Saturday, June 16, 2001

ログ34('01 06/15~06/22)

06/22 extra virgin 恋をしようよ~~♪

マック行ったら流れてて頭にこびりついてる。フォームの文字数は500文字くらいみたいです。けっこう多いかな。でもたまに300くらいで切れたりすることもあって、よくわかんない。

○vagin (男) 膣(ちつ) プログレッシブ仏和辞典

なんで膣が男性名詞やねん、、、、

○金曜にある哲学の講義は主題がカントからベルクソンに移っていってしまいました。ベルクソンつまらない。僕は完全に抽象至上主義者だから身体性なんて問題じゃないんだよね。事物からどれだけキレイに関係性のみを取り出せるかが勝負であって、実際にどうこうなんてどうでもいいもんなー。だからたまに言葉の使用面を忘れるんだけど。言葉とはなんであるか?なんであるか?と言い得る観点をまず確立せよ。

○時間時間時間。たぶん、空間は時間に含まれる。空間性のない事象は想像できるけど、時間性のない事象は存在しない。いや、存在そのものがすでに時間を含んでいる。時間は存在の形式であり、空間は存在の実現なのか。しかし時間は動きそのものではなかったか?動きを許すのは空間だ。時間は空間を前提にしている?物体は時間軸にそって動くのだろうか?しかし、物体の動きが時間を形成していると感じられる。そもそもそれらは不可分なのだろうか。こうも考えられる。存在は時間性と空間性を持つ。存在は重力であり時間と空間はより大きな存在に収斂する。時間の時間性、空間の空間性、存在の存在性、与えられたものからそれらを抜き取り、存在以前の原在に行き着くことはできるだろうか。タイムリミットまで後少し。駆け抜けろ。

○深刻なネタ不足です。オナニーのネタじゃないですよ。それはいくらでもあります。タネもいくらでも出ます。出します。出させます。そうじゃなくって日記のネタがね。というわけで、最終奥義を使っちゃいましょう。まず一個目。学校のPCルームの机の上になぜか吹き出しがいっぱい落ちてました。PCルームでマンガを書いていたのでしょうか?謎です。そしてさらに謎が。

「姫!こんな所で何をなさっているのです」 なにしてるんでしょう?
「村娘アンナ 福部長 松○理○子」 もしかして本名かもしれないから伏字。
「主人公が脇役より目立ってどうするんだっ」 そうなのか?
「ハンスもそんなアンナと共に国を出ることを決意する」 急展開です。
「なに言ってんの 生徒会の仕事はちゃんとやるに決まってんじゃない」 お願いします。
「いろいろな要素を考慮してこう決めたんだ いまさら変えるつもりはない」 ガンバッテください。
「オラの占いは四回に一回しか当たらないのだ だから占いの逆をいけば四回に三回は当たるのであーるっ」 真理です。

、、、、なんのマンガだ。

○Dからメイルが送られてきた。なにかと思ってみてみたら、いわゆる爆笑系日記のURLを知らせてくれたのだった。たしかに笑えた。かなり。なんかオナニーのやり方を紹介してくれるんだけどさ。けっきょくそれが無理なわけよ。常人には。ああいうHPは学校で見ると笑っちゃうからだめだね。保存してもってこないと。そういや僕ってオナニーは好きだけど、特に変わった仕方はしないなー(何も言うなよ>D)。エロ本かエロVCD見ながらこすってるだけです。左手でしてるけど、僕はもともと左利きだから当たり前だし。右でたまにしてみようと思うときがあるんだけど、どうしてもイケないんだよね。腕が吊りそうになる。道具とかも使ったことないしなー。逆にそこらへんは経験があったら教えてもらいたいくらいです。ビデオもノーマルの奴が好きだし(どっちかっていうと制服系が好きだったりするけど)、えっちも正常位がいいしね。まったく普通です。そうだなあ、一つあるとしたら、オナニー見られると燃えるってことかな。

○残り18時間ナリ。ちょいと更新サボるよー

06/22(fri) 構想力の綜合はそれ自体感性的であり、直観に現れたままに多様を結合する。 カント「純粋理性批判」(A124)

○なに言ってんだかまったくわかんねー。

昨日だかなんだかネットサーフィンしててある日記を読んだ。まあ僕はネット上の日記を読むのが好きだからそこまではよくある話。だけど、その日記を読んで僕はもうネットサーフィンしないことを決意した。ここまで劣悪レヴェルなテクスト(<あえて)が転がっているとは。サイトとしては日記とエッセイがあるっていうありがちな形態だったんだけど、そこに書かれた文章は批評と言うにはあまりにも無邪気過ぎる。僕は無邪気であることは否定しない。だけど、無邪気な批評はあり得ない。批評はいつでも自己批判とともにあらねばならない。回帰的な(自己言及的、ではない)意見だけが世界を見通す。他者を否定したりなにかを批判することは簡単だけど、自分の立脚点だけは保持する必要がある。それはその場所を必ずしも明かさなくとも、自分だけはそれを認識していることが必要である。それがなければ全ての言葉は snarl words となってしまうだろう。事実を認識していることが重要なのではない。事実を認識しようという態度こそが重要なのである。そうである限りにおいて僕は推論を認める。また、そうするものは自己の言葉が推論であることを知っている。そして、何一つ断定するための材料は与えられていないことを。正しくあること、良心的であることは誰にでもできる。しかし、自己の判断を語りたいのならば正しさと良心とを疑え。そうでなかければその言葉はなんら新しいことを引き出さないだろう。

