Sunday, August 12, 2001

ログ39('01 08/11~08/30)

08/30(thu) lookin' for da shoes there?

○頭が痛い。体が熱い。病気であってほしいと願っているがわからない。なにもこんなときにこないでほしいと思う。多分要求したのは僕の表象で、嘘つきは機会をうかがっていたんだ。早く夜が明けてほしいけどまだ5時前。手首が焼けるように熱い。とどまろうとしない偶像と破壊される心臓が今越えようとする鏡はどこにある? ああそうだ安全ピンを買ってきてしまったのがいけなかったんだ。買わなければよかったどこを探しても売ってなかったのにこんなときに見つかるなんて決められているのは僕の視神経。鼻が少しだけ痛い。でも慣れてるから力加減は大丈夫。じーっと下をむいて手の平にためてそれで手を洗う。生暖かくて少し匂う懐かしい。それから顔を洗ってみた。鏡に映る自分の顔がちょっと面白くってくすくす笑っちゃったよ俺って変な顔ー コップに貯めておいて冷蔵庫で保存しようかと思ったけど変態っぽいからやめておいた。鍵がない鍵がない鍵をかけなくちゃ鍵をかけなくちゃ。眠れ僕の中にある13の不可分的形態素。今はまだ生きなくちゃいけない。遠のく意識を起こしたいなら手首に噛みついて食いちぎれ。痛い痛い痛い君がいないいないいない

08/29(wed)

○今日は日記を書くつもりなかったんだけど、まあ暇だし書いておこうかな。昨日は結局Sとお茶をした。ホントは飯を食うつもりだったんだけど俺が一人で食い終わった瞬間電話してきやがったもんだから。中野まで行ってサンプラザの前の雨に濡れたテラスでスタバで買ったコーヒー飲みながら適当な話をしてた。ちょっと肌寒かったかな。とくに何を話したと言うわけでもないが二人とも性格が悪いから(笑)人の悪口ばっかり。でも俺よかSのほうが性格悪い。奴は部屋が汚いから泊めてやれないって言ってたけど、俺が泊まるつもりだったら強引に泊まります。俺が泊まらなかったのは体調が悪かったからなのだ。最後のほう無口になってスマン。吐きそうだったんだ。 帰ってきてからE嬢と少し電話して、その後寝てから明け方に行動開始。つっても朝7時くらいまでずっと相対性理論の証明にはまってただけですが。ちなみに数学も物理もまったくできません。一生懸命頭を捻ってたんですけどどうしても解けなかった。やっぱ今の俺じゃ無理かー。ちょっと悔しい。解いてるとすぐに無限の概念がでてきちゃってそれがネックになるから、逆に無限を定数にしてそこから式を組み上げていけばいけないかなーと思うんだけど、漸近値の取り方とか知らないからな。チキショ。部屋中に数式が書かれた紙が散乱してるのがちょっとかっこいい(笑

○Sも勘違いしているらしいが、僕はこの日記でほとんど嘘を書いていない。僕が抱いたって書いたなら抱いたんだし(刺)、オナニーしたって書いたならオナニーしたんです。このHPは現在カウンタ付けてないからヒット数気にする必要がないし、僕は優れた文章を書くような文筆力は持っていない(分泌力はあるけど)。だからとりあえず生の俺を置いちゃってそれで勝負かけれないかなーなんて思ってるからできる限り素のままでいこうというのが理念です。理念の結果がE嬢曰くオナニー日記なんですが(笑

○昨日家を出るときに自転車に乗って立ち漕ぎしかけた瞬間いきなりチェーンが切れた。またコケましたよええ。この近くに自転車屋ってないから困るんだけどなー。自転車屋だけじゃなく生活的な店舗がまったくないんだよな、この近辺って。だいたい2時間自転車で走りまくって靴屋がない街ってのはどうよ? けっきょく靴代にもらった金はあっという間に消えちまったよ。俺のせいじゃなくて街のせいだ。 アパートの前によく古本が捨てられているのだが、僕はつい毎回チェックしてしまうんだよね。まあ僕も特殊な趣味をしてるから欲しくなるような本は滅多に捨てられていないんだけど。ところが今回は京極夏彦の「狂骨の夢」と「絡新婦の理」があったんですよお嬢さん!いや、もちろん僕自身は読んでるのだけれども。とにかく新品同様の良品です。古本屋に持って行こうかとか思っちゃいましたがとってあります。欲しかったら誰かあげます。あと英和辞書もついてきた。辞書フェチの俺にはありがたい。

○今日はメチャクチャ歩かされて足が棒のようになっています。足はもともと棒状だと思いますけど。眼科行って学生科行って眼科行って学生科行って用事は終わらず諦めて歩いて高田馬場まで行って渋谷行ってバイト先まで歩いて往復してまた馬場から家まで徒歩。歩くのが好きな俺でもさすがにもう歩けん。歩けんなってアヴィケンナと似てない? この前いきなり頭の中に「ブドチンガ」って言葉が浮かんできて丸一日悩んじゃなったよ。仏図澄の別名じゃんねえ。半年経ってまだ覚えてる俺の記憶力はすごい。半年で忘れるなとかいうな。で、バイト先で給料もらってきました。5日間働いて35000円ナリ。交通費抜いたら30000円くらい。さすが時給850円。でも高校生の頃ってとくに時給なんて気にしないで働くってこと自体が楽しかったような気がする。今も労働自体は嫌いじゃないだけど(「労働と日々」はヘシオドスだったっけ?)お金に直結で換算している気がするなー どちらが悪いってことじゃあなくって、ただそうなったというだけだろう。

○というわけで小銭持ちになったので帰りにラーメン屋に寄ってきた。しかもチャーハン餃子セットで980円という超豪華版。今日は天下一品にしてきた。早稲田通りは古本屋とラーメン屋が多いことで有名だけど、お尻の型も良いと思いますが、じゃなくお知りの方もいると思いますが僕は食べるものにまったくこだわりを持たないので一回その店に入って悪くなければずっとそこにします。だから僕の選択肢は1.一風堂 2.天下一品のどちらか。両方ともメジャーで勝負店じゃない。一風堂もいいんだけど、今日は超こってりラーメンが食いたかったので天下一品にしたのだ。腹いっぱい食した俺は店を出ると古本屋に向かい、久しぶりにエロ本を買ってしまった....だあぁぁぁぁぁ エロ本とエロマンガの2冊。マンガのほうはけっこう当たりだったけどエロ本は少し外した。抜き所が少ない。食いものは同じものでいいくせにエロ本はつい真新しいものを求めてしまうから失敗するんだな(笑 だいたい制服が少ないってのがまずだめだ。制服大好き。女子高生に対する採点が激甘です。

○帰って抜いてたらいきなりチャイムが。焦りました。マンガなんかでよくびくっとした瞬間にイクってのがありますが、あれってないと思うな。焦ったら普通萎えるよ。というわけで慌ててズボンあげて(焦ってチャックに皮を挟んでしまうような愚か者ではないのでそこだけは慎重に)本隠して応対に出ると、新聞の勧誘でした....怒。読売なんて死んでもとらねーぞばかやろー。と言いたいところですが常識人沖野は丁寧にお断りしました。よくさー勧誘でもダイレクトコールでも切れて断ればかっこいいと思ってる奴がいるけどそれって俺的にはかっこ悪いなーと思う。丁寧に、でも誘いには乗らず相手の気持ちも損なわずしかも時間はそんなにとられないで断るってのがかっこいいと思う。もちろんガキにはできないテクニックだけど。だいたい相手はバイトなんだからそこでムキになって怒る方がださいよね。ティッシュ配りとかもちょっと会釈して受け取らないってくらいのことすればいいのに。変にスカした奴に限って無視したりするんだよな。相手も人間だぞこのやろう。とりあえず栓抜きと名刺だけもらって期待を抱かせつつバイバイしました。栓抜きはちょうど買おうかなーと思っていたのでとても嬉しいです。GIANTSボールペンは要らないけど(笑 これでも一応ドラゴンズファンやっちゅーねん(今年度1試合も勝敗聞いたことないけど) そのあとゆっくりと心行くまでオナニーを堪能しました☆ 明日は部屋でゆっくりしてるつもりです。ちょいとまだ体調が万全じゃないので。

08/28(tue)

○お金払ってあったコンタクトを取りにいったら夏休み期間中は17時で閉店とかいっててやってなかった。これだからCOOPは困るぜ。まあ明日にしよう。昨日は明け方まで「ハイデガーの思想」を読んでいた(昨日本の名前間違えてた) このごろ眠れないからまた昼前くらいに起きるかなーって思ってたんだけど実際起きたのは15時でした。E嬢からのメイルで。あなたの声を今すぐ聞きたいの!じゃなきゃ死んじゃうぅぅ~~って書いてあったので(多少誇張)電話をかけて少しお話をしました。とくになにをってわけでもなかったのですが。うーん、薬の値段を教えてもらったり(笑 EVERY TIME HAPPY WHEN I TALK WITH YOU JUST BECAUSE I CAN TOUCH YOU WITH MY WORDS, THOUGH WHICH CANNOT HAVE PRAGMATIC POWER.

