく思わない。よく個人のアダルトサイトとかでそういう主張をしてる人たちがいるけど。変態なセックスとは、犯罪ではなくても憚るような行為だからこそ興奮し、性欲が満たされるわけじゃないですか。もし乱交が、やるやらないは別にして、世間的に認められる性行為になったら、今乱交を性癖として楽しんでいる人が持つ淫靡感はなくなってしまうだろう。変態は認められないからこそ楽しい。だけど、そういう性癖、強い性欲を人は持ちえるものだ、ということはもっと認められたほうがいいと思う。食欲は全ての人間が持つけど、性欲はない人もいるからそういう人からしたらボクのような人間の性欲、性癖は直感的に理解しにくいかもしれないから。

全ての性欲は生きるゆえであり、セックスにおける全ての性癖は愛ゆえである。


05/05/31


エスカレータって片側を空けて乗るのがマナーになってるぽいけど、あれって片側あけないほうが全体の効率はいいよね。特に混雑してるときは無理に片側を空けるのは意味がない。そういうときにボクが空いてるほうもふさぐと後ろに人が並び始め、効率はあがるんだけど、ボクはマナーを守ってないと見られるんだろうな。人間は難しい。


メンデル・サックスの『相対論対量子論』を読む。対話形式で進められていく、個人的には現代のプラトンともいえる著作。最低限の相対論と量子論の知識を持ってから読むとより楽しめる。

基本的には量子論と相対論の間にどのような断絶があり、それはなぜなのかを実証主義、実在主義の考え方から説明してゆく。最初のうちは相対論の持つ実在主義的な立場が単純に思え鼻につくが、読み進めていくうちに量子論の強い実証主義に懐疑が生まれてくる。

最終的には科学とは何か、科学者とは何か、という問題にぶち当たる。しかしそれこそが現代科学の抱えた最大の問題なのだ。以下の挿話には鳥肌が立った。

スコットはテーブルの上の新しいナプキンをとって、それをスージーに見せながら「このナプキンに何か見えるかい」と聞いたのよ。「何もないわ」とスージーは答えたわ。次に、スコットはペンを取り出して、ナプキンに円を描いて見せたの。「今度はどう?」と聞くと、「円があるわ」とスージーが答えた。そこでスコットは、いい記録を出したばかりのスポーツ選手のような自信たっぷりの声で、「それじゃ、パパが円を描く前、この円はどこにあったんだろう?」と尋ねたのよ。スージーはためらうことなく自信ありげに「ペンのなかじゃない?」と答えたというのよ。


ボクは今まで後背位が一番好きだったんだけど、このごろは正常位が中心になっている。正常位とその少し変形くらいで終わることも多いし。やっぱり正常位は肌の密着度が高いから一番「セックスしてる」という実感があるよね。

ボクはどちらかというとちょっといくのが遅いほうだ。だから彼女がいく前に自分がいってしまって困った、という経験はほとんどない。でもかわりにほとんど一晩で一回しかセックスができないんだよね。出す精液の量を調節すれば二回とかできなくはないんだけど。やっぱりさ、中で出すのもいいけど、たまにはおなかとかおっぱいとか顔とかに射精したい、と思うのが男魂じゃないですか。でも一回となるとやはり中に出したいし。ボクにもうちょっと性欲だけじゃなく精力があればなあ、と悩むお年頃です。

I氏に「どんなプレイが好きですか?」と聞いたら自信たっぷりに「野外ですね」と答えられた。しかも昼間の野外で猫に見られながらやってるらしい。変態だ。この前は首にキスマークつけながら「いやー全身にキスマーク付けられちゃったよー」とか言ってるし。なのに本人曰く「僕は性欲より食欲ですね」。どんな食欲やねん。


05/05/27


図書館に iPod photoを忘れてしまい次の日に取りに行ったら、少しいじった形跡があった。別にかまわないんだけど、中に取り込んである秘蔵ギャル写真集をみられていたらどうしよう。

電荷をいままで「でんに」と読んでいました。と話したらあやかさんにバカにされた。うわーん、化学なんてやったことないんだから仕方ないじゃないかー


佐藤文隆の『量子宇宙をのぞく』を読んだ。物理学者にしては珍しく哲学的な宇宙観を披露している。宇宙と人間の関わり方など、けっこう考えさせられる。近代天文学の基盤になった宇宙原理に対して量子効果を考慮した現代宇宙論では人間原理が唱えられてきているけど、物理学は人間原理に対して「ほら、こういう計算(理論)をすれば人間原理も許されるでしょ?」という言い訳じみた態度を取っている。そうではなく、真っ向から人間原理に立ち向かう(というか正当化する)、哲学的宇宙論も必要になってきているのではないだろうか。

佐藤文隆とペンローズの対談があった。かなり面白い


05/05/24


道を歩いてるときに、前から巨乳のお姉さんが歩いてくると、とりあえずおっぱいを揉む妄想をするじゃないですか(断定)。ミニスカのときは足を舐めてみたりとか。で、そういうことを妄想してるときにもし近くにエスパーがいて、今考えてることを覗き見されたらどうしようとか思いませんか? ボクはよく思うんです。しかし一瞬ばれたら恥ずかしいから考えるのをよそうと思うのですが、ボクがおっぱいを目の前にして妄想をやめるなんてできるはずがない。そこでこう考えることにしました。むしろこの巨乳のお姉ちゃんがエスパーで、ボクがそのおっぱいにむしゃぶりつく妄想をしてることなんてお見通しなんじゃないだろうか? ・・・・いい。すごく(・∀・)イイ!! お姉さんに知られてるのを知りながら妄想していると思うと妄想っぷりにも気合が入るってもんです。もう右側の乳首をつまみながら左側の乳首を軽く噛んで転がしちゃったりしちゃいます。うひゃはyはyひゃ。

すみません、最近ちょっと宇宙からの電波が強くて。テレビ放送終了後の砂嵐画面の数%は宇宙背景輻射らしいですよ?