○僕がテレビ新聞雑誌を見ないのは低レヴェルな議論に関与したくないからだけど、ネットもやっぱそうなのかな。もうあきれかえって物も言えない。もう当分の間はこのサイトと、ブックマーク内だけを動くことにしよう。腹立ちついでにクダラナイことを言わせてもらおう。なんかすごい殺人事件があったみたいだね。8人死んだの?僕が聞いた国内の事件では一番死者が多いような気がするな。そんなこともないか。で、また犯人が精神的になんとかなんだって?ははー。もうなんかオチが見えてるゲームだね。マスコミの反応世間の反応政治の反応手に取るようだ。こういうとき自分がそういうことから切れてて本当によかったって思うね。まあ勝手に死刑にすべきだとか心神耗弱なんだからとか言っててくれよ。おりゃあもうそんな頭の悪い議論にはつきあわねーぞ。

○面倒だから引用文で埋めよう。一応の稚訳をつけておくね。すべてアメリカの意味論学者、S.I.Hayakawa氏の名著「LANGUAGE IN THOUGHT AND ACTION」から。

Do the words we utter arise as a result of our thoughts, or are our thoughts determined by the linguistic systems we happen to have been taught?

私達が口にする言葉は、本当に私達の思考からでてきたものなのだろうか?私達がたまたま教えられてきた言語システム(言葉)が私達の思考を導いてるとは言えないか?

There are very few things that people do or want to do, possess or want to possess that have not, in addition to their mechanical or biological value, a symbolic value.

機械的、生物学的価値観に加え、象徴的価値を除いては人々が欲し、所有しようと願うものはない。我々が求めるものは象徴的なものだけなのである。

The reports should be about firsthand experience - scenes the reader has witnessed, meetings and social events he has taken part in, people he know well. The reports should be of such a nature that they can be verified and agreed upon. For the purposes of the exercise, inferences are to be excluded.

記述は直接の経験に関するものであるべきである、つまり読者が目撃した光景、参加した集まりや社会的催事、よく知っている人などに関しての。記述はそうした性格のものであるからこそ実証が可能なのであり、同意し得るのだ。その力を正常に働かせるためには推論は排除しなくてはならない。

(僕(沖野)は「読者」というのは多分「話者、著者」の間違いだと思う。)

By judgment we shall mean expressions of the speaker's approval or disaproval of the occurrences, persons, or objects he is describing.

判断と言う言葉は、話者の、出来事、人、対象に関する承認、不承認を物語るときの表現方法を言う。

On hearing "She's the sweetest girl in the whole world," the listener would be wise to allocate the meaning correctly - as a revelation of the speaker's state of mind and not as a revelation about the girl.

「君は世界で一番カワイイ僕の愛する仔猫ちゃんさ☆明日が楽しみだね♪」という言葉を聞いたとき、聞き手はその意味を賢くも次のように正確に(しかも無意識的に)位置付けるだろう、女の子に関しての描写としてではなく、話者の精神状態を如実に物語るものとして。

06/20(wed) ○、○、○○○

○僕は前に使っていた携帯電話を目覚し時計として使ってるんだけど、最近鳴ってもなかなか起きないので結果一日中頭の中をぷっちモニのちょこっとLOVEが鳴ってることになります。僕的には浜崎あゆみのTrustが聞きたいんだけどね。家にいるとき以外はバイブだから聞けないけど。

○友達がN.チョムスキーの新聞でのインタビュー記事をくれた。だけど内容は反戦だとかそういうことであんまり興味あることじゃなかった。一番驚いたのは彼が72才だってことだね。めちゃくちゃ若い。僕はてっきりもう90くらいかと思ってたよ。一回くらい会ってみたいなあ。あ、チョムスキーってのは生成文法理論っていう理論を作った言語学者だよ。僕は言語学者だとは思ってないんだけど。だって生成文法って言語学じゃないし。

○余計な話だけど、この生成文法の「文法」ってのはみんなが普通考えてる文法ってのとはまったく違います。人間にはコンピテンツ(だったっけ?)と呼ばれる言語生成能力があり(ランガージュとは微妙に違うらしいが俺は区別できない)、それに従って言葉は作られるというもので、その生成法則が生成文法。文法というよりは人間の分節法則と言うと近い気もする。だから僕は言語学じゃないと思ってるんだけど。でも僕は実は文法って言葉の意味はこっちのほうがより正しいんじゃないかって気がする。正しいって言い方は語弊があるけど。多くの人は学校で文法っていう言葉を習うと思うけど、あれは言語学上の文法とちょっと違うんだよね。学校文法(という言葉がちゃんとある)は応用言語学的に、ある言葉の習得を目的として言葉を分類化して、組み立てたものであって実際の言語法則とはずれがあったりする。英語で言うと「5文型」なんて言葉があるけど、英語をちょっと言語学的に眺めれば5文型なんてものが存在しないってことはすぐにわかる。それはいけないわけじゃなくって、生のデータはいつでも使いにくいからなにかの目的に合わせて切り取らなくちゃいけないってこと。英語を学ぶために切るのか言語学をするために切るのか。切り方はいくらでもある。大事なのはそれが唯一だって思わないことだね。それを勘違いすると、自分の文法に合わない言葉を受け入れることのできない人間になってしまう。言葉が文法で規定できるなんてのは大言壮語もいいところで、文法で規定できないから言葉なんだよね。人間も一緒さ。人間とはなにか、という問いに答えられないからこそ人間は人間なんだ。

愛とは何か? 僕は答えを持たない なぜなら それは君と僕との間にある関係性に他ならないからだ 僕一人じゃ答えられない 君一人じゃ答えられない

○S.Yが僕の部屋に来た。久しぶりだからどうしたのかと思ったら、僕のリアルオーディオコレクションをもらいにきたらしい。僕は無修正のリアルオーディオファイルをかなり持ってるからね。まあ隠匿しておくほど懐小さくないし、MOにコピーしてあげたよ。でもね、よく考えてみるとS.Yってパソコン持ってないんだよね。じゃあどうやって見るんだ?聞いてみたら、学校のパソコンルームで見るつもりなんだってさ。停学になるぞ、S.Y。つーか、お前夜中に片隅でヌクつもりだろ。退学になるぞ。俺でもそんなことしねーよ(じゃあどの程度のことしてるんだ?)