○というわけで暇です。Sと飯を食おうかと思ったんだけど電話にでないし。Dの家にでも行こうかな。

○今学校のパソコンで日記を書いてるけど、ネットスケープコンポーザは使い慣れないのでやりにくい(汗 夏休み前まではフロントページエクスプレスが入ってたのになぜかなくなってて代わりにコンポーザになってた。別になんでもいいけど人が使ってるソフトなくさないでくれよう(泣 画像の貼り付けとかがいまいちやりにくいんだよなー ソースから書き直しても勝手に変な修正入れてくるし。まあこの機会にちょっと使いかた覚えるかな。学校で日記書いてると少しあせるのはまわりにいる奴がみんな異常にタッチタイプがうまいんだよな。俺なんか未だにキーボードちょこちょこ見ながら打ってるもんだからなんだかせかされる気分になってくる。そうすると打ち間違えて余計遅くなるし。ちくしょー

○僕は感情がないなんて冷たい人間じゃあないけど、同情とか共感って感情はかなり乏しいと思う。自分の中にある情熱とか想いはかなり熱くてたまに神経が切れてグラスが宙を舞ってしまったりするけど、他者への志向は極度に薄くなる。恋愛みたいに自分から興味を持ってる人間には情を覚えるけど、それ以外の人が何を言おうとしようと少しも感情を触発されることはない。例え死んでもね。僕は今までに大切な人を3度失ったことがある。小学校、中学校、フリーター時代に。でもそのうち一度も泣いたことがないし、悲しいと思ったことさえない。死んでほしくなかったかという問いさえも今じゃなんとも答えられない。興味がないからだ。僕が彼らについてもっている情報はそのときまでのもので、それ以上の情報がない以上生きていてほしかったという言葉はなんだか意味がないような気がする。そういうわけもあって僕はあまりここで彼らのうちの一人について話そうとしない。ほのめかすことはあってもね。それでもし人に「私も好き」とか言われても僕には答えられないし。あとの二人は同級生と先輩。彼らに対するそのときの思いの強さやいろいろなことから考えて、多分僕は今この瞬間携帯電話に兄弟から電話がかかってきて両親が事故で死んだと言われても無反応だろうと思う。きっと今東北地方にいるからなんて嘘をついて帰るのは明日にしたりするんじゃないかな。そんな人間のはずなのにコンビニでバイトしていたとき、外から音が聞こえてきて出てみたら道路で猫が轢かれていた。抱き上げて道の端に寄せるとき彼はまだ鳴いていて、流れてる血は温かかった。それもすぐに息絶えてしまって、僕は大泣きしてしまった。あの夜僕は何に泣いたんだろう? 多分僕は恋愛感情以外には人へ情を持たない。恋愛対象ではない人間は僕にとって人間ではなく情報の塊にすぎない、とはいっても普通、人は人を情報の塊として捉えることが通弊ではあるけれども。僕は狂ってはいない、ただ少しずれてるだけ、きっと生きていける。頭の中で鳴り響くメロディアスな言葉たち。数年前は「焦燥と不安」去年は「身体性の欠如」今は「佯狂の精神」 自己の感情を対象にしたとき精神は際限のない輪を生み出し、自己の言葉を対象にした意識はパラドキシカルな嘘をつく。僕はきっと生きていける。今、生きているならば。kiss machine kill machine still machine

○このままどっか行くか、それとも一回帰ってオナニーするかで悩み中。さっきしてきたから別にしなくてもいいんだけどさ。

08/27 ナハト・ムジーク

○家庭教師してきました。宿題まったくやってなかったらどうしようと思ったんだけど、いい感じにやってあってしかも間違えまくってくれてるという非常にやりやすい生徒です。全部あってたら先に進まなくちゃいけないからね。というわけで今日もコツコツ1年生の復習です。2xで、xが2のときの値をわからないと言われたときは多少逃げ出したくなりましたが大丈夫です。終わるまでには方程式理解してくれたしね。つーか僕は高校中退で高校のときまったく勉強してないので数学は中学校で止まってます。実は未だに塩分濃度の問題解けません(笑 (50%の食塩水200グラムに水Xグラムを加えたら30%になりました、さてXはいくつでしょう?なんて問題) 僕の高校時代の数学の思い出と言えば司くらいだなあ(笑<内輪ネタ 司とは名東高校伝説の数学教師で、そのテストの難解さはなにものをも寄せつけず、授業の厳しさは生徒を震撼させたものです。あるものは余所見をしたと怒鳴られ、あるものは筆箱を落とし怒鳴られ、あるものは頬杖をはたかれ、あるものはネクタイが曲がってると怒鳴られ(俺)、あるものはルーズリーフをパチンとしたらうるさいと怒鳴られたという偏執狂じゃないかと思えるような教師でした。その司の授業の合間を縫って開発された秘技こそがシャーペン回し、ツカサなのです(開発者、S(笑 ) 今でもできます。 そんなわけで家庭教師代をもらってきました。2回で5000円ナリ~(交・別)

○いっつも言語学ばかりじゃつまらないので久しぶりに哲学関係に手を出そうということで木田元の「ハイデガー入門」を読んでます。Dにもらった本だったっけな?そういえば木田元と言えばDの行ってる大学の教授だな。哲学だけじゃなくて言語学にも造詣が深くてソシュール小事典の著者の一人でもあるね。そんなわけでまったく言語学と関係のない本というわけでもなさそうだ。というか、初っ端でいきなりハイデガーとウィトゲンシュタインを関連させてるし(笑 Dはつまらなかったと言ってたけど、ちょっと面白そうな予感です。

○友達の家の電話にかけようとして暗記してた番号をテコテコって押してかけたら使われておりませんコールされた。家電だからそんなはずはないんだけどなって思って手帳で調べてみたら番号がちょっと違った。単なるかけ間違い。でもなんか僕の頭にはスラスラと間違った方が出てきたし、言いやすいんだよね。そのことをずーっと考えていてさっきわかりました。円周率の一部分と似てるんだ。僕はギネスなんかに出てるように数万桁、なんてのは覚えてないけど数十桁くらいなら記憶してるからね。しかも文字記憶じゃなくて音声記憶だからリズムになってるんだよね。だからごっちゃになっちゃってるんだろう。僕はこういう無意味なちょっとした記憶ってのが好きで、車のナンバとか覚えたりしてます(未だに一度も殺人事件の解決に役立ったことはないが) とくに多いのは人名をフルネームで覚えるってこと。歴史的人物も自分の勉強に出てくる人物もだいたいフルネームで記憶しようとする。ピカソのは覚えてませんが。パブロ・ピカソだけで許せ。意識的に覚えてる人もいるけどけっこう無意識的に覚えちゃうなあ。ルソーなんて興味まったくないのにジャン・ジャック・ルソーだしジャック・ラカンとジャック・デリダでジャック繋がりだし(笑 こういうこまめなことしては頭を活動させてるんですけどそれでもやはり記憶力は低下していくね。最近どの話を誰にしたかってことを忘れてしまって「この話ってしたっけ?」って聞いてしまう。前だったら絶対誰にどの話をしてどういう嘘を言ってるかまで全部覚えていたのに。だからこの頃は怖くて嘘がつけないね。すぐばれてしまいそうで。今22だからあと数年でもっとがくっとくるだろうからそれまでに食えるだけ知識を食っておこう。

○年寄り臭いけど、携帯テレビインターネットは人間を馬鹿にする三種の神器だと本気で思っています。僕はテレビはないけど携帯とインターネットは人並以上に使ってるかな。全部頭を使う必要がない、またはレヴェルの低い情報しか扱っていないという特徴を持つ機器たちです。使う分だけ思考の時間を減らして脳のスキルをダウンさせていくんだよねこれが。とくにテレビとインターネットは情報の質と取り扱い方に問題がある。僕はテレビのような金の流れと引っ付いた情報は信用しないし、インターネットのような無料の情報は信用しない。自分で金と時間をかけて得た情報だけを信用している。2chなんてもってのほかです(笑 Gが2ch好きでよく見てるんだけど、俺には時間の無駄にしか思えないなー かくいう俺もいろいろネットで遊んでるわけで人のことは言えないけど、ネットしてないって人や携帯持ってないって人を見るとかっこいいなーって思います。俺もネットやめて携帯解約しようかなー 携帯やネットしてるとどうしても余計なニュースを知ってしまうんだよね。例えばスマップの誰か(俺が名前を知らないメンバ)が事故ったとか浜崎あゆみに彼氏(ジャニーズの誰からしい)がいるとかね。修行が足りませんな。