『モノポール』やっべーよ。モノポールってのは未発見の素粒子の仲間で磁力を持つくせにN極かS極しか持たないやつ。イギリスの生んだ対称性の天才ディラックが予想したモノポールもすごかったけど、ゲージ理論でのモノポールはマジやばい。大きさは陽子の10-16しかないのに重さは陽子の1016もある。素粒子の癖してバクテリア並の重さ。なのに太陽が陽子の大きさだったとしてもモノポールはバクテリアの大きさでしかない。大きさも重さも桁外れ。でも見つかってない。他の素粒子はだいたい見つかってる。さすがモノポール!普通の素粒子にはできないことを平然とやってのける!そこにしびれる!あこがれるゥーーー!!

ちなみにモノポールでGoogle検索するとボクの小学生のときの同級生の稲葉直貴君が作ったパズルがでてくる。ちょっと難しいけど面白いのでぜひ挑戦してみてください。


05/05/22


小さい頃、句点を途中で一度も打たないで一冊の本を書けないかと思ってたけど、人生と言うのはある意味句点のない話だよね。

電車の事故でも監禁事件でも、一番腹が立つのはコメンテータもインタビューされる人も事件や事故の原因を自分たちの中にあるものではなく、自分にはない特殊性に求めようとするところだと思う。

近所のブックオフで単行本が全品500円セールをやっていたので、朝の10時に並びに行きました。並んでたのはボクだけなんですが。でもおかげで前から買おうか悩んでいたTOEFLや英検の参考書が買えた。すげー。ただ、狙っていた『リーマン博士の大予想』はなくなってた。無念。ついでに次世代型サブミリ波干渉計ALMAへの期待をそれぞれの学者が語る『私たちは暗黒宇宙から生まれた』も購入。

で、帰りに大学の前を通ったら構内で青空古本市をやっていたので覗いたらブルーバックスで未読の物理学、天文学関係のものを数冊見つけてしまったので購入。いやー最近はまた明らかに読書量より購入量のほうが上回ってるけど、どれも読むのが楽しみだからいっか。

『私たちは暗黒宇宙から生まれた』を読んでると本当に天文学に携わっている人は研究を楽しんでいるんだなあと感じさせられる。ボクがもし大学入る前にこの本を読んでいたら天文物理学に進んでいたかもしれない。


05/05/21


陽子の寿命(つまり半減期)は1033年と予想されているけど、よく考えると今ある陽子が10兆歳になってもなんか劣化してるわけではない。陽子は陽子のままだ。別に陽子に限らなくたって、中性子のベータ崩壊にしろ決して素粒子自体になにか変化が起きてその結果として崩壊するわけじゃないのだ(正確にはハドロンは素粒子じゃないけど)。崩壊、それ自体が根源的な変化である。それでも「なんで崩壊するのか」というのなら、結局「次の瞬間に崩壊する確率は~である」という量子力学的確率でしかない。

しかし現実(宇宙)は「次の瞬間」というような飛び飛びの時間を持ってるわけじゃない。だから実際には「次の瞬間」という言葉は使えない。連続的な時間の中で崩壊する確率になる(ええと、こういうときに微分方程式使えばいいんだっけ?)つまり素粒子にとっては幅のある時間など存在しないことになる。あるのは、質量を持つことによって光速度以下にあることから要請される光円錐の内部になくてはいけない、という相対論的時間だ。

もし銀河Aから100万光年離れたところに銀河Bが突然現われたら重力の作用はどうなるだろう?銀河Aは100万年経たないと銀河Bを観測できないわけだから、銀河Aに銀河Bの重力が作用するのも100万年後ということになる。しかし銀河Aは何億年も前から存在していたわけだから、銀河Bが現われた場所は当然銀河Aの重力圏内であるから、銀河Bは現われた瞬間に銀河Bからの引力を受けることになる。ところが、ニュートン力学の第三法則により、物体に働く力は作用と反作用を持つ。だから銀河Bが銀河Aの引力を受けるなら同時に銀河Aも銀河Bの引力を受けなくてはならないのだ。

もしかしたら、この意味では重力の第3法則は結果的なものなのではないだろうか。つまり、現実には銀河などの超質量が突然現われるということはない。だから質量は宇宙ができたときに生まれて以来特に増えも減りもせず(←これは仮定だけど)ずっと見た目の相互作用をし続けてきただけだといえないかな。本当は一方通行が可能な力であっても、光速で重力が伝わるなら宇宙内にある質量はすべて誕生以来お互いの作用の範囲内にいる、ということだ。重力が重力波、または重力子(グラビトン)があるとすればこの考えをサポートすることにならないだろうか。

もちろん高校物理もやってないボクが書いたことなのであまりシリアスに受け取らないでください。


小柴昌俊の『ニュートリノ天体物理学入門』が古本屋で売っていたので買って読んでみた。さすがカミオカンデの発案者だけあって単にカミオカンデの原理だけでなく、どういう流れでカミオカンデを思いついたのか、などのノーベル賞受賞者の研究態度というか問題意識が書かれていて面白かった。もともと陽子崩壊を観測するための施設としてカミオカンデが作られ、観測精度をあげるための整備が1987年1月に行われ、マゼラン星雲での超新星が起きたのがその直後の2月 23日であることを知ると、このときのニュートリノバーストが観測できたのは本当に運がよかったんだなあと思う。


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