ニーチェの針の例えを知っているか?痛みが走ってから原因を探すのだ。つまり、結果が原因を原因として措定する原因となっている。原因と結果は認識において逆転する。そこで、女はニューハーフによって発見されると言えるのである。 神田龍身 06/20録音 「平安時代の物語文学I」より

06/19(tue) こんなに愛しても 今を重ねるほど こわくなるの いつか醒めてゆく 贅沢なセリフじゃなく 心をつなぐ 永遠がほしい 作詞:相川七瀬 「こんなに愛しても」

○名前も知らない嘘つきクラウン 僕の世界で駆けまわり 気が付きゃ時計は21時 急がなきゃ急がなきゃ きっとどこかで待ってる君に 僕の手紙を○○○○○ たまには星も落ちていく 急がなきゃ急がなきゃ 空はいつでも青いけど 君のおめめは七変化 僕のサーモスタットは絶妙で 機敏に気温を起想する それでも僕らはいつでも仲良し そいつが一番嬉しいことさ よおよお久しぶりこんな君にまた出会えるとはね 君はくるりと背中を丸くして 僕の言葉に振り返る

○これは嘘じゃなくて、本当にすげーひさしぶりなんだけど、一日二回オナニーしてしまった。いや、なにも言うなよ?というか、あの、とかも考えちゃだめ。それは違う。ほんとに。マジで。いやさ、いいんならいいんだけど。いい? だってしかたないじゃんね?まだ21だし、僕的にはヤリたい盛りだと思ってます。え、普通は18くらい?うっそ~ん。18のやつなんてオナニーしてりゃいいんだよ。あ、それは今の俺か。僕は13くらいの頃からオナニーしてるけど(意外と普通でしょ。中一だからかなり普通)、高校生の頃とかは20になったらもうオナニーなんてしないんだろうなと思ってたね。しなくてもいい体になると思ってた。まさかしなくてもいい性生活が送れるとは思ってなかったし、実際その通りだけどね。でも現実は全然違うね。やっぱ普通はそんなことないのだろうか? 確かに10代が一番量が多いって言うもんなあ。あ、僕は量も減ってないか(笑 そういえばなにかで、ちんちんだけは20過ぎても成長すると読んだことがあって、すげー希望を与えてもらったんだけど、あれはたんなるガセネタだったのだろうか? ええと、最後にえっちしたのは2週間前くらいだけど、それ以降ちょっとそんな気も少し小さくなってるね。どうせすぐに元通りになるけど。僕は愛のないセックスはしないけど、結局はそのときだけってのが多いもんな。少し、もうちょっと愛を育てたセックスをしてみたいと殊勝にも思ってるんです。ちょい疲れ気味なのでもういいや。オチ放棄。

○以下数日前にフォームでもらった意見です。
せっかく直接的でないのにクスっとしてしまう表現力を持っているのに、勿体無いなあ、と思っただけのハナシでしたのよ。だから、そういう日記にはしたくないんだもん!と言われれば、そうですか、と言って読み続けるしかないわけだね。口を閉ざすことにします。でも、イッコだけ。爪を切っていることと、優しくすることとは別モノですよ。夢の中の彼女はもっとそっと動かしてほしかったのでしょう。

じゃ、前回同様にレス形式で行ってみよう!

> せっかく直接的でないのにクスっとしてしまう表現力を持っているのに、勿体無いなあ、と思っただけのハナシでしたのよ。
もうわかっていらっしゃるようなので、細かいところだけ言わせてください。「せっかく」とか「勿体無い」という表現はちょいとひきょうじゃないかい?そう言うことで君は、表向きは「君(沖野)は能力がある」と言いつつもその裏側として「僕の素晴らしいと思うものが良い物と決まっている」と宣言している。君と僕とは決定的に立場が違うんだ。それを認めるときにわざわざそういう言葉を含ませて置くことを一般的に捨てゼリフと言う。もしそういうつもりでなかったのならば別の言葉を使ったほうが僕も誤解しないですんだ。そういうつもりだったのならば、、、、また読みにきてね(笑
> 爪を切っていることと、優しくすることとは別モノですよ。夢の中の彼女はもっとそっと動かしてほしかったのでしょう。
夢を見たのは僕なのに、君はなにを根拠に彼女の感覚を断定しているんだい?(笑 僕は爪でカリッとしてしまった感覚を夢の中で感じたからああ書いたんだよ。僕は十全な情報を君に提供していない。なのにどういう経路で断定を導き出したのか非常に興味があるね(笑 結論に至る根拠と論拠と推論と判断をぜひ教えてほしい(笑

ああ、でも僕は君のことをすごいと思ってるよ。僕がもし僕が書いたみたいなことを言われたら、頭に血が上ってもうめちゃくちゃ感情的なことを書くからね。君の意見も多少感情的なところがあるけど、僕にはとても真似はできない。返事としてかなりキツイことを書いたけど、よかったらもうちょっとキツ目の意見でもいいよ。もし君がセーヴしてるんならさ。無理にキツ目に書かれたくはないけどね(笑