○明日は家でずっとごろごろしてる予定。

08/27(mon) たまには日記を書いてみよう。

○今日は05:30に起床して活動開始。といってもバイトもないんだけどね。夕方から家庭教師があるだけ。昨日は朝から晩までバイトで机やらパネルやらを運んでました。めちゃ作業員。腕も体も細いのでものを渡されるとき大丈夫?とか聞かれることがありますが平均以上の働きはしますよ。今までのバイトのほとんどが肉体労働なんだから。とにかくそういうわけでとっても疲れてるはずなんだけど目が覚めちゃった。だから午前中はまず学校に久しぶりに行って掲示板を確認してきた。とくに真新しい情報はなかったけど進級についていくつかメモ。僕の通ってる文学部は2年になるときに専修(学科みたいなもの)が決まるので気をつけてないとわけのわからない専修に飛ばされかねない。言語学をやるためには人文専修というところに行くのが一番いいんだけど、人気高いんだよなー 哲学は一次希望で出せば通るけど、ただし二次には残らない。だから人文に出して蹴られた場合は哲学に入れず残りものコース。英文学か仏文には絶対入れるからまだいいんだけど。最近ちょっと仏文やろうかなーって思ってます。なんでかは今は内緒だけど、ちょっと人生の小さめ目標を達成するのに仏語が必要なんだ。まあどうにでもならあな。進級さえできればな。 午後はコンタクトレンズを買いに行った。ホントは午前中に行こうとしたんだけど銀行にお金がなくて諦めたのでした。バイトの給料はあさってだしなー ということで実家に電話をかけて援助を頼む。郵便局に家賃分が入ってるからそこからおろせってさ。ラッキ☆ 久しぶりにコンタクトレンズつけると違和感バリバリ。使い捨てなのにな。というか僕はハードもソフトも合わないから普段メガネをしてるんだけど。しかし9月にライブに行く予定だからどうしてもほしかったのだ。乱視の矯正はソフトじゃできないからかなり視界がぶれててみにくいがしかたあるまい。しかしメガネをやめてコンタクトにするとかっこよくなってしまうではないか(笑 友人にたまにメガネを外したほうがいいよと言われていたので意固地になっていたのだ。こっちのほうがいいって言われるとしたくなくなる。まあでも使い捨てだから好きなときに使えばいいわけで、多分学校にはしていかないだろう。 そうそうそれと名刺を作ってきた。といっても赤や青の台紙にカラフルに書かれた文字があるようなおしゃれなものではなく白地に黒字でっていうめちゃくちゃ事務的なやつです。つーか前からずっと同じデザインだけどね。とりあえず前はフリーランス(笑)だったけど今は所属があるからそれを入れておいて、URLとメルアドも新しく。携帯番号も一応いれおいてみた。「言語学、言語哲学専攻」ってのを英語で書きたかったんだけど言語哲学の英語がわからない。なので linguistic philosophy にしておいた。多分あってるだろう。違ったらまあそれまでだ。ちなみに僕はまだ所属の専修がないわけで、言語学専攻ってのは嘘です。ま、個人的専攻ってことで。 今17:15で、もうすぐ家庭教師に行ってきます。日記をアップするのは日付が変わってからになりそうだな。

○とりあえず僕は言語学をやろうとしていて、自分では誰よりも言語に対する直観があると思い込んでいる。あと洞察力と論理構成力もけっこういけてるほうじゃないかな。でもなんといっても今現在あまりにも知識の方が貧困過ぎる。音声学、音韻論はまったくやってないし生成文法は適当だし、現在のコーパス言語学やXバー理論なんてさっぱり。哲学も同じでかなり限られた範囲しか知らない。今はまだ大学1年生なんだからいいじゃないと言ってくれる人もいますけど、僕はなんでもいいから早く戦いたい。4年間学部で院に5年とかいてそっから助手....なんて遅すぎるね。目標としては学部卒までにはいっぱしになりたい。そのときもう25歳なわけだから、けっして早過ぎる年齢じゃない。じゃなきゃ30までに世界範囲で通用しない。そんなことをけっこう本気で考えてるから、もうちょい駆け足になってみようかと思うのでした。

○でもオナニーは一日2回した。しかも昼間から。

08/26(sun)

○ただいま日曜日の午前4時過ぎ、空がまだ明るくなってもいない時間です。睡眠時間1時間。朝の8時からバイトです。え、もしかして不眠症って奴?意図的に寝ないことはあっても眠れないって経験はそんなにないので戸惑い気味です☆ 砂男に眠らされたいなあ。ちなみに砂男ってのはドイツの昔話に出てくる妖怪の名前で、砂をかけて人を眠らせるという特技を持っているのですが、僕はドラえもんでその話を知ってるだけなので真偽には問題が多少あります。ホフマンの砂男とはどれくらい関連があるんだろう? 眠れない朝は何を思えばいいのだろうか。分散する身体と矛盾した感情 確固とした認識の実現はアンビヴァレンスな世界を彩る極上のシャンパンで 弛緩した身体を犯すわたしの脳髄は共同主観的な嘘をつけなくて 夜と昼の仮装的ダンス 今夜もあなたはわたしのまぶたを踊る

○カップ焼きそばとトマトサラダを食べました。サラダは昨日食べようと思って作ってあったものが残ってたので。これぞまさに朝飯前。もちろん6時過ぎたくらいに朝ご飯も食べるつもりです。カップ焼きそばのお湯を流しに流してるとき麺も一緒に流しそうになるというベタなことをしそうになりましたが、ちょっとだけだったのでよかった。もし全流ししてたら悲しくて泣いちゃうところでした。けっこうそういうわけのわからんことでホントに泣きます。お気に入りのシャーペンをなくしちゃったときとかね。ちょっとしたことってのに弱い。逆に幸福感もちょっとしたことってのに感じることが多いですが。例えばそうですね、起きたときに台所で女の子が裸エプロンで朝ご飯作ってるとか(萌 ただし僕が人より遅くまで寝てることってのはめったにないですが。寝顔を見届けて朝の寝惚けまなこも見てしまう方です。いやがられそうですが。

○寄生獣の中に何巻か忘れたけど健一がクラスの女の子からノートを借りて、その女の子が1000円を請求するってシーンがあったんだよね。たまに思い出しては悩むんですが、この場面って寄生獣の話のなかでめちゃくちゃ浮いてる。ストーリーに関与しないもいいとこだし、しかもまったく面白くもなんともない。この違和感はなんなんだろう、例えばミステリィ小説の中に登場人物が全員揃って晩餐を開く場面があったのに、なにも起こらず終わってしかも話の最後までそのことが取り上げられることがなかったというような感じでしょうか。作者の岩国均はなにを思ってあの場面を描いたのだろうか? めったにはないことだけど小説やマンガを読んでるとたまにそういう場面に出くわすことがある。僕はもう気持ち悪くてしかたがない。そういう意味のない(わからない)言葉は僕の中に取りこめない。それとも僕がわかってないだけで、あれはごく一般的な書き方なのだろうか?高校の3年生で教えたりする表現法で、僕が中退したから知らないだけなのだろうか? 多分僕の妄想なんだろうけど、でもやっぱりそうなんじゃないかって思うときもある。僕には言葉がわからない。言葉の意味がなにかってわからない。言葉の用法がわからない。なんでみんなあんなにうまく使うことができるんだろう。僕だけなんで除外されてるんだろう。僕はなんで一人なんだろう。

○電車の中や店でご飯を食べてるとき、教室で授業を待ってるときとか隣で話をしてる声が突然音に変わることがある。初めてそれを経験したのは1年くらいまえだったかな。地下鉄に乗ってDとの待ち合わせに向かってるとき前に座ってる女性二人が僕の知らない言葉を話してるんだよね。外見は見たところ東洋系だから最初は韓国語か中国語かと思ったんだけど、どうも抑揚が違う。それからちょっとじーっと聞いてたんだけど、ちょっとしてから気が付いて驚いたんだ。始めからその二人は日本語を話してたんだよね。きっと言葉が意味を持たないで現前化するってのはこのことだと思う。僕はこの実体験があるから部分的にソシュールを否定するんだけど。それ以来たまにこの現象は起きる。声がぐにゃって曲がり始めて意味が消えて僕の耳には連続的な音だけが届く。意味がわからない。僕の周りには言葉がいっぱいだ。だけど僕には意味がわからない。ただ一つ助けは今のところ文字においてはこの現象が起きていないことだ。もしも目の前にある文字すべてが模様に見えてきたら僕は思考を停止してしまうだろう。文字が画面いっぱいにでてると、漢字の多い部分や隙間の繋がりなんかを線化して絵のように見るって遊びをたまにするんだけど、これも自己の言葉を守るためにこれからはあまりしないようにしよう。

08/24(fri)

○昨日はコンサートスタッフのバイトでした。アーティストは THE ALFEE です。といっても会場の警備とかではなくステージの設営作業。僕は名古屋にいるときこんなバイトをずっとしてたので仕事自体は慣れたものです。つーかアルフィーのコンサートが東海地区であるときはいつも行ってたしね。僕がアルフィーを好きだからとかではなく、彼らのステージは異常に大変なのでみんなチーフをやりたがらないので俺にお鉢がまわってきたんです。ということでアルフィー専属スタッフには知り合いが多いので昨日も仕事を回されまくりました。俺は単なる人材派遣のバイトやっちゅーねん。髪を切って黒くしててもわかるもんなんだねえ。しかし今回のステージはいつもにもまして大掛かりなものでさすがの俺もへばりました。始めてから数回しかやったことのないバイトがこんな重労働をしゃきしゃきできるはずもなく、バイトの動きがあまりにも鈍いのでスタッフから声を出させろと俺に文句が何回もきた。だーかーらー俺はチーフでもなんでもない外注のバイトやねん。俺が仕切るわけにはいかんのやって(汗 でも全体的に言えることじゃないと思うけど、こっちのコンサートスタッフのバイト管理ってすっげー適当。指示する奴がいないしミーティングはほとんどないしその結果みんなだらだらーって。名古屋でやってたときは声も出せないバイトは殴って給料なしで帰してたんけどね。ひさしぶりにコンサートスタッフをやったもんでちょっと熱くなっちゃったけど、まあ俺もずっとやるわけでもなく今だけだから特になにも言わず適当に指示するだけにしておきました。