○たまには言語学のことでも書いてみようか。数日前の日記に「だから有縁性は、意味のために消滅すべきものである。さもなければ有縁性が意味を緊張させ、さらには変質させかねないから。 -意味論- ピエール・ロギー著 佐藤信夫訳 文庫クセジュ」と引用したけど、この「べき」ってかなり問題だと思うんだよね。そこらへんを今日は考えてみよう。難しかったらごめんね。まず、「有縁性」とはなにか?これは、言葉が事物や他の言葉との関連においてその形が決められている、ということなんだね。たとえば「カッコウ」という鳥の名前はその鳴き声からきているから有縁的と言われる。縁ってのは関連性のことだと思ってくれればいい。それとか、「ケータイ」は携帯電話に結び付けられているから有縁性を持っている。でね、この文章は、有縁性があると意味がもともとのほうに引きずられたり別のほうへ持っていったりされてしまうってことを言っているのね。どういうことかというと、カッコウはカッコウという鳥なのに、<カッコウ>という鳴き声のためにそう呼ばれてる以上もしもカッコウと鳴かなかったらカッコウでなくなってしまう。ケータイが携帯電話のことである限り、家に置いておいたら矛盾することになってしまう。それが有縁性による意味の緊張。カッコウが自由にカッコウであることや、ケータイがケータイであることを許さないんだ。ここまではOK?多分そんなに難しいことじゃないと思う。言語変化の大きな原因だよね。でもね、「べき」ってのがわからない。なんで義務的なんだ?言葉の意味を変えちゃいけないってのは、お馬鹿な知識人達がよく言うんだけど、言語学者にとって言語変化は単なる現象であって可も不可もないんだよね。だから普通はこの文脈で「べき」なんて使わない。これは言語学者にとって当たり前田のキットカットです。じゃあなぜこのピエール・ロギーさんはあえて「べき」を使ったのか。絶対になにか理由があるはずなんです。しかもわざわざ強調までして、気が付くようにしてるんですから。何通りか解釈のしようはあるんだけど、僕が思いついた一番納得できるものは、フランス語の構文では実は「意味のために」が強調されていて、意味を守る言う目的のみに注目する限りにおいては「べき」である、と書かれているというものです。でもやっぱりそこまで「意味のために」を強調してるとは思えないんだよなあ。イマイチうまく解釈できません。もし誰かなにか思いついたらぜひ教えてください。

○最初のトピックにある○○○○○は僕が言葉を思いつかなかった部分です。5文字でいい言葉を考えてぜひ教えてください。 / 水曜日は1限のフラ語が休講だから2限からです。 / 好きだよ。

06/18(mon) 言えないよ 好きだなんて

○郷ひろみの歌だっけ?昨日頭の中でこのフレーズが繰り返されてて、気になってたんだけど夜にラジオをつけたら偶然流れてました。僕が日本語放送を聞くってことだけで珍しいのに、ちょっと面白い偶然。しかし僕は確率論者なのでなんとも思わないのでした。僕の愛は垂れ流しで、世界中の女の子みんなに好きって言ってまわりたいくらいなんだけど、これから放出を停止します。垂れ流しってのと無尽蔵ってのは別だからね。集中しないと勝ち取れないものってのはあると思う。実際、そこまでバイタリティがあるほうじゃないし。

僕は君が好きだ 君が僕に好きと言わせてくれる限り

○木を見て森を見ず、という諺があるよね。個別にとらわれてしまい全体を見失ってしまうことを言う。英語や、フランス語、日本語を含めて特定の言語にとらわれて言語全体が見えてない君にこの言葉を贈ろう。

系統樹を見て言葉を見ず

○今のところ誰にも突っ込まれていないが、もしかして気が付いている人もいるかもしれないし、そうだったらほっておくのは僕がばかみたいなので恥ずかしながら告白させていただくことにしよう。15日の日記に書いた「性の意味と価値」だけど、思いっきり矛盾してます。自分で気が付いて真っ青になった。僕は「シモネタはそれ自体として自立しうる」と言っているわけだけど、もし誰かが「それってシモネタをアカデミックな手法に則って正当化してるんじゃないの?」といわれたらなにも言えません。僕自身がアカデミズムの名のもとにシモネタを語っていたわけです。申し訳ない。しかし少しだけ言い訳をさせてください。現代では、もう世界のほとんどを西洋主義が覆ってしまっています。もうそれはあまりにも浸透していて西洋の名で呼ぶ必要がないくらいです。多分、西洋が発祥だったと言うだけで実際には人間になじみやすい考えだったのでしょう(推測です)。それは事物を構造化する、ということです。我々は構造によって事象を残すんです。建造物も、言葉も、すべて。言葉は口承においては構造が固定化されない流動的なものだったのが、文字の発達、それに加えて文法学というものがあることによって高度な構造を結晶化させることとなった。そうした経緯もあって、僕らが何かを統一性をもって語ろうとするとき、そこには「統一性」という構造的概念がすでに前提として含意されており、その統一性は西洋に端を発するアカデミックの世界と無縁ではないのでありまするよおぜうさーん。そうであるからには物事を単位として語ろうとするときそれはどうしようもなくアカデミカルなものとなってしまうんです。もしも好意的に捉えてもらえるならば、僕の語りはどうしようもなくアカデミックなものへ似てしまった似非アカデミアで、現代アカデミアとはルーツが一緒であっても態度は違う、と思っていただけるとうれしいです。もちろん、「僕はアカデミアと違うんだ!!」と言うことに重要な意味があるわけじゃないですが。単なるターミノロジーです。メソドロジーです。まあこれがアカデミズムの強みですね。何者にも反対を許さない。反対者はアカデミズムと戦おうと土俵に登った時点で土俵がアカデミズムのものであるわけです。けっこうプリミティヴな問題だと思う。こんな短い文章で全部は書けないけど、なぜ西洋が東洋に勝ったのか、そして、なぜそれが「勝った」という表現になるのか、などの問題に僕がどんな意見を持っているか少し書いてみたつもりさ。東洋と西洋の対立は西洋じゃなくて東洋の問題だけどね(東洋って枠組は西洋的だけど)。さ、難しいでしょ。俺もよくわからんちゃ。