○ほとんど寝てないわりには意外とちゃんと働けたなあ。帰ってきてからもすぐに寝たわけではなく、シャワー浴びて友達と電話したりして寝たのは結局4時過ぎくらい。そっから12時間くらい寝たけど。今日の夜Sの家に遊びに行こうかと思ったけど明日午後から塾講師の面接があるからやめておいた。来週はちょっとばかし楽しんでて、9月に入ったら前半は夏季講習だから当分遊びに行くのは無理かな。まあ今度ちょっと茶でも飲むベえ>S

○某N嬢に君って人のこと心配しないでしょうと言われた。うひゃひゃひゃひゃ。まーさーにーその通り。他人のことなんてぼかぁちいとも気にかけないね。自分が楽しめるかどうかしか問題じゃないから他人に相談されると困ります。だって僕は少しも困ってないんだもん。だから適当にお茶を濁すようなうだうだとした返事やそれであってるとか君の言う通りだとかなんでもかんでも肯定しちゃうようなことしか言いません。わざわざつっこんでもうっとうしい話がさらに長くなるだけだもーん。ところがそうやって俺に相談しようなんて相談相手を間違えた人たちは僕の返答の意味も間違えちゃうみたいで僕が彼らを認めてるなんて思いこむんだよね。俺は否定はしないが認めるつもりもないねん。ようはかかわりたくないだけなんやって(笑 俺が相談されて本気で心配する相手なんて数人だけだぜ。逆に僕はまったく人に相談しないけどね。自分でなんでも決める。結果だけ伝えるからなんで先に言わないのかって怒られることも多々ありますがそういう性格なので仕方がない。俺が相談するとしたら、相談と言う行為そのものが目的になってるときだけだね。具体的な例は僕の話法をばらすことになるので言いませんが(笑

○1万人が1万円札を持っていたら 10000 × 10000 = 1,0000,0000 で1億円だよね。でも 10000 × 10000 = 1,0000,0000 はなんで1億人と解釈されないんだろう? 200ml容量のグラスでジュースを2杯飲んだら 200 × 2 = 400 で400ml飲んだことになる。でもなんで400杯飲んだことにはならないんだろう? リンゴ5個とシマウマ3頭足したらいくつ? 数式はあらゆる抽象の形式である。数字はあらゆる意味で意味を持たない。それは意味0の記号であり、人は成される式の外形として意味を付与する。卑俗な言い方をするならば、単位は意味であると言ってもいいだろう。我々はメニング(言語以前の世界)を分類しそこに同一性を形作りながら世界を構成していく。その要素こそが単位であり、人はその頭の中に具体的要素として単位を持つのである。

○昨日の日記の丸山批判は的外れだとわかりました。アップしてないから消しちゃうこともできるんだけど、まあせっかくだからそのまま残します。また考えがまとまったらもっかい書きなおすことにして。それから「動態」の訳語も dynamics なのでちょっとタームの使い方が間違ってますね。でも僕的には力動性と動態はまったく違う概念なんだけどなあ。でもソシュールが同じとして使っている以上使い方には気をつけなくては。

○風邪をひいたときには汗を流した方がいい、そのためには運動をしよう、部屋の中でできて楽しいやつを、ということでえっちをするってマンガを読んだことがありますが、一見一理あるような気がするんだよなー。ぜひ試してみたいところです。熱くてよさそうじゃんねえ(笑<変態 熱くて良いといえば生理のときもそうですな。でも風邪のときにはもう一つオプションが付くらしいんです。せきやくしゃみのときに締まるって本当なのだろうか?(笑 精子が高蛋白で風邪にいいってのはどうもうそ臭いですが(うそ臭いもへったくれもあるか) しかし残念ながら今日は起きてから今までに2回オナニーをしちゃったのでもうあんまり出そうにないですね。寝る前にもしたような気がしますが記憶にありません。

○少し前に電車の吊り広告で見たんだけど、不思議の海のナディアのDVD版が出るらしいですね。ほーしーいー(笑 実はナディア好きだったりします。放送当時に全回見たと思います。小学校5年か6年のとき。個人的にはエヴァンゲリオンより面白いと思う。未だにオープニングテーマの1番を暗唱できるってのはやばいだろうか?(笑 まあドラえもんやサザエさんの曲を歌えるってのとそんなに変わらないか。ドラえもんはアジア的なヒット作品だけど、アメリカではあまり人気がないって話をしってるだろうか。かの国では、のび太はドラえもんの道具に頼ってばかりで人間の成長ができないしドラえもんもいじめにたいする抜本的対策を講じていないと捉えられるらしい。いや、僕もそう思うけど。ドラゴンボールの人気も国によって変わるし。フランスではドラゴンボールは人気だけど(でもヴァイオレンス指定だったっけ?)、代わりに課長島耕作(漢字知らん)はまったく人気がない。仕事をマンガにしてなにが面白いんだってことだろう。西欧では定年の人に対して贈る言葉がおめでとうだからね。僕はと言えば、魁!!クロマティ高校の2巻を買ってしまいました(笑 これで部屋にあるマンガが2冊になった。ちょっと多すぎるかな?

08/23(thu)

○ただいま午前5時、空もようよう明るくなっていっているところです。寝たのは1時。起きたのは2時半。08:00からバイトです。どーしよ。まったく眠れない。マジでこれ、やばいね。寝る前にしたせいだろうなー。最近心臓の動きがおかしくて血流が逆行してるような感じがする。頭の中をぐにゃぐにゃのパンセが通過する。茫洋とした観念と力動的な情動のダンス insomnia わたしは空を見上げ nymphomania あなたは月を眠る

○丸山圭三郎のソシュール解釈によればソシュールの「必然性と恣意性」の矛盾の問題は社会学的惰性と記号学的価値のコンテクストに分割することで解消するらしい。実際論理的にはその通りなんだけど、ソシュールが求めていたのはそういった解釈を超えた力動性 (dynamics) だったんじゃないかと思うんだよね。矛盾はそれ自身としての重要な意味を持つのにそれを消してしまったら言葉の根幹にある論理の破綻は見えてこない。もちろん丸山が全面的に間違っているとかそういうことではなく、丸山的解釈の後もう一度矛盾を矛盾のまま捉えてみる必要があると感じる。言葉の静態と動態にしても、二つのパースペクティヴを統一する観点を持つ必要がある。もちろんソシュールは「アルプスの展望をいくつもの視点から描く」ことを否定しているし、僕もそれは意味がないと思う。そうではなく一点の状態に方向性を見抜くこと、ベクトルを考察することが問題なんだと思う。それこそが力動性でもある。

○巨大な重力圏では空間も歪むっていうのが相対性理論の重要な結論でもあるけど、空間が歪むってよく考えるとわけわかんないよね。空間の上の直線(例えば光)は空間が歪んでも曲線になるわけでもなく直線のまま。言葉で言えば次元が歪んでるって簡単に言えちゃうけど、問題はそんなところにはない。例えば僕らがその重力圏にいても歪みに気付くことはできない。それは外側から観察したとき、僕らの頭の中にある抽象的な理想状態としての空間観念とのずれとして表れる表象でしかない。僕らの視点がなければ空間は歪まない。いや、歪んでいるのは僕らの認識の方だ。曲がらない光を曲げてしまうのは重力ではなく僕らの言葉....

○夢を見た。僕は戦車に乗っていて、同乗者と一緒に逃げ回る人間達を殺していく。でもそれは皆殺しではなかった。僕は殺す対象を分けていた。殺していたのも殺さなかったのも東洋系の顔つきだったから、日本人を見逃して韓国の人か中国の人(または両方)を殺していたというのが合理的な解釈だろう。僕の中には、殺人という行為に対する嫌悪感はあっても差別ということに対する嫌悪感はなかった。頭の中にあったのは業務の遂行ということだけ。僕は詳しくは知らない、だから語る権利も持っていない、それでも単なる臆測を語るならばナチス(僕は旧ドイツ軍と言ってるけど)を支持し従軍した戦士も同様の感覚だったのではないだろうか? 人の感覚はどうしようもなく慣れてしまう、現実を受けとめてしまう。ナチスは非日常的な場所にあることではない。それは日常の連続に過ぎないのだと思う。虐殺を繰り返した日本兵にしても特殊な人々であったのではないだろう。結局僕らは今を視点にして語っているだけだ。僕らもまた虐殺者となにか隔たりがあるわけではない。そのことをちょっと自覚してみようと思った。

○お前が部屋を掃除するのは髪の毛が落ちてると困るからだろというありがたいお言葉をちょうだいしました。本気でありがたいと思ってますよ。なにがって、僕は単純に掃除が好きなだけなのに今までそうやって解釈されてたなら言い訳しないといけないじゃないですか。僕の部屋が整頓されているのはキレイ好きだからです。他の理由はありません。誤解しないでください。僕も前は髪の毛がアレだったので部屋に行く度に次の日くらい電話で文句を言われたものですが。それは不可抗力なんだけど、わざとピアスを残していくっていうのもしたことがありますね。乙女チックでしょ(笑 相手の彼氏に見せるためっていうよりは、それを口実にもう一回会うためでしたけどね。誤解してる人間が多いようなので言っておきますが、僕の恋愛の基本はこういう感じですよ?(笑

○さて、バイト行ってきます。エスカップでも買っていくかな。

08/21(tue) cheeseはどこに消えた?

○E嬢のHPが閉鎖になっちゃったみたいだね。日記面白かったのにちと残念。また再開したら教えてねー>E嬢 お礼に僕をあげるからさー リボンで結んでこれを君にプレゼントします!って感じで(以下妄想につき略)

○今日の晩ご飯はサラダ、冷や麦、ワカメスープでした。カロリーがありません(笑 一日三食とってるんだけど、成人男性標準の2000kcalいってるのかな。....計算してみたら1320kcalだった。そりゃあばらも浮くわ。ということでポテチとコーラを摂取して不足分のカロリーを補っています。これは健康指向になるのかならないのか?(笑

○明日は有明ビッグサイトでバイトです。車の展示会の準備らしいですが。きっと会場は 有明や 兵どもが 夢の跡 みたいな雰囲気を出してるんでしょうね。僕は行きませんでしたが。冬は暇があったら行ってみようかな。

○今日は気分が乗らないのでオナニーは2回だけにしておきました。

08/21(tue)

○野菜をスライスしてたら指もスライスしちゃいました。ちょっと切っただけだけどね。僕はめちゃくちゃ不器用だからすぐにけがをしたり物を壊しちゃうんだよね。コンビニでバイトしてたときクラッシャーの名を冠されたことがあるくらいです。洗い物してるとすぐに割るし。やることは几帳面なくせにやり方は大雑把というよくわからん性格してます。部屋の中はかなり整理整頓されてるけどね。だいたいの男の部屋よりはキレイな自信がある。暇だと掃除してるし週に一回大掃除するから。この前Sに電話かけたら部屋が汚いって言ってたけど、奴だけは俺の部屋よりもキレイかもしれん。

○昨日くらいから日記を書く気がまったく失せてる。僕は意欲をもって書いてたから、それがない以上書くということは必然的に滞らざるを得ない。僕の中を占めてる思考を今ここに書くことはできないし、僕の中には今それしかない。フィルタをかけて書くこともできるし、書こうとする衝動がないことはないんだけど、今までの経験からそれがどういう結果を導くかはわかっている。言葉は言葉にした瞬間から現実へと変化しはじめるのである。その現実とは思念的現実のことだけど。だから僕は言葉にしないで胸に秘めることにする。言葉はあらゆる思考を加速する。現実世界を持たない思考は抑制を欠き、それは崩壊へと向かうだろう。なにも言わないで今は 幕が開くまであと少し

○自分の日記を書く気がしないのでリンク集に書評を引っ付けておいた。クフ。

08/20 night version

○家庭教師行ってきました。特に問題なく仲良くやりましたよ。内申書が1とか2ばっかりの割りには意外と授業の内容わかってるみたいでちょっとびっくり。僕も少し予習しないと危ない(笑 とりあえず今週はウォームアップということで宿題だけ指示してあとは適当に話をしてた。まあ普通の中学生ですね。これでもかっていうくらいできない!なんて生徒を少し期待してたのですが。でもやっぱりできれば塾講師がやりたいなー Dが塾講をやってるらしい。俺的には爆笑もんなんだが。あのDがだぜ。俺より似合わねーだろ。 そういや5年前くらいのプリクラがでてきて、Dが緑色の髪をしている(笑 これをネタに恐喝してやろう。

○竹夫人って知ってますか?「ちくふじん」と読みます。広辞苑で引くと「夏に涼を取るために抱いて寝る竹籠。だきかご。」と書いてあります。だきかごのことを竹夫人て呼ぶなんて面白いジョークのように思えますが、次に「ダッチワイフ」を広辞苑で引くと「1.代用女性人形。男性の自慰用 2.竹夫人(ちくふじん)のこと。」となっています。ようはダッチワイフなんじゃん! ダッチワイフがとっても欲しかった時期がありますが、あれってどう考えても場所をとるので断念しました。空気式のはなんだか味気ない気がするし。 今日は昼間にオナっただけど、1回か2回か記憶が曖昧です。こんな生活を送っているせいでゴミ箱がいつもティッシュで山盛りだね。

○言葉の第一義の目的はなんだろうか。自己表出性と指示表出性の二つが考えられるけど、前者が表現することを目的とするもので後者は伝達を目的としている、と言える。僕はもともと指示表出性が第一義だと思っている。羽尻さんなんかは表現のほうだと思ってるらしいけどね。でも今はどちらが本質的かなんてことはどうでもいい。大事なのは伝達すること。僕の意識と存在は直接飛んでいくことができない。だから僕は言葉を使って感情を伝えなくちゃあいけない。言葉の多義性も、統語構造も、二重文節も今はいらない。ただ一意的に君に届く言葉が欲しい。僕には言葉しかなくて、僕には言葉しかなくて。目を閉じた君の顔が見えなくて、口を閉じた君の横顔が見たくて。僕は海の中を浮きあがっているのか沈んでいるのか。君の声が聞きたい。

08/20(mon) 読みきれる?

○いつも「○」を書くとき「まる」を変換するんだけど、マルってソ連の言語学者の名前だからちょっとヤなんだよね(なんで?) 月刊言語の昔の(僕は最近のとか前のとか時間的に近い事象もつい昔の、と言ってしまうくせがあるけど(最近は注意してるので少ないけど)1972年のものとかなのでこれは昔といってもいいだろう)号を読んでると驚くほどレヴェルが低いんだよね。知識の欠如とともに論理構成の稚拙さを感じる。こういうのを見るとああやっぱり言語学っていうのはまだまだなんだなあって思うね。ソシュールの概念に対する根本的な誤解やチョムスキーを読んだことがないとしか思えない批判など。または原因と結果の反転。でも言語学にとって一番大事なのは直観だと思う。言語学という学問は言語を使って言語を考えるわけだから、道具としての言語に含まれる誤想もクリティークしないとそれこそマルみたいなことになってしまうとも限らない。ある意味言語を超えたところから言語を見ないといけない。ある文章を読んだときに降ってくる違和感や齟齬をもっと大切にしなくちゃいけないと思う。もちろんそれでも言葉に騙されることはあり得るのでこの自己批判は終えてはいけない行為だ。

○今日は朝5時過ぎまで最愛のE嬢と電話してた。一つ一つの言葉が suck me hack me lick me でも07:00に起床。そんで朝っぱらから日記書いてます。現在08:10。いつもはとんでもなく朝の行動が遅い僕だけどなぜか今日はとっても爽快な気分だね。ほらお日様がとっても微笑んでるよ!ってくらいの勢いで。今日は夜、家庭教師のバイトがあるので夜暇だったらそのことも書こうかな。

○東京に国立国語研究所なんてものがありますが、もちろん僕は大嫌いです。数千年、数万年前から存在してきた人間の究極をたかだか生まれて100年200年の近代国家概念が所有できるなんてまったく烏滸がましい。おこがましいくらい変換しろ>辞書。だいたい国語なんて概念がまずもってしてむかつきんちゃんだっつーの。ソシュールのラングの概念が社会的ラングと記号学的ラングに分けられることは今では常識だけど(俺的常識)、社会といってもそれは国家枠ということを少しも意味していない。それどころか言葉こそが一定集団を作り出しているのだ。日本語という「言葉」が日本を生み出したにもかかわらず日本が日本語を語ろうとしている。言語はその記述ができるだけだ。そこに少しでも統制を加えたりすることは言葉に対する冒涜、人間に対する冒涜だとすら思っている。しかも言葉を通じて国民意識の分離を規制しているのだ。国家大嫌い人間の僕は、言葉がそんなことに使われるのが許せない。言葉はそれ自体なのである。

○>おやすみ 08:35

もうちょっともうちょっと 意味のない君の悪と僕のレスポンス カラー漬けの世界の中で君とリファレンス魚 見えない他面体の裏側は内側をひっくり返して僕の舌でしばりあげろ そんな彩気な夢とアンビヴァレンスな指遣いが 揺れる言葉のあからさまな逆さま 手を伸ばしたらそこにいる固いmollusk キャハハハ

痛みもがくが故 認識する 存在の意味を
教えてくれと すがり叫ぶ 鏡の中のおのれ (DICE / hide)

08/19(sun)

○今日もバイトしてきた。でも別に特に面白いことがあったわけじゃないのでいいや。場所はお茶の水だったんだけど、お茶の水駅って降りるの初めてだね。夏休み中でお茶大の女の子がいるわけでもないのでどうでもいいんだけどさ。昨日今日のバイト代を計算してみてびっくり。6000円くらい。それこそお茶代にもなってないっての。今月は家庭教師を2回するから、それと合わせてなんとか生きていけるかなって感じ。そろそろ名刺を作ろうかなって思ってます。基本のデザインは今までと一緒だけど、メイルアドレスとかURLが変わっちゃったからね。

○「波のまにまに」という表現があるよね。ずっと前にもちょっと書いたことがあるんだけど、これは実は「波の間に間に」じゃないんだよね。辞書で「まにまに」を引くと「そのままに任せるさま」となっています。ちなみに漢字は「随に」。これってほとんどの人が「間に間に」だと思ってるんじゃないかなあ。だってまにまになんて普段は使わないし、出てくる状況としては「波のまにまに」がほとんどでしょ。波って言葉が出てきたらどうしても波間のことだと思っちゃうよね。ともかく辞書的な定義でいうならば「君のまにまに」とは言えても「君の胸のまにまに」とは言えないわけです。胸のまにまに漂わせてみたいところですが。