○シラーはゲーテと文通をしてますよね。「ゲーテさん、今日、待望のものが出ましたよ!」 なんで便秘の解消を友人に伝えなきゃならんのかが謎ですが。で、僕自身も謎ですが、数日振りにオナニーをしました。ネタはVCDで、タイトルはFUDOL KIDS 8です。FUDOLが何かってのはまさか説明いらないよね?特になにか特徴があるわけでもない普通のビデオです。ノーマルの。どっちかっていうと全裸でしてる僕のほうがアブノーマルですか?着替えの途中だったもので。ごめんなさい(誰にだ)。じゃあ今日の言語学的疑問の提示。精液のことをよくエロ小説なんかでは白濁した液と言うけど、あれって濁ってるんですか?濁るってのは、もともと透明だったものに不純物が混ざって透明度が低くなることを挿すと思うんだよね。でも精液ってのは最初から白いじゃん。濁ったんじゃなくて。混濁した意識ってのも僕の意識ような明晰なものを前提として、混濁と言われるわけでさ。だから精液は白濁してないんだよね。それにどっちかっていうと少し黄色がかってるし(溜めてたからか)。

○以下、フォームで頂いた意見です。
まぁ、実際「純血日本人」ってのは、大和時代に 討伐されたし、征夷大将軍たちにアイヌのほうに追いやられたんだけど。 「日本人」ってのは異民族(うまくいう言葉があたらないからこれを使うけど)からみたらやはり日本人ではないか? 世間一般の人が白人を見れば「アメリカ人」黒人をみれば「アフリカ人」と思うように。 どうなんだろうね? 俺たちが民族っていうカテゴリを壊そうとしても集団の認識は変わりにくいと思う。 己を形成している既存の定義を壊すのは・・・難しいけど。面白いものでもあるよね。 これは俺が信じている意見ではなくて、 単に対抗意見として出しただけです(笑)

あれ?300文字くらいあるな(笑 フォームの文字数はちょっと未確定みたいです。またちゃんとお知らせします。あと、無記名だったから投稿者は誰かわかりません(笑 以下レス形式で。

> 実際「純血日本人」ってのは、大和時代に 討伐されたし
純血日本人なんてのはいないんだよ。それは民族学的な理想存在であって、実現されたことは歴史上一回もないよ。世界中のどの民族においても。
> 「日本人」ってのは異民族(うまくいう言葉があたらないからこれを使うけど)からみたらやはり日本人ではないか?
他者の記号化結果を単純に受け入れてはいけない。君は、もしも万が一みんなが君を派手好きだと言ったからといってそれを受け入れるかい? 僕は他者からの名付けを否定するつもりはないが、肯定もしない。自分が日本人と呼ばれることと自分が日本人だと言うことにはまったく別の論理が働いている。
> 世間一般の人が白人を見れば「アメリカ人」黒人をみれば「アフリカ人」と思うように。
世間一般の人って誰よ?(笑 僕はそういう世間一般と言うカテゴリを壊すために戦っている。もちろんそのカテゴリは必要なんだけど、固定的な、実現的なものだと思ってはいけない。そのことは、「日本人」というカテゴリにもあてはまる。使うなとは言わない。ただし、それは存在しないと知らなければならない。未成年も大人も同じ文脈で使われるべき単語である。
> 俺たちが民族っていうカテゴリを壊そうとしても集団の認識は変わりにくいと思う。
これは僕自身気が付いていながらあまり語らないことなんだけど、君への敬意を表して僕の嘘を暴露させてもらおう。僕は、僕が何を言おうと実際社会が変化しないということを前提に語っているところがある。もしも僕にその力があるならば言うのを躊躇するだろう。それはある種のニヒリズム哲学者にも言えることで、彼らのほとんどはその力を持っても自分の哲学を実現させないだろう。自分の力が弱いことを自覚してるから全力で戦えるのかな。
> 己を形成している既存の定義を壊すのは・・・難しいけど。
安住を求めるならば壊す必要はない。ただし、僕は安住を求めないから。僕が求めるのは不安、絶望、苦痛だ。僕は己を解体してでも世界の構成原理を知りたい。そのために他者を世界に巻き込もうとしている。言語を線状に、世界を戦場に。
> 単に対抗意見として出しただけです(笑)
君のことではないが、たまに発言責任を放棄してる人間がいるね。僕はそのこと自体はなんとも思わない。前に言ったように僕自身ここでの発言になにも責任を負っていないし。だけど、放棄が他の人間に被害を及ぼすようなことはあってはならないと思っている。例えば自らの専門(または職業など)を理由に責任を回避しようとすること。政治や社会にはめったに口を出さないようにしているが、それはもし僕が政治について語ろうとするならば「僕の専門は言語学なのですが」と付け加えざるをえないからだ。僕は裸体で政治を語れるような肉体を持っていないし、また装飾もない。もちろん政治は裸体で語るものだとか、お前の態度はアカデミズムだという反論もあることを承知でです。それはいいとして、語らないという他者の自由を侵害するような文責放棄だけはしちゃならないと思う。でもこれはあんまり考えてない発言だから間違ってるかもしれないね。