○1年ちょっとくらい前から、たまにちんちんの付け根くらいのところにニキビができるようになっちゃいました。それも、この年になると顔にできるニキビって小さなものがたまにって感じになるにもかかわらずでっかいのができます。まあ数ヶ月に一回くらいなんだけどね。なんでか知らないけどいっつも同じ場所にできるんだよなあ。白い液体を吐くところはちんちんの本来の機能と一緒なんだけどね。さっきつぶした。

○そうそう、今日のバイトは、イスを会社のオフィスに搬入するってものだったんだけどさ、発泡スチロールやダンボールで梱包されてるからそれを俺達が外すわけさ。で、発泡スチロールを止めてるものが輪ゴムだったんだけど、それが普通のものよりかなり大きくてね。最初は「ふーん、こんな大きい輪ゴムもあるんだー」って思ってただけなんだけど、閃いちゃいましたよ僕は。これ、縛るのによさそう!なんてグッドアイデーア、俺。あざが付かず且つきつく縛れるという超スグレモノです。というわけで二つほど内緒で頂いてきちゃいました。早く使いたーい(笑 僕個人としてはあざが付いたほうが興奮するじゃん!とか思うんだけど、キスマークと同じで怒られちゃいますからね。ウフウフ。

08/18(sat)

○もうすぐ日付が変わる。9月まで残り13日。あと少しだ。 舞台に移る幻影は心を鎖した人形達の群れ 彼らの膠着した環状と目が踊る世の月 ほら咲夜の夢は今夜咲く みてみて頭のとれた九官鳥 走る蟻のことばはいつまでたっても届かない それを二つの屋根と一つのベッドに重ねて僕らは今を眠る

○僕とは誰か?という問いはデカルトの「コギト」に端を発するものだと言うことができるだろう(違うかもしれないケドね)。デカルトが方法的懐疑を通じて得た一つの解答は他の何物をも疑い得るとしてもそう考えている自己の存在だけは疑い得ないということだった。しかし、ではその疑い得ない存在としての僕(僕だよ)とは一体誰のことなのか? 永井均の<私>に「象徴」されるようにこのことは現代哲学の一つの大きな問題である。しかし僕はこれを誤解だと思っている。ウィトゲンシュタインは<私>ということを追い求めて言語の限界を言い放ったと永井均は言う(1998年「<私>の存在の比類なさ」P.92) 確かに永井均のウィトゲンシュタイン解釈には正しいものがあるように思われる(ライプニッツ的に言うならば、そこには真理の小粒がある)。しかし永井の方法論が正しくとも、ウィトゲンシュタインのテクストは別の方向性を示しているように思われる(ウィトゲンシュタインがそのことを意識したかどうかはわからないが)。それは即ち、ウィトゲンシュタインが指し示そうとしたものが<私>であり、且つその<私>は否定的な表現でしか伝達し得ない(それも残滓があるかないかの程度で)としたところのものは、結局完全な意味合いで存在しなかったのだということである。言語は論理性を追い求めたときある一瞬だけ人間を超えてゆく(17日の日記参照)。そこで得られる事実関係はあくまで人間を離れた抽象的意味しか持たない。そこに人間、自我意識は存在しないのである。永井はそこを誤解し、ウィトゲンシュタインのテクストに自我の匂いを嗅ぎとった。私達は言語を使うことで私という言葉によって「私」というものがあるかのように思いこんでいる。しかしそれは言葉の織り成す幻影なのである。私達は言葉を持つことによって初めて<私>を生きるようになる。ウィトゲンシュタインの精緻な言葉が示したのは言語外の世界ではない。言語によっていかに我々は物事を誤認するようになるかという図式だったのである。(ちなみにデタラメです)

○お気に入りのピアスを泣くした。がっかりι もう2年くらいの愛用だったのになー だから安物買ってきてハメてます。こんな感じで入れ替わっていくので穴ごとに違うピアスが入ってる。ピアスを買ったついでに薬局でオキシドールを買った。ピアスはいつもオキシドールで消毒するんだよね。過酸化水素水って言葉はオキシドールより語呂がいいと思う。

○がっかりで思い出したけど、「がっくり」は「がっくし」とも言えますね。他にも語尾の「り」と「し」が入れ替え可能な言葉は多いな。「きっちり」と「きっちし」とか。「ばっちり」を「ばっちし」と言うと死語っぽいけど。僕は名古屋生まれなんだけど、名古屋圏の人間は/し/の発音を苦手とすることが多いです。だから数字の7を/しち/ではなく/ひち/と読みます。質屋なんて/ひちや/と読んじゃったりします。驚きでしょ。僕も/しち/とは言いにくい。逆に東京、とくに江戸っ子なんて言われるような人たちは/ひ/を苦手とすることが多いみたいですね。お引っ越しが/おしっこし/になるなんて話もありますが。下町出身の大学教授が論文を書くとき、「ひ」を「し」と間違えないように気を付けていたら「し」でいいものまで「ひ」にしてしまったとかね。こういうのを over correcting といいますが、僕がこの話が載ってた本を読んでなによりも感動したのは over correcting の訳語が「直し過ぎ」だったことです。これ以上適切な訳語があり得るでしょうか? 話は変わりますが、ひらがなが表音文字だなんてのは嘘ですよ。「反応」を/はんのう/なんて読んでる人が果たしているでしょうか。「生成」を/せいせい/と読んだり。言葉は目に見えないので、音と文字とは言語の本質にとって非関与的なものだと言いつつも人はやはりより具体的な文字を正しいものと見てしまいがちなんだよね。言語学者が文字よりも音を対象にしたがるのは音に優位性を認めているからではなく文字は言葉の生成の現場から表れまでに時間があるからだと思う。文字が書かれるまでに人は意識的な操作を加え、書かれた文字は言語行為の本質を覆い隠す。声の観察ならば人は文字ほどには気を使わない。言語学者はそこに生の行為を見ているのではないだろうか。

○今日、春からこっち初めてバイトをしてきました。オフィスの荷物の搬入作業かな。久しぶりに体を動かしたから多少筋肉痛(^^; でも懲りずに夕方と夜にオナニーをしたら腕が張ってしまった。夏休みが終わったら片腕だけ筋肉が付いてる、なんて中学生でもいないようなことになってしまったらどうしよう? Sから珍しく電話があった(とは言っても相対的に見れば多いほうなのかもしれない)。なんで俺は罵倒されてたんだろう?なんでなんで? こんなに清廉潔白端麗純生な人間なのに。バイトが日雇いで、予定してた日に入れないことも多いのでそのときくらいにSの家に遊びにいくことにしよう。金ないけど。飯おごってくれ>S

○電車に乗ってるときにお酒の広告で「氷結果汁」というものがあったが、真っ先に「結果」という文字が目に飛びこんできて興味を持ってしまった。それとも意図的に「氷の結果の汁」という意味を含ませてるのだろうか? だとしても特に驚くほど優れたコピーってわけじゃないけどさ。もう7年前くらいになるかなあ。ローレックスのコピーに「人間か、ローレックスをつけた人間か」みたいなものがあって、当時高校生だった僕は多いに感心したわけだけど、つい最近どっかのタイヤ会社がパクってましたね。「つけた人間」と「つけない人間」の対比ではなく「人間一般」と「つけた人間」を対比してより高級感を持たせることに成功してると思う。文字にそのまま技巧が表れてるようなコピーは単純すぎてつまらないね。homo ludens<遊戯的人間>である私達は迷宮を奥へ奥へと進むのである。

螺旋と渦巻の単純な組み合せが、小さな軟体動物にとっては単なる隠れ家でしかないことは寓意的である。その主人公は粘液を分泌しながら自分の美しい館を築きあげ、ついにはその美しさを知らず死んで行く。腔内の深く捩れた迷宮は空しく海辺の砂に埋もれようとするのだが、同じように<人> l'homme も自ら築いた迷宮の中で朽ちて行く。 吉田正俊 月刊言語 '72 9月号 「マニエリスムと言語(中)」

08/17(fri)

○そういや昨日は明け方にGから電話がかかってきて吉野家で朝飯を一緒に食いました。金を80円しか持ってなかったのでおごってもらったけど(笑 銀行に行けばもう少しあるんだけどね。そのあとGの部屋に行ってちょっとまったりしてた。でもさーはっきり言ってGって人間がつまらないんだよねー。普通の人間、ちゅうか普通以下の人間。付き合ってて面白味がまったくない。前期でそれがわかったから夏休みの間今まで連絡とってなかったんだけどね。僕はけっこう性格悪いので友人は選びます。僕がつまらないと思った人間とは付き合いません。そういう人間とは社交辞令でも携帯番号を交換したりしないので僕の携帯のアドレスはかなり件数が少ないです。つーかむしろ端から消してくし。でもこの消去の快楽ってのはけっこうわかる人が多いんじゃないかな。パソコンだとプログラムとかどんどん消していってハードディスクを軽くしていくときとか。 僕は今、もうけっこう面白い人間がまわりにいるからつまんない人間と付き合うのがたるいんだよね。

○でも気をつけなくちゃいけないのは自分の言動がアカデミズムに陥らないようにすること。僕はけっこう勉強するのが好きだったりするから、つまらないことを知っていたりする。でもだからといって学問が第一位にある現代の状況をそのまま受け入れてしたり顔してちゃあいけない。頭がいいということは勉強できるということではないし、もっとラディカルに言えば頭がいいことがいいことであるということも認めがたい。この辺はけっこう僕の中で大事な部分を占める考え方で、だからこそ僕は「僕は頭がいい」と発言する。大学受験でいうとさ、みんな模試の偏差値とか隠すじゃない。あれって実は偏差値の価値を認めてるからこその行動なんだよね。本質的に意味のないものだとわかっているならば隠す必要もない。だから僕は小学生の頃からテストの点や通知表を見せてと言われて断ったことがない。そんなものは上から押しつけられた数字に過ぎないことを、言葉ではわかっていなくても、どこか肌で感じていたからだ。大学入試という100万人規模のクイズ大会の勝者である東京大学の学生達は僕の知る限りでは学校名を隠したりはしない。それは自慢ではなく、それが意味のないものだと知っているがゆえだろうと僕は思う。僕は東大生じゃないから知らないけどね(笑 もう一つの例として語彙の問題があげられると思う。僕は哲学とかもしてるし、一応文学部の人間だから読書量も国民平均より多いと思う。だから漢字はそこそこ読めるはず。で、語彙もいわゆる堅いものを多くしってるわけさ。日常会話で認識とか直観なんて使っちゃうしね。それが僕の日常であって、それ以上のものではない。ところがたまに偉そうなオヤジとかがいて自分の知ってる語彙を知らない人間をやたら低く見たりするんだよね。新聞の投書欄とかにいるんだけど(笑 まあ投書欄なんてのはバカの集まりだから無視してればいいんだけどさ、教育の立場にいるやつとかまでそんなこと言うんだよ。人間はすべての語彙を知ることができない以上自分の環境にある語彙を優先して摂取していく。語彙は完全に個人的な範疇なんだ。アカデミズムに身を沈めた人間はそこのところを勘違いして、自分の知ってる語彙が優れていて、それを知らない人間は頭が悪いと思いこむところがある。頭が悪いことが悪いことであるかどうかはまた別の話。それと同様、漢字が読めたり書けたりすることは一種の技能にしか過ぎないわけでできないからってどうなるわけでもない。学問を志すものはこのことを心に留めておかなくちゃいけないんじゃないかな。自分が学徒であることを誇ることは構わない。しかしそれは並列的関係においての誇りであり、少しも階層的なものであってはいけない、ということを。

○昨日に引き続き今日もオナニー3回。オナニー3回って御手を拝借~~って感じだな(笑 ちょっと拝借したいけど。

○上に書いたことと方法論的には同じなんだけど、僕は人間の言語が一番優れているということにかなり疑問を持っている。ただしそれは犬が犬の言語を話していて、そこに上下はないというような単純な話ではない。動物が言語的なものを使ったり、人間独自と思われていた象徴機能を持っていることは今では動物行動学者にとっては当たり前の事実だけど、そこにまず無条件の前提として言語=人間の言語という図式がある。人間の言語がもっとも優れているという人はこの図式を図面通りに受けとっている。それは自分で法律を作って他には内緒のまま一人法律に則っておいてから他を犯罪者呼ばわりするような行為に過ぎない。言語というものはあくまで人間の範囲内でしか使える言葉ではないのだ。それに対する動物行動学者は、人間言語優性説に対して胡散臭さは感じつつも、言語に対する哲学的な考察の欠損ゆえ「言語」と「人間言語」の間にある等式を看破し得ない。僕(達)が言語というときそれは僕の私的使用範囲において使われる。動物の言語はその意味で動物の持つ言語的なものであり、言語は人間の作ったまのであるから人間の言語が優れているとは言えない。これは上に書いたことのまとめ。では、「優れている」という言葉はいったいいかなるときに使われるのか?これは自己の価値規準に照らし合わせてでしかあり得ない。つまり言ってしまえば僕が優れていると思うものは優れているし劣っていると思うものは劣っているということである。それゆえ人間の言語と動物の言語の優劣は、価値判断する僕が人間であって優劣の規準は僕の言語の価値から計られるので、人間の言語が優れているということになる。これはこれで正しい。だけど本当にそうだろうか? 僕はこう考える。動物行動学者が「人間の言語と動物の言語の間に優劣はない」と言ったとき優劣の価値規準は人間から飛び出しているのではないだろうか? なにも言語に限る必要はない。動物と人間とどちらが優れいているかの議論でもよい。人間が自己回帰的に自身の言語体系を参照するならば人間のほうが優れている。しかし優劣がないと言ったとき理性は人間内に留まることを止め人間を乗り越えてゆく。言葉は僕個人のものでありつつも僕を越え人間を超え世界へと到達する可能性を持っているのだ。

○社会的コンテクストを慮らなくちゃいけないからちょっと事情が変わるけど、「良いと悪い」の価値規準も同様の方法論で求められるよ。しかしちょっと日記を書きすぎて誰も読んでくれないだろうし、僕も疲れたので書かないでおこうっと。

○金玉を打ったときの痛みは独特の質感があってなかなか女性にはわかってもらいにくいですが(でも僕も生理痛がどんな感じかわからないもんね)、オナニーをやりすぎてまた起ったときのちんちんの付け根とか亀頭の痛みもこれまた独特で表現しにくいんだよなあ。今そんな感じなんだけど。これは僕だけかもしれないけどさ、普通にその日オナニーしてなくて一回目にえっちするときよりも、オナニーをしたあとかえっちを一回くらいしたあとのえっちのときのほうがちんちんが固くなるんだよね。一回目は内側は固くても外側がどうもぷにぷにしてるんだけど、二回目からは外までがっちり固くなる感じ。なんだか僕も一回目より二回目以降のほうが感じたりするしね。今度彼氏とえっちするとき確かめてみてください。つーか俺、女の子に触られるの大好きなんだよねー 女の子にしごいてもらってるときってめちゃくちゃ幸せ(笑 ゴムも付けてもらうと嬉しい。でも爪が長いことがあるので先に女の子の爪はチェックするけどね(笑

08/16(thu) 教えてよ 魔法のような

○今日も明け方までE嬢と電話してました。わー恋人同士みたーい(笑 でもなかなかガードが堅くて落ちません。そろそろ観念しましょう>E嬢

○最近英語を使ってないのでちょっと鈍ってきてますね。訛ってるのはもともとですが。僕は名古屋出身なんだけど、訛りがないよねと言われることもあればイントネーションが微妙に違うと言われることもあります。実際のところどうなんでしょう?話してる僕としては私的言語を使ってるだけなので訛りもくそもないのですが。だいたいこの世に訛ってる言葉なんて存在しません。じゃあなぜ「訛り」という言葉があるのか? それは観念が生み出した認識形態への理性的バイアスから生じる誤想(なんてわかりにくい言葉!) しかしそれが抽象物であるのと同じ意味で言葉も抽象物なのではないのか? そう、それは正しい。言葉は抽象物であり、なにかしら立脚点を作らない限り存在し得ない。その立脚点は哲学的方法論のうちに見出され、それゆえ言語は言語学の扱う対象となる。訛りは言語と同等の抽象物であるが、その言葉に対する色づけは社会的なものでありその意味において訛りは社会がなければ存在し得ないと言える。そうであるならば訛りの根拠は社会学的方法論によって明らかにされ、それゆえ訛りは言語社会学の扱う範囲にカテゴライズされる。言語学は訛りを扱わない。より精緻に言うならば、訛りという言葉に含まれる社会的意味合いを抜いたものだけを言語学は対象とする。言語学は言語に関する事象全てを扱うわけではない。もしそうならば、物理学は世界に存在するすべての物を扱う学問になってしまうだろう。肝要なのは、その本質のうちに見られる関係、そしてその漸近的周辺なのである。

○おなかすいたー。最近毎日寝るのが日が昇ったあとなので、食生活のリズムが乱れてますね。15時くらいに起きて朝ご飯食べて、22時くらいに晩ご飯を食べて終わりって感じなので少し食べる量が減ってるかもしれない。これ以上体重減ったらさすがにやばいですが。今何キロくらいあるんだろう? 45キロ切ると立てなくなるのでそれ以上はあるだろうけど、もう少し増やさなくては。げふ。女の子が痩せてるとセックスのとき恥骨があたって少し痛かったりするので、あまり痩せてるのもどうかとも思う。男女ともに。土手高がいいなんて言われるゆえんですね。別にだからどうってわけでもないんだけど。そんなことよりも好きと言いながらできるえっちがしたいです。