○もう一つポスティングを頂いて誠にありがたいのですが、コピって家に持って来るのを忘れてしまったから今日は書けません。つーかこれ以上書くとみんな読んでくれなくなるし(笑 ただ、簡単なことだけは今日の日記の中に含んで返事してるんじゃないかな。でもちゃんと数日中にはちゃんと書きますね。もしよかったら下の言葉を考えてみててください。Anyway,ありがとうございます♪

私は友人に奉仕したいのだが、遺憾ながら私はそれを傾向性から行なう。
そのため、自分は道徳的ではないという思いが、私を苦しめる。
他の忠告は無用だ。君は友人を軽蔑するよう努めねばならない。
然る後に、義務が君に命じるところを、君は嫌悪をもって行なうのだ。
 シラー (下線部引用者)

私たちが無制限に善と認めうるものは、この世界の内においてもまた一般に外においても、ただ善意志をおいて他には考えられない。 カント「道徳形而上学の基礎づけ」

06/17(sun) 諸現象の統覚と諸事情の統一

○ある方からご意見をもらいました。「真人って哲学者っぽいよね」 、、、、あの、僕は自他ともに認めることを自認する哲学者です。

○久しぶりに夢を見ました。女の子とえっちする夢です。シチュエーションは忘れましたけど、ベッドでペッティングすることになったんです。で、前戯で指を入れてたら「痛い、もっと優しくして」と言われてしまったんです。そこで、あ、これは夢だってわかりました。いつどこでナニがあってもいいように、僕は毎週必ず爪を切って手入れしてますから。

○現在、母上様はおでかけ中であり、しようと思えばオナニーできます。すげー苦悩中です。どうしよう?昨日一日我慢したけど、まだ一日だし、うーんうーん。そういえば最近オナペットって言葉を聞きませんね。もう死語になってしまったんでしょうか?

○さっき従兄弟の部屋にいって話をしてました。おもに茄子の形状について。結論としては、彼は茄子だが僕は茄子ではない、ということになった。じゃあなんなの?という質問は禁止です☆

○これは、僕の独断的意見なんだけど、善悪の規準を消去させる僕の態度は逆に悪に位置するものからの反発を受けるかもしれない。善に位置するものは僕を無視するだろう。だけど、悪に位置するものは悪に位置することによって自己の立脚点を固定しているといえる。だから自分が認められるということは逆説的に自己存在を揺るがせることになってしまう。つまり、善はその行為において自己を善にしうるが、悪は善とのコントラストにおいて自らを語るのだ。これは間違いかもしれない。だけど、もしもそうならばという仮定において、僕はその精神を否定する。己を他者の作った何処かに依拠させることで自らを記号化してはいけない!君は君だし、僕は僕だ。他者はどうしようもなく君を固定的な観点から価値付けるだろう。だけど、君はそれを受け入れてはいけない。自分の名前に意味を含ませるな。君の名はなんの象徴でもない。自分を自分に在らしめるなにかを外界に求めず、他だ唯一内的空間による自足のみを欲せよ。反逆精神は弱さだ!世界には未だ世界に戦いを挑むものが少ない。僕は目覚めぬものを呼び覚まし、世界を戦いの場へと変えていかなければならないと感じる。価値とはなにか?判断とはなにか?名前とはなにか?そして高らかに宣言するがよい!僕は僕ではないと!

○無修正の写真とかビデオって日本では禁止されてるよね。でも、テキストは禁止されてないわけじゃん。どんなに赤裸々Go!Go!なものでも。
指でさとみの湿った秘裂を触ってみる。大ぶりな小陰唇だ。すでに奥に何か塗りこめていたものか、それとも愛液が豊富なのだろうか、しばらくなぞっているうちに直希の指はヌラヌラとした液で濡れた。思いきって人差し指を挿入してゆく。 -女教師・露出授業- 館淳一 フランス書院文庫
って書いてもなんの問題もないわけだしね。ある意味、無修正なんてまんこが見えるだけで、こっちのほうが興奮するってこともあるわけだし。それにさ、シャノンの情報論的に言えばテキストも写真も同等の情報価値しか持たないわけよ。だいたい写真のほうが情報量が多いってだけで(それも場合によるし)。そうするとなにが無修正でなにがOKラインなのかってわからないよね。だいたいどっかで「大陰唇は見せちゃだめだよ~♪」とか「モザイクはこれくらいね☆」とかって言ってるワケ?その辺の曖昧さが俺様は嫌いなんだよなあ。

あ、「じゃあお前が自分のモノ写してアップしろ」なんて意見は要らないです。自分で自分がよわよわだってわかってますから。言ってみただけなんです。許してください☆ミ

○フォームで意見を言われちゃったけど、もちろん反論する気バリバリなんでもうちょっと待っててね(笑 あ、あと頼まれてたテクストも待っててね。枕を濡らしながら。

だから有縁性は、意味のために消滅すべきものである。さもなければ有縁性が意味を緊張させ、さらには変質させかねないから。 -意味論- ピエール・ロギー著 佐藤信夫訳 文庫クセジュ (強調部は著者による)

06/16(sat) もう 一人で 歩けない

○今日はゼミの発表でした。ハワイ語に関するもの。すげー完璧。3人いて、一人15分で全部で50分、という予定が俺一人で40分話してしまった。もちアドリブで。俺ってけっこう話すの得意なんだなあと思った。話すのは好きだけど、まとまったことを人前で話さないといけないのは始めてだったからね。誰も寝てないみたいだっただけでも満足かな。悪いが、俺のグループの残り二人のものはかなりたるかった。横で聞いてる俺も眠くなりそうだった。しかし、みんな大人しいね。前までの発表みてわかってたから俺はみんなが絶対納得できないだろう、と思うくらい刺激的なことを言ってみたんだけど、誰も質問とか反論しないもんね。ハワイ語の発表なのにハワイ語なんてないほうがいい、とかまで言ってみたのに。ちょっと君の発言は極端だね、くらい言ってほしかったな。

○母親がきてます。ウザイ。僕はできればもう一生両親に会いたくないと思ってます。本気で。嫌いじゃないんだけど。じゃあなんで?僕は、どうしようもなく関係しているもの、というのが最大に嫌いなんです。血縁、国家、民族、人間としての存在、そして、自分であることとしての自分、、、、 僕(ら)は、そうしたものを超えゆく存在でなくてはならない。現在に安息することなかれ。未来を希求し現在を破壊し過去を抹殺することを僕は欲する。僕にとっては血縁は足枷でしかないし、(悪いが)友達もあるときから柵となる。だから、僕は君とは仲良くしたいけど、これ以上の関係にはなりたくないんだ。なったら多分僕は君から離れたいと思い始めるしね。いつでも別れられる関係がベスト。なんつって言ってたら君からバイバイで僕は一人で泣くことになるんだけどね。それもいいじゃん?日本なんてどこにもないし、日本人なんかいないってみんな気が付こうよ。君は本当に日本語を話してるのかい?そうだっていうなら、日本語が日本語である本質ってのはどこにあるのさ?自己を固定化してはいけない。もっと、もっと遠くへ行こうよ。その旅路は長く、険しい。だけど僕は茫洋と広がる海原を、たとえ自己存在を認めてくれるものの欠如に不安を感じるとしても、行こうと思う。僕は孤独だ。この宇宙でいつでも、死ぬまでたった一人。だけど神になんて頼らない。誰とも仲間にならない。僕の輪郭は僕が決める。でも、一つだけ弱さを。僕は君と一緒に死にたい。

○帰ってきたら、シーツが変えられてました。バレバレじゃーん。月曜までいるとかホザイテいらっしゃるので、3日間もオナニーできません。あ、すいません、最近毎日だったもんで。あーでも3日後が楽しみかも(笑 また報告したいと思います(<するな) ついでに、「一人でオナニー」ってのが重畳言葉なら、「一人えっち」は形容矛盾でしょうか。えっちってのはこの場合セックスを挿すわけですよね。セックスって一人じゃできないし。もちろん形容矛盾が要らない言葉だってわけじゃないですよ。それはそれでちゃんとコノテーションを持ってるわけです。コノテーションってのは、「言外の含み」を表す言語学の用語です。まあ「僕の仔猫ちゃん」とか「茄子だ~い好き☆」とかもそれに入るでしょうか。一人えっちって言うと、二人じゃないことを殊更強調できるんですね。まあそれよりもオナニーって言葉を直接言わないで済まそうってことのほうが大きい要因でしょうけど。僕は一人えっちっていうよりもオナニーの方が好きですね。マスターベーションとか自慰ってのもあんまりだなあ。母親が料理してる横でこんなこと書いてる俺もなかなかなもんだな(笑 明日はちゃんと勉強するぞ~~♪

ある言語の規範とは、体系が許容した多様な実現の中での「外的」(社会的、地域的)均衡(たとえばフランス語における音素/r/の歯茎ふるえ音とのどちんこふるえ音との間の均衡)でもあれば、それはまた、結合的変種と分布的変種(これらは「規範的不変項」である)相互間における「内的」均衡、また体系的に等機能な様式の間でのさまざまな「内的」均衡である。 エウジェニオ・コセリウ「うつりゆくこそ ことばなれ」 田中克彦 かめいたかし訳 クロノス Madrid 1973

06/15(fri) Tanztheater

○今日は体調が絶不調で、おかげで思考がかなり冴えてます。ということで垂れ流してみます。

○対照言語 対照言語学という学問分野を知っているだろうか?知っていたらかなりマニアです。言語学に少し興味がある人なら「比較言語学」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。でもこれはかなり限定された分野を表す用語で、同じ言語族の間で比べて、その言語の展開的側面を記述しようという学問のこと。一番有名なのは(というかそれがほぼ覆っているけど)印欧語における比較言語学ね。これはもう完成された学問に近く、言語学者の間においてさえ死んだ学問と言われることがあります。学問や言語にとって完成することがどれだけ致命的かを表す貴重な資料とも言える(笑 だから、「英語と日本語」という違う語族に属する言語を比較する場合は比較言語学ではなく対照言語学と呼ばれる。これは個別言語を並べることによってそこから一般言語法則を導き出そうとする学問。まあ、英語学とかやってる人は知らず知らずのうちに対照言語学の方法を使っていて、対照言語学の名を知らないってことはよくあることなんだけどね。対照言語学は一般言語学の分野だけど英語学は固有言語学の分野になるから。でもね、ある固有言語についてなにか言及しようとするならば必ずこの理念だけは知らなければならない。僕達が使っている言葉以外に目を向けるとき、あらゆる観点から観測してできるかぎりバイアスのかかっていない意見を述べなくちゃあならない。ある言語が難しいとか簡単だとか、ほとんどの場合は母国語の習得と比較して述べられた言葉ではない。言語への言及(言語学)、世界への言及(哲学)においては素朴な観念はときにミスリーディングとなる。じっと対象を見つめ、気が狂いそうになるまで事実のみを追求し、そこに表れた現象のみを真とする。だから僕は英語という単なる一方言に執着する態度を見過ごせない。それは学問ではない。目的としてではなくそれ自体を追求しようとしたときその行動は実学から勉強となり、それを覚めた目をもってして体系化しようとしたとき始めてそれは学問となる。それなくして一つの個別言語にこだわることは、日本語を通して日本を美化しようとする偽勉的行為となんら変わりはない。それが故意ではなくとも。だから、一つの言語を追求せんとする者は、今一度自分の胸に刻まなくてはならない、その言葉には何一つ特別なことがないこと、言語的特徴と呼ばれるものはただ自分の言語、または英語など巨大言語との差異によってのみ語られること、つまりはどの側面から自分が接触しているのかを明らかにせずにある言語へ価値判断を投入することは、自己の憧憬に過ぎぬことを。優れた言葉など存在しない、経済的になど些細な側面からを除いては。それを明らかにすること、そのことこそが言語に向かい合う際もっとも根本的となる態度なんだと思う。