○現代言語学の一大潮流である生成文法の創設者N.チョムスキーの作った有名な文に「無色の緑色の観念はすさまじく眠る(Colorless green ideas sleep furiously)」というものがある。この文は一般的に、文法的正当性と有意味性の乖離を問題としているとされ、そのことを前提とした上で品詞的文節の意味内容が文法を規定しているとか文法適合的文章は比喩として解釈され得るのであらゆる文章は有意味であるなどと言われる。僕は後者の意見にかなり近い考え方を持っている。すべての文章はそれを生み出す目的、意志が存在する限り意味を持つのである。でも僕はまた別の角度からこの文章の有意味性を確認できるのではないかとも思う。どういうことかというと、チョムスキーがこの文章を唱えたとき彼の頭の中に無意味な文章を作ろうと言う意志があったなならば(僕は浅学にして彼の真意を汲み取っていない)、この文章はその意志の名のもとに意味を持つ。文章の意味は必ずしも分節した要素の総和ではないのである。集合によって初めて表れる意味もあるのだ。その証拠に誰もこの文章の要素を入れ替えたりはしない。例えば sleep を smile にするなど。これはもうすでに「無意味性を表す」という意味を含有した(含意した)記号なのだ。このことを忘れ、green と ideas のマッチについてや sleep の主語は有生語である、などと言っていても生成文法の議論はできても文章の意味性についてはわからないままであろう。文章を内側へ掘り下げて行っても意味には辿りつけないだろう。それは意味論の外的学問であり、補助的な働きしかしない。言葉が意味(性)を持つのは「場」においてであるからだ。ところで言葉が表れるところはすべて場である。例え辞書の中にある定義文であってもそれはそこに場を持っている以上意味 (sens) を持つのである。(言語学のある分野では意味(sens)と意義(signification)は分別される。いわゆる辞書にあるような共通項としての固定的概念が意義であり、一回性の発言により表される流動的な、それゆえ意義を乗り越えて行く、概念が意味である) だから言葉の意味は内的解釈ではなく外的なヴェクトルを持ってして向かわない限りわからないだろう。自然言語の意味において一番大切なのは要素と要素の対立、つまり価値の概念ではない。それはどこで、いつ、誰が、誰に言ったか、ということなのである。(なにを、とどのように、は言ったことに含まれ、なぜはそれこそ意味の範疇である)

08/15(wed)

○昨日の夜から学友のYが泊まりにきて、一晩中酒飲みながら話をしてました。彼は哲学と言語学に興味があるという数少ない友人ですね。たまに持ち出す戦後思想的な話には私はまったく興味がないのですが。でもちょっと文献に頼りすぎという感じがするね。彼の文章を読んだり話を聞いてると、彼の内側から湧き上がってきた思考というよりは文字列を追っただけというような印象を受けることがある。もう少し自分で消化すべきなんじゃないかな。とは言っても僕もここでソシュールを語るときに文字を並べるだけにならないように気をつけなくては。上辺だけか理解してるかってのはテクスト論的にはかなり大きな問題だけど、実感としてはけっこうすぐに見分けがつきます。難解な思想もよく練られた文章ならば読み解(ほど)くことができるし、簡単な思想でも本人がわかっていないとまったく意味不明な文章になる。もちろん文章ってのは読者がいなければ文章にならないので読者のスキルも非関与的なものではないですが。

○話すことがなくなるとYは僕のパソコンでずっとエロヴィデオを見てました。僕は横で月刊言語を読んでた。なんともまったりした雰囲気(笑 Yは童貞なんだそうで、僕のあげた無修正ヴィデオにはまってるみたいですね(笑 ある程度無修正のヴィデオを見たりすると飽きてきて、普通のヴィデオでも構わなくなってきたりするんですけど、たまに無修正をみたりするとやっぱり興奮の度合が違ったりする。やっぱモロで見えるほうが面白い。僕はフェラチオとかは特に見ても面白いとは思わないんだけどね(されるのは好き)。あと意外に3Pも見るの好きじゃなかったりするし(これはしたいとも思わない)。けっこう好きなのはオナニー物。それもピンクローターじゃなくってバイブでやるやつ。こういうのを無修正で見るとかなり起つね。

○ということで本日のオナニーは3回。エロ本を使ったのが1回で、あとの2回はイマジネーション。22歳で、毎日オナニーしててたまに3回くらいしちゃうっていう人間ってどれくらいいるんだろう? 俺の学校の友人なんかはけっこう3回とかするやつもいるんだけど、なにせ俺は大学1年生なのでまわりが若いんだよなι

08/13(mon)

 

もっと近くに もっと近くに

A word I cannot say to you

それでも近づきたくて 僕らを結ぶものは言葉だけで

If I say, you'll leave me

悲しい声で歌う君は 僕の中をひきちぎる

Nothing but this for me, if ever you vanish

頭の中で鳴り響く消えない

DIE TODLICHE DOLIS

交錯する感情のdyving to death

I'm living to love you

見ないで欲しい

Your words always stab me

いつか私の前から消えるなら

Promise is only a premise

いつか言えたらって でも今はまだ

Only you, I see, hear and....love

言えなくて ごめんね

08/12(sun)

○夜Kが車で遊びにきたので、部屋にいてもつまらないのでレインボーブリッジまでドライブに行きました。夜中で混んでないってこともあって1時間もなしに着いちゃったね。意外と近い。東京タワー、東京ドーム、東京駅、日本橋、銀座、レインボーブリッジと真夜中の東京遊覧してた。僕は車の免許もってないから東京の街中をこんなふうに走ることは初めてだったんだけど、都内に入ったことがないというKを意外をうまくナヴィできたね。前に羽尻さんに空間把握能力の欠如をけなされたことがあるけど、そこまで捨てたものでもないなと思った。しかしレインボーブリッジは男同士で行くところでもないということもわかった。

○帰りに吉野家で値下げした牛丼食べたんだけど、文キャンの学食と一緒で小さい方がお徳という経済原理に矛盾した値段になってるね。<カウンタの中にあるご飯や肉の重さの表を見て計算してた そういやマクドナルドのハンバーガにはミミズが入ってるとかいう噂と一緒で、吉野家の牛丼にはオーストラリアから輸入した食用ネズミの肉が混ざってると元吉野家社員から聞いたことがありますがどうなんでしょうね。値上がりしてたのは牛の割合を上げたからとか言ってたので、今回の場合はネズミを増やしたことになるのかな。なんて話しを聞いたり、それが事実だったりしても変わらず平気で食べ続けるような人間です。

○新しい本棚が欲しいな。そろそろ本が入りきらなくなってきたので。うが。

08/11(sat)

○科学技術館に行ってきた。羽尻さんに呼び出されて。午前中から見てまわってたんだけど普通の科学館と少し違ってインダストリアル系の展示が多いんだね。天文とか自然科学系統がちょっと弱い。でも面白い知識もいくつか仕入れることができたけどね。例えば火災報知器の原理とか。あれは中に微量の放射性物質が仕切りに分けられて入ってて、煙が発生すると煙の分子と片方の部屋の放射性物質が結合することによってバランスが崩れ、その結果鳴るらしい。すげーハイテク。 でも5FにあったDNA関係の展示はヤバい。たしかこんなことが書いてあった。「遺伝情報は両親の染色体から受け継がれたものであり、父親か母親と同じ遺伝情報を持つ可能性は100兆分の1という一卵性双生児でもない限りほぼありえない確率になります。あなたと同じ遺伝情報を持つ人間はいないのです。あなたはあなたなのです。」....思いっきり双子のレーゾンデートルを否定してるんすけどー。科技庁さーんいーんですかー(展示のプレゼンツは理研らしいけど) DNAが一緒だったら同じ人間かい。こういうバカがコピー人間は私なんじゃないのか?とか言い出すんだよな。これは珍しく羽尻さんと意見が合ったことなんだけど、「同じ」とか「同一」という言葉はコンテクストを明示しない限り使えない。「同じ」と言ったときそこには括弧付きで{~~が)というコンテクストの指定が入っている。それがない「同じ」はありえない。しかしそれは目に見えないから無邪気(innocent)な人間は言葉が使われてるレイヤ(階層)を誤解し、DNAが「同じ」ということと人間が「同じ」ということを混同してしまう。深く考察してみるがいい。同じは形容詞的意味を持つのだ(元来「おなじい」という形容詞だったのだけど)。だから「同じ」であるとは「同一性を持つ」ということなのである。これはもっとも簡素な記号体系、数学にでさえあてはまる。数式に表れる数限りない「1」は表れる「場」がその意味を固定する。まったく(かぎかっこなしの)同じ意味を持つことはありえない。しかしそれを通観して「性」を導き出したとき1は記号として同一の1になる。同一という言葉は差異を基礎にしたアンチテーゼなのだろう。それはあたかも倦んだ言葉に対する詩人の声のように....

○そのあと羽尻さんと二人でお茶してたんだけど、二人じゃつまらんということで羽尻さんが松本さんを呼び出して、渋谷で飲むことになった。インドっぽいふいんきのお店で。僕はおごってもらう気満々だったので遠慮なく頼みましたが。松本さんは今M1だそうですが、就職を考えてるらしいです。就職しようとしてる人ってかなり久しぶりに見たぞ(笑 その後カラオケに行って羽尻さんが一人で壊れてた。これが結婚してる30代の男性でしょうかって感じ(笑 ワインを頼みまくるもんで僕はかなりきてたね。でも僕もけっこう激しく歌ったから、2時間だけでけっこう喉が枯れちゃいました。電車がなかったのでタクって帰ることに。僕と羽尻さんは渋谷からなら(地理的に、だいたい)同じ方向なので一緒に乗ったんだよね。そうしたらこの人信号で止まるたびに....って感じなんですよ(笑 運ちゃんにチップで1000円だけ渡しておいた。

○でも僕も酔ってたので頭がんがんしてたけどE嬢に電話をかけて留守番電話に愛の言葉を吹きこんでおいた。たしか「瑛里~愛してるよ~好きだよ~キスしたいよ~」とかそんな感じだったと思う。いや、マジだってばマジ!冗談でそんなこというような人間じゃないって!


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