○性の意味と価値 昨日か一昨日かにもらった意見に真っ向から反対してみよう。あのさ、僕の日記が下品だって言うけど、なにが下品でなにが上品なのさ?僕はそういう無根拠な価値付けは大嫌いなんだ。アカデミックなものや文学的なものが上位で、煽動的性表現は下位だって勝手に喚く人間を俺は信頼できない。西洋主義にかぶれるな!と言って東洋主義を押し進めようとする奴は西洋と東洋の対立こそ西洋的観点だということに気が付いていない。だから僕は性表現こそ文化だ、というつもりもない。だけど、やはりそうではないでしょ。シモネタが下品でアカデミックなものが上品だっていうことは(注:意見をくれたかたは「アカデミックなものが良い」とはまったくおっしゃっていないので、これは僕の仮想敵対者です)アカデミックに身を沈めたものか、それに憧れを抱く大馬鹿ものたちの賛歌だ。それは暗にアカデミック至上主義を賞賛する。僕は確かに学問としての学問、それ自体のための学問を追求するが、それはひとえに学問を社会と関連させることは危うい意見を導くことになるからだと思うからだ。つまり大学、知識体系こそが世界の頂点であり、社会はその恩恵を受けているのだ、と。そういう考え、またはそれを仄めかす態度を僕は許さない。そして、だから僕はシモネタは他のものと同等のラインに乗せてはいけないと思う。比べることは必ず上下のないところに上下を作ることになるから。そして、その両者の力が均衡ではないならば片方が貶められることになる。それを数の論理と言う。 んでもういっこ。性風俗産業に従事する女性を少しでも下に見る意見を見ると、僕は悔しくて涙が出る。売春はいけない、とか性の商品化とか。いったいお前は何様なんだ。なにが正しくてなにがいけないのかなんて誰にも言えない。それに俺は言わせない。僕らはなにかして必死に生きている。その流れから逃れた人間は一人もいない。実際どんなクダラナイやつだって必死に生きている。売春のなにが悪いんだ。すぐに股を開く女のどこが悪いんだ。それがいけないことであるならば、彼女たちを軽蔑する人間に俺は軽蔑されたい。お前は俺を軽蔑しなくてはいけない。言っておくけど、僕は貞操観念の薄い女性(や男性)を弁護しようなんて少しも思わない。そんなんしたって意味ないしね。誰もサラリーマンの地位が薄汚いものだとは非難しない。それと同様に風俗の女を見なくちゃいけないって思うわけ。行きたくないなら行かなければいいじゃん。なんでお前に価値判断を下す権限があるわけよ。僕達の活動にはどうしようもなく価値判断が含まれる。それがなくては僕らはものを見ることさえできない。だけど、人間が人間として生きようとする限り無根拠な価値は避けなくちゃいけない。ま、君がそう生きようと思わないんだったら僕に言うことはないさ。どうぞ僕を軽蔑してくれ。それでも僕は君を軽蔑しはしない。なぜなら君は一度でも僕と語る言葉を共有したからさ。

○土日はけっきょく誰とも遊ばなくなりそうだな。たまには学校の勉強なんざしてみんべか。今日、本屋で意味論に関する本を買ってしまった。東京に引っ越してきてから始めてエロ本以外の本を買った。疲れてるんだなあ、とか自分で思ったね(笑 んでフラ語のクラスでその本を見せたら、Aは「恋愛試論」で栗ちゃんは「真実の愛」という本を持ってた(笑 いつもは一番先陣切って女に声かけてる3人が全員脱落してます。もうなんだか6月病だね。寒いしよー女いねーしよー。一人でオナニーでもしてようかな。あ、「一人でオナニー」ってのも重畳言葉だね。別にやろうと思えば二人でもオナニーできるけど。つーかしたことあるけど。一つ疑問を思いついた。男ってのは、だいたいオナニーでイクときって足をつま先まで伸ばしてることが多いみたいだね。僕の聞く範囲では。僕も足を伸ばすからたまに足を吊ります。疲れてるときにオナニーしたりすると。疲れてるときってなんでかしんないけど起っちゃうよね? でさ、エロビ見てるとさ、女の子ってオナるときも足をそのまま広げてる感じじゃん。僕からするとあれじゃあなかなかイカないんだよね。女の子ってみんな足広げてオナニーするの?ああ、でもえっちのとき女の子が足閉じてると困るもんな(笑 やっぱ生理的なものなんだろうか?教えて~~☆(絶対誰もポスティングない、と思いつつも一件くらいあると嬉しい。それをオカズにします。男からも意見は聞きたいが、その場合はオカズにはしません)